イラク・モスル奪還作戦負傷者の現状

鈴木隆雄 シニア・メディカル・アドバイザー
「日本医事新報」オピニオン 2017、2、18

イラク軍によるイスラム国(IS)の拠点モスルの奪還作戦が最終段階に入った。
普通、本格的な戦闘が始まる前に、地域住民は避難することが多いのだが、
今回のモスルでは、住民にとっての避難経路がなく、
住民も直接戦闘に巻き込まれる状態となっている。
それどころか、モスルから逃れてきた住民によると、
逃げようとする住民をISのスナイパーが撃つという。

筆者は定期的に医療指導で北イラクを訪問しており、
今回のモスル奪還作戦における負傷者の実態に接し、
日本の医療人にも役立つ点があると感じ、本稿を記す。

・クルディスタン地域政府

2003年のイラク戦争後、イラクは北部のクルド人地域、
中部のスンニ派アラブ人地域、南部のシーア派アラブ人地域
の3地域の連邦国家構想ができあがったが、クルド人地域だけが
クルディスタン地方政府(KRG)として成立、スンニ派および
シーア派アラブ人地域はまだ存在していない。

・モスルでの戦闘の経過

2016年の夏頃から、モスルに通じるISの補給路には、
東はぺシュメルガと呼ばれるKRG兵士、北はシリア北部の
クルド人民兵YPG、西はイランの支援を受けたシーア派民兵、
南からイラク正規軍が進軍していった。
最も激しい戦いは東で戦うぺシュメルガの地域であったため、
当初、負傷者の多くはぺシュメルガであった。

そのモスルに通じる東部街道をぺシュメルガが制圧したあと、
モスル市内突入は米国主導でイラク正規軍のみの行動となり、
現在の負傷兵はほとんどがイラク正規軍である。

・負傷者の受け入れ態勢

モスルからKRG首府のアルビールまで車で約1時間弱の距離である。
アルビールには軍病院はなく、周辺での武器負傷者はすべて
EMC Emergency Hospital(EMC病院)に運び込まれる。
5年前に100床のアルビール西部救急病院が開設されてからは、
武器負傷者も、脳外傷、火傷に関しては最初から
そちらに搬送されるようになった。

EMC病院は2000年代初期にイタリアの Emergency という
NGOが設立し、その後、 Emergency が撤退するにあたり、
現地NGOが引き継いだ病院である。

救急外来に搬送されて来る負傷者のうち、手術室での治療が必要に
なるのは3分の1から10分の1。
それでいて、1日20例を超す手術数(手術室4室)となることが多い。
元来35床であったEMC病院もそれに伴い、使えるスペースは
すべて病床とし、現在50床になっている。
それでも病床が足りないため、初期治療が済み搬送可能な患者は
市内の公立病院へ毎日搬送している。

イラク軍兵士については、デブリードマン(DBR)後、バイタルが
落ち着いている者や外来治療の軽症者は、毎日2便の軍用機で
バグダッドに搬送される。
問題はアルビールに留まる一般負傷者。
アルビールはイラクで5番目に人口の多い都市であるが、
患者が発生するモスルは2番目に多く、
これがアルビールの患者受け入れを困難にしている。

公立病院の病床が満床になった時どうするのか。
厚生省の指示で、私立病院が利用される。
これまでの例では、医療消耗資材は厚生省から配給されることが
多いが、不足する資材は私立病院の負担となる。
2年前、ドホーク近くのシンジャル地方にISが侵略し、
一晩で多数の負傷者がドホークに搬入されたことがある。
ドホークでは、循環器病センター、産婦人科病院、眼科病院など
全公立病院の手術室をオープン、それでも手術室が足りないため、
私立病院の手術室も利用された。
その際の治療費、患者滞在費用はすべて私立病院の負担となった。

戦傷外科では、緊急で行われる開腹やDBRがメインの手術で、
その後順調であれば4、5日後に創閉鎖が行われる。
この創閉鎖が戦傷外科での予定手術である。
したがってメインの緊急手術もできるだけ予定手術のように計画し、
患者が搬入される度ではなく、ある程度症例が集まってからまとめて行う。
たとでは、深夜から翌朝までは、止血術、緊急開腹術は行うが、
循環が安定していれば、見た目には大きな銃創による大腿骨粉砕骨折
なども翌朝に回す。
翌朝以降の入院患者も夕刻くらいまでためておき、まとめて手術を行う。
米国の大きな外傷センターのように24時間ひっきりなしに患者が搬入され、
医療スタッフも三交代制で十分確保されている施設は別として、
スタッフが十分確保されていない地域にとって、当地の対応は示唆に富む。

