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        介護保険2年目

 

                「恩恵」から「人権」の福祉へ

 

保健・医療・福祉と三者を並べた場合、

福祉こそが最重要であることに、今さらながらに気づかされる。

福祉とは、もともと「幸福な生活」という意味だ。

 

誰(だれ)にとっても、可能でさえあれば、

自宅での生活が最も望ましいのだ。

これを支えるのが在宅福祉だろう。

たとえそれが無理となっても、

生活の場として、自宅に準じた場で暮らしたい……、

その思いを支えるのが施設福祉だ。

 

では福祉の次に重要なものは?

 

保健だろうか。

「健」康が「保」持されてさえあれば、医療機関にかかる必要はない。

本音のところでは、誰も、医者の顔など見たくはないのだ。

医療がかかわると、なかなかつらい日々が待っている。

点滴、検査、手術、リハビリ……。

病態が落ち着いたら、「退院して自宅で暮らしたい」というのは、本音の叫びだ。

 

これを支えるのは医療ではない、さまざまな配慮を含む福祉なのだ。

 

 

介護保険制度が施行二年目に入った。

「介護の社会化」という新たな人権概念の導入は、今までになく注視され、

期待感をもって語られている。

それはまさに、医療にはなしえない重大な責務「権利としての福祉」を、

地方公共団体が担う、そんな地方分権、地域主権の時代が到来した、

との期待感からだろう。

 

しかし一方で残念ながら病院には、何らかの理由で、

自宅に戻れない患者さん方が、まだまだたくさんおいでになる。

 

二十四時間対応の訪問看護サービスや介護サービスなどの、

もろもろの社会サービスを活用することによって、

家人の負担を軽減しつつ、誰もが安心して在宅で暮らせるようになるはずなのだが、

サービスがまだまだ十分でなく、その結果として生じている現象なのではないだろうか

。だとすれば、責任の一端は、地域の福祉を担う行政にもあるのではないか。

 

 

行政にあっては、従来の「恩恵」としての福祉から「人権」としての福祉を、

そしてそれを実質的に支える基盤の整備をこそ、急務としていただきたい。

 

施設の建設ばかりでなく、一般の住民の意識改革こそが重要なのだ。

利用者自身が、堂々とサービスの内容について注文をつけたり

改善を促すことは、サービスの「受け手」であるがゆえに、

まだまだ難しい部分があるからだ。

 

だからこそ、病気や障害の背景にある、生活や人間、

その人の人生観にも配慮をもって取り組むことのできる

福祉行政担当者の感性と”洞察力”が問われているような気がしてならない。

 

もっとも難しい業務であるからこそ、もっとも「優秀な」人材が求められるのだ。

ここでいう優秀さとは、やさしさと配慮を伴った方という意味だ。

問われるのは専門性とか、事務処理能力の高さではない。

 

 

それは、農村部にくらす私であるから、なおさらそう思えるのだろう。

郡部の農山村ではいまだ、古来の「お互いさま」

の人情味に支えられた手厚い互助感覚が地域内で維持されており、

「お金を介さない」強固な人間関係が、福祉の現状を豊かなものにしている。

しかし、一世代の後には、モンダ主義的「支えあい」としての、

女衆(おんなしゅう)の献身的介護に、

期待しきれなくなることは確実だ。

 

行政は、こういった「地域の含み資産」におぶさるのではなく、

役所内のエースを福祉担当に据えて、

新しい時代に前向きに取り組んでいただきたい。

 

 

 

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