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    破産法による救済は、決して慈善行為ではない

 

    Vienna大学のRaffer教授による論文(翻訳)

 

個人及び法人には、破産法という法律があり、重債務者に対しては、秩序だった、か

つ公正な解決がとられている。

途上国の債務危機についても、国際的な国家破産法を適用するべきである。

 

 歴史的に見ても、重債務国の債務危機の解決を遅らせることは、債務の回収を不可能

にするだけである。

逆に、債務残高をいたずらに増加させ、結果的には、債権者の負担を増幅するだけであ

る。 したがって、古くは、Adam Smithも述べているのだが、今日再び、

国家破産法問題が浮上している。

 

 「国際金融危機についてのワーキング・グループ」は、一種の破産措置を提案した。

それは、適切な多数の債権者による、あるいは、「協同行動条項」に基づいて債務削減

をおこなう、というものである。 

また、カムデスー前 IMF専務理事は、1998年9月17日付けの「ファイナンシャル

・タイムズ」紙に、

「国際的な破産措置の必要性は、既に、明らかな教訓となっている」

と述べている。

 

 OECDの「エコノミック・アウトルック」誌1999年65号では、国際的な破産法廷

が金融パニックを防ぐことが出来る」と述べている。

 

 最近では、アナン国連事務総長が、「公正、かつオープンな仲裁プロセス」を支持す

る発言を行った。

これは、国際的Jubileeのキャンペーンが、「米国の破産法第9条を適用した仲裁機間

の必要性をロビイしてきたこと」を受けたものであった。

 

 米国の破産法第9条については、私が1987年以来提案してきたのだが、破産した

地方政府を保護するものである。

そして、これは、直ちに債権国に適用できるものである。それは、当然、債権者の利益

にも合致するものであり、過重債務の公正な、かつオープンな処理を可能にするものである。

 

 破産法には、法的な原則がある。それは、債務の返済にあたっては、債務者自身、

もしくはその子どもたちを飢えに追いやってはならないということである。文明国の法

制度においては、契約の履行が、非人間的な苦痛、生命や健康に脅威、

または人権の侵害をもたらすものであってはならない。

たとえ、債権者の請求が法にかなったものであっても、破産法は、債務者の生活費を保

証している。

言いかえれば、債務を無条件に返済することよりは、債務者の人権と尊厳の方が優先し

ている。

 

 ここで強調したいことは、破産法は、明確な、かつ適切な法的根拠に基づいた請求の

上にのみ適用されるということである。

例えば、「汚い債務」つまり独裁者によって盗まれた債務については、破産法は適用さ

れない。

そもそも「汚い債務」は不法であり、無効である。アパルトヘイト関連の債務について

も、この「汚い債務」の原則が適用されるべきである。

 

 破産法の主要な特徴は、債務者の保護にある。同時に、それは、法の支配の最も基本

的な原則、すなわち、自分自身の問題を自身で裁いてはならないということである。

現行の破産法には、公正な解決を保証する中立の機間が規定されている。

 

 しかし、これは、途上国政府には適用されていない。債権国は、判事であり、陪審で

あり、専門家であり、管財人であり、さらに債務国の弁護人ですらある。

 このような、債権国の無制限な支配は、OECDが途上国に要求しているところの

「法の支配」に対する公然たる侵害であるばかりでなく、純粋に経済的観点から

いって非効率ですらある。というのは、債権者は、ともすれば債務の削減を

最小限にとどめようとするし、また、出来るだけ引き伸ばそうとする傾向がある。

これは、危機を長引かせ、解決をもたらさない。

 

 破産法による救済は、決して慈善行為ではない。それは、正義に基づくものであり、

同時に経済的な理由からきている。

私が「幽霊債務」と呼ぶ、帳簿上の債務で、決して回収できない今日の途上国の債務は

債権国が長い間、必要な債務削減を怠ってきた結果、累積したものにほかならない。

 

 このような政策を改めることは、より効率の良い、安定した新しい金融秩序の構築に

役立つばかりでなく、世界の貧困層の希望をもたらすであろう。

 

 

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