「危機に向き合うとは? 原発事故と徴候ベース手順書をめぐって」

徴候ベース手順書からの大脱線 政府、東電本店、現地の対立


「想定外」と「想定内」

2011年3月11日に発災した東京電力福島第一原子力発電所事故が
私たちの社会を襲って以来、原発事故をもたらした大津波の襲来は
はたして「想定外」だったのか、大津波で原発施設が陥った事故状況は
はたして「想定外」だったのかということが繰り返し議論されてきた。

原発事故で生じた巨額の損害賠償を誰がどのように負担するのかが
検討されたときも、東電経営者の原発事故に対する法的責任が問われたときも、
大津波の襲来や過酷な事故状況が「想定外」だったのかどうかが
もっとも重要な論点となってきた。

、、、

それでは、あらゆる状況を規制の「内部」に組み入れれば、
原発危機はなくなるのであろうか。

本稿では、事故時においてすでに規制枠組みに含まれていた
非常時対応マニュアルがどのように運用されたのかを振り返っていく。
そして、非常時対応マニュアルが実際の事故において
効力を発揮するかどうかは、ひとえに電力会社と規制当局の責任者たちの
原理原則を重んじる姿勢にかかっていることを見ていきたい。

、、、

以上が、福島第一原発が2011年3月11日に大津波の襲来を
受けたときの非常用マニュアルの整備状況であった。

徴候ベース手順書からの大脱線

大津波が福島第一原発を襲ったときも、少なくとも二号機と三号機では
高圧注水ポンプで原子炉に注水され、炉心は完全に水に浸っていた。
したがって、まさに炉心損傷を防ぐための手順である徴候ベース手順書を
忠実に実行すべきであった。
しかし、現地対策本部(現地)も、東電本店も、規制当局も、官邸も、
徴候ベース手順書から大きく逸脱した操作を現場に指示していた。

田辺文也氏は、事故後の早い段階から、徴候ベース手順書を無視した
恣意的な事故対応で事故が深刻化したことを指摘していた
(『メルトダウン』岩波書店など)。
田辺氏が『世界』に寄稿した論考でも(2015年10月、12月、
2016年2月、3月)、吉田調書の証言を根拠として
氏の主張が丹念に裏付けられている。
私(齊藤)も、『震災復興の政治経済学』(日本評論社、2015年10月)
で吉田調書と東電テレビ会議記録を徹底的に読み込むことで
田辺氏の仮説を検証してみた。

詳しくは、田辺氏の論考や私の著作を見てほしいが、
現地も、東電本店も、規制当局も、官邸も、
格納容器圧力に応じた
「格納容器スプレイ → 減圧注水 → 格納容器ベント」
という徴候ベース手順書の順序を完全に履き違えていた。
吉田調書や東電テレビ会議報告を読む限りは、吉田所長を含めて事故対応に
あたった責任者の多くが徴候ベース手順書の概要さえまったく理解しておらず、
減圧注水に必要な手続きをほとんど知らなかった。

現地や東電本店も、二号機と三号機については、低圧注水への移行よりも
高圧注水系の復旧を急ぎ、海水注水よりも淡水注水を選択し、
減圧注水よりも格納容器ベントを優先した。
その結果、高圧注水系が稼働していて圧力抑制室プールの水温が低い間に、
原子炉の減圧を行い消防車ポンプなどによる注水に移行することに失敗した。
その間に炉心の損傷が進んでしまった。
実際には、低圧注水への移行も、ベントの実施も、炉心損傷の後であった。

原子炉で溶融した核燃料は、圧力容器の底を破り、格納容器底部に落ちた。
核燃料が溶融するプロセスで生じた水素は、一号機、三号機、四号機
の原子炉建屋上部で爆発した。
一号機から三号機の格納容器は高温高圧の溶融燃料で破損してしまった。
格納容器ベントによって、あるいは格納容器の破損箇所から
大量の放射性物質が原子炉施設の外側に放出された。

政府、東電本店、現地の対立

本稿では、混乱した事故対応の一場面だけを取り上げたい。

徴候ベース手順書の原理原則から逸脱した事故対応の果てに、
いずれの対応も間違っていたにもかかわらず、東電と規制当局の間で
対応の優劣を激しく論じあうという事態に陥ってしまったのである。
金融政策でも、原理原則から逸脱すると、どっちもどっちの政策
の選択をめぐって大論争が巻き起こるのに似ているかもしれない。

3月12日15時36分に一号機水素爆発、
14日11時1分に三号機水素爆発と続いて、
14日13時25分に二号機の高圧注水系が機能を喪失した時点で、
官邸と規制当局は東電の事故対応について不信感をあらわにし、
現場に強権的に介入してきた。

14日16時過ぎに原子力安全委員会の班目(まだらめ)委員長は、
吉田所長に電話を入れる。
吉田所長は、吉田調書で班目委員長からの電話を次のように振り返っている。

もうパニクっている。
これ、こうで、こういうわけでと言っているわけです。
何だ、このおっさんはと思って、聞いていると、どうも班目先生らしいな
と思って、はいはいという話をしていて、何ですかという話をして、
そうしたら、今はもう余裕がないから、早く水を突っ込め、突っ込め
と言っているわけですよ。
今、ベント操作しているんですけれどもという話をしたら、
ベントなどやっている余裕はないから、早く突っ込めと言っているんですよ。
そこからこっちにやりとり(、、、)
班目先生とか、保安院長が隣にいたんです、
多分ね。

「即刻減圧注水すべし」という班目委員長からの強い要請に対して、
現地や東電本店では、すでに圧力抑制室プールの水温が高く、
原子炉からの蒸気が凝縮される度合いが小さいことや、
プール水位が上がってウェットベントが実施できなくなることを懸念して、
ウェットベント優先という意見が強まっていく。
吉田所長も、そうした現地の部下たちの判断を支えにして、
ベント優先の主張を班目委員長に説明しようとする。

しかし、東電本社にいた清水社長は、
「吉田さん、吉田さん、清水ですがね。
班目先生の方式でやってください」と吉田所長に対して命令を下す。
同じく本店にいた高橋フェローも、
「やる方向で、ということで、いまこの場で決めましたんで、早速注入やります」
と社長決定を支持する。
吉田所長は、東電の原発事業の最高責任者であった武藤副社長に
助言を求めようとするが、副社長はヘリコプターで移動中のために連絡が取れない。
ここで万事休す。
吉田所長は、現地の対応方針を取り下げ、規制当局の決定に服する。

右の対立のむなしさは、規制当局も現地サイドもどちらも正しくなかった
というところである。
班目委員長が「即刻減圧注水」というのであれば、二号機や三号機の
高圧注水系が稼働していたもっと早い段階で現場に介入すべきであった。
現地も、圧力抑制室プールが高温になるまで減圧注水への
移行を怠っていた。
現地が圧力抑制室プールの圧力や水温を監視しはじめたのは、
14日朝になってからのことであった。

、、、

(以上、いま発売中の「世界」2017年4月号掲載の以下の論文より抜粋)
「危機に向き合うとは? 原発事故と徴候ベース手順書をめぐって」齊藤誠

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