126 佐久の医師たちがハッとした海外研修生の一言


日経メディカル 2016年11月30日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201611/549143.html

10月、ミャンマー東部のカヤー州から研修のために来日した8人の医療者(医師、保健
省幹部ら)が、長野県庁をはじめ長野県内各地を精力的に視察して回った。来日の経緯
は、前回ご紹介した通りだ。

佐久総合病院を訪れた女性小児科部長はNICU(新生児集中治療室)で、日本の看護師の
手技に見入っていた。他の医療者たちも皆、急激な進歩を遂げつつある癌化学療法、そ
して高度な術後管理に新鮮な驚きを隠さなかった。
長かった軍事政権、準軍事体制が幕を閉じ、やっと「自由」の空気を吸えるようになっ
た彼らは「新しい技術」に飢えている。技術を身につければ命が救えると思っている。
もちろん、間違いではない。だが、技術を生かすには「医療の基盤」が必要だ。

佐久では、それを「地域医療」と呼び、住民の目線に近い、住民ニーズに応じた技術構
築を模索してきた。その現場を見てもらおうと、佐久病院の若手医師が研修チームを南
佐久郡南牧村の住民のご自宅に案内した。

南牧村は長野県内でもかなり辺地の高原の村として知られているのだが、タイとの国境
にあり、密林が点在する辺境のカヤー州から来た人々は、「こんなのへき地じゃないよ
ね」と余裕綽々。しかし、若手医師が「患者とドクター」の関係を超えて、住民と気楽
に生活習慣や家族の近況の話をするのを観察しているうちにカルチャーショックを受け
た様子だ。「同じ医師として、嫉妬する」という声も聞こえた。

考えてみればミャンマーの地域医療の大半は国家公務員の医師が担っており、「地域に
入る」という発想を欠く。ほんの5、6年前まで、近隣の人が集まって話し合いでもしよ
うものなら、逮捕されかねなかった。地域自治は危険視され、地域自体も育ちにくかっ
た。

そのようなところに、国家を背負ったエリートである医師が入るのは考えられない。正
直に言うと、彼らは佐久の「地域医療」に面食らっていた。


住民とともに医療を切り拓くことの難しさ
 
「南牧村の診療所のビジョン、ミッションは誰がつくったものですか?」という質問が
研修チームから発せられた。「前診療所長と村長が考えました」と佐久病院の医師。こ
こで私たちも、ハッとした。

「農民とともに」「住民とともに」をモットーとしてきた佐久病院だが、佐久病院の医
師が出張して診療に当たる村の診療所のビジョンやミッションは、医師や地域リーダー
が中心になってこしらえている。これで本当に「住民主体」といえるのだろうか。住民
に寄り添う、住民とともに医療を切り拓くことは、そうそう簡単なことではなさそうだ


まして、当地の医師が住民に働きかけるならともかく、私たちが国際的な支援を通じ、
医療のビジョンやミッションを語ったところで、いったいどこまで当地の住民に通じる
のだろう。そんなことを考えていると、ミャンマー保健省の幹部が「ぼくは少年時代、
エンジニアだった父の仕事の関係で、カヤー州にあるあの有名なダムのそばで育ったん
ですよ」と語った。

そのダムは、バルーチャン水力発電所。ビルマ(現在のミャンマー)への日本の戦後賠
償の第一号だ。太平洋戦争中、日本はビルマに侵攻した。この発電所は、敗戦後、日本
の土木技術者たちがジャングルを開き、艱難辛苦を乗り越えて造った金字塔だ。ダムと
送電線の築造によって当時の首都ラングーン(現ヤンゴン)に電力が届くようになった


佐久での地域医療研修も、これらの戦後賠償事業と同様、長い目で見ていくべきもので
あろう。一足飛びに成果は出ない。地道に関係を結び続けていくしかないのだろう。

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