日本の近代とは何であったか

第3章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか

・・・
冷戦の終焉に伴って顕在化した日韓中三国間の「歴史認識」の政治問題化も、
それぞれの民族主義の摩擦という面があることはいうまでもありませんが、
同時に事実として共通の「歴史認識」を通しての
新しい「地域主義」の模索という面があることも否定できません。
日本も韓国も、それぞれの近代史を一国史として書くことはできません。
少なくとも日本の近代は、韓国、さらに朝鮮全体の近代と不可分です。
日本の近代の最も重要な特質の一つは、アジアでは例外的な植民地帝国の時代
をもったことにありますが、その時代の認識は、同時代の朝鮮全体の現実
――今日いわれる朝鮮にとっての「植民地近代」の現実――
の認識なくしてはありえません。
その意味の日韓両国の近代の不可分性を具体的に認識することが、
両国が歴史を共有することの第一歩なのです。
このことはまた中国についても同様です。


第4章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか

・・・

2 キリスト教の機能的等価物としての天皇制

機能を統合する機能

福沢を経由して丸山にも及ぶ日本近代化の推進力としての機能主義的思考様式は、
最も機能化することの困難なヨーロッパ文明の基盤を成す宗教をも基本的な社会機能
ないし国家機能としてとらえ、キリスト教がヨーロッパにおいて果たしている、
このような機能を日本に導入しようとしました。
日本を近代化し、ヨーロッパ的な機能の体系として形成し維持するには、
さまざまな諸機能を統合する機能を担うべきものを必要とします。
明治国家形成にあたった政治指導者たちは、ヨーロッパにおいて
この機能を担っているものを宗教=キリスト教に見出したのです。
明治前期の日本人の宗教観については、渡辺浩「「宗教」とは何だったのか」
(『東アジアの王権と思想』増補新装版、東京大学出版会、2016年所収)
を参照してください。

伊藤博文は1888年5月、枢密院における憲法案の審議の開始にあたって、
憲法制定の大前提は「我国の機軸」を確定することにあることを指摘し、
「ヨーロッパには宗教なる者ありてこれが機軸を為し、
深く人心に浸潤して人心此に帰一」している事実に注意を促しています。
ヨーロッパにおいてキリスト教が果たしている「国家の機軸」としての機能を
日本において果たしうるものは何か。
これが憲法起草者としての伊藤の最大の問題だったのです。

グナイストの勧告

このような問題意識を伊藤が持つようになったのは、伊藤が1882年から
1883年にかけてヨーロッパに赴き、憲法起草のための調査にあたった際、
講義を通して深い影響を受けたプロイセンの公法学者
ルドルフ・フォン・グナイストの勧告によるところが大きいと考えられます。

・・・

こうした一般原則として前提として、グナイストは
「日本は仏教を以て国教と為すべし」と勧告しました。
そしてグナイストは日本がモデルとした1850年のプロイセン王国憲法
の中で、第12条の「信教の自由」の規定は日本の憲法には入れず、
改廃の容易な法律に入れるべきこと、
さらに第14条の「キリスト教は礼拝と関係する国家の制度の基礎とされる」
という条文中の「キリスト教」を日本の場合には「仏教」と置き換えるべきこと
を説いたのです。

国家の基軸としての天皇

しかし、日本の憲法起草責任者伊藤博文は、仏教を含めて既存の日本の宗教
の中にはヨーロッパにおけるキリスト教の機能を果たしうるものを見出す
ことはできませんでした。
伊藤によれば、我国にあっては宗教なるものの力が微弱であって、
一つとして「国家の機軸」たるべきものがなかったのです。
そこで伊藤は「我国にあって機軸とすべきは独り皇室あるのみ」
との断案を下します。
「神」の不在が天皇の神格化をもたらしたのです。

福田恆存が著書「近代の宿命」において指摘したように、ヨーロッパ近代は
宗教改革を媒介として、ヨーロッパ中世から「神」を継承しましたが、
日本近代は維新前後の「廃仏毀釈」政策や運動に象徴されるように、
前近代から「神」を継承しませんでした。
そのような歴史的条件の下で日本がヨーロッパ的近代国家をつくろうとすれば、
ヨーロッパ的近代国家が前提としたものを他に求めざるをえません。
それが神格化された天皇でした。
天皇制はヨーロッパにおけるキリスト教の「機能的等価物」
(ウィリアム・ジェームズのいうfunctional equivalent)
とみなされたのです。
その意味で日本における近代国家は、ヨーロッパ的近代国家を忠実に、
あまりにも忠実になぞった所産でした。
ここには日本近代の推進力であった機能主義的思考様式が
最も典型的に貫かれているのを見ることができます。

君主観の違い

こうしてヨーロッパにおけるキリスト教の「機能的等価物」としての天皇制は、
当然にヨーロッパにおける君主制(特に教会から分離された立憲君主制)
以上の過重な負担を負わされることになります。
そのことは、ヨーロッパと日本における君主観の顕著な違いとして現れました。

・・・

これによって近代日本の天皇制は、ヨーロッパのキリスト教に相当する
宗教的機能を担わざるをえなくなったのです。

・・・

ドイツ帝政が以上のような中世以来の「聖」と「俗」との価値二元論を
前提としていたのに対し、日本の天皇制においてはトマスのいう
「霊的なもの」と「地上のもの」とは必ずしも明確には区別されず、
「聖職者」と「王」とは一体化していたといってもよいでしょう。

(「日本の近代とは何であったか」三谷太一郎、岩波新書、203―217ページ)

inserted by FC2 system