・風化が始まった遷延一次縫合

戦傷外科の特徴は、DBR後、創を閉じないこと、それに尽きる。
4、5日後に創を閉じるので、遷延一時縫合(DPC)と呼ばれる。
4、5日間、創を開放にするかどうかは些細な違いのため、
外傷専門医ですら注意を払わないことが多い。
しかし、それが患者の生死を分ける。
汚い傷は、たとえゴールデンアワー内であってもDBR後、
傷を縫合すべきではない。
しかし、イラク・アフガニスタン戦争での米軍も、
当初は開放創にせず一次縫合している例が見られた。

我々の体は、基本的に自然治癒力を有している。
治療とはその自然治癒力をサポートし、感染を抑えるようにするだけ。
至って単純である。
壊死性筋膜炎というように、挫滅した筋肉は感染に弱いので、
筋肉を含む汚染創は絶対に閉じない。
腹膜は感染に強いが腹膜外にある直腸に損傷があると、
便が筋肉と接触し壊死性筋膜炎を引き起こす。
それを避けるために人工肛門を造設するのだが、これは一刻も
待てない緊急手術である。
腹膜は感染に強いといっても、ときには腹腔内で感染が収まらない
ことがある。
そのときは、腹部も開放にすればよい。
それで体は自然に治癒する。

DPCは第一次世界大戦時にすでに確立された治療法である。
しかし、戦争終了とともにその治療法は忘れ去られ、第二次世界大戦でも、
初期には一次縫合で失敗して学び、同じことを朝鮮戦争、ベトナム戦争
と繰り返してきた 1)。
それほどに平時では、DPCというのは根付かない。
壊死性筋膜炎を起こした創はDBR後、たとえその創が大きくても
閉じてはならない。
しかし日本でもそれを縫合し、再度DBRを繰り返す光景をよく見かける。

イラクではイラン・イラク戦争が始まったあと、軍から戦争負傷には
DPCを行うよう通達が出た。
したがって当時すでに外科医として働いていた医師は現在もそれを
するのだが、その経験が若い層に伝わらなくなっている。
特に北イラク以外の地域では、1991年の湾岸戦争以降、
戦争負傷者がなくなり、DPCを知らない外科医が増えている。
北イラクでも、必ずDPCを行っているのはEMC病院のみ。
他の病院では、DPCを知っている先輩外科医が一緒に仕事をすれば
習うのだが、そのチャンスのない若い外科医は平気で一次縫合を行っている。

一般人はDPCがとんなものかは知らない。
しかし傷の感染が治らないとEMC病院にイラク中から患者が集まってくる。
これらの傷の感染は、ほとんどが一次縫合が原因である。
すべての外傷学の本に一次縫合とDPCについて記載があり、
汚い傷は閉じないと記載されている。
それを知らない外科医も皆無のはず。
ならばなぜ、多くの外科医は一次縫合をしてしまうのか。
EMC病院の外科医が言う。
「無理して縫合しようとすると、組織は緊張し、
術後疼痛のもと。
それでも皆閉じたがる。
科学的根拠はないにもかかわらず」

・イラク・アフガニスタン戦争における米国の対応

イラク・アフガニスタン戦争が始まると、米国は直ちに負傷兵士の
医療体制を構築。
4、5日で治癒しない患者は、イラク・アフガニスタンから
ドイツの米軍病院に空輸、
当地でも治療が長引くと判断された症例は米国本土に空輸、
重傷者は負傷現場から3、4日で米国本土に空輸するシステムを構築した。
負傷者専用の軍用機が毎日定期便としてイラク・アフガニスタンから
ドイツ、そして米国本土を結んだのである 2)。

同時に、医学研究も開始。
収集したデータを分析していかに死亡率を下げるかに尽力し、
戦傷学を飛躍させた。
さらに、米国には戦死した兵士家族への伝統がある。
これはリンカーン大統領の演説から始まったもので、国家のために
戦死した兵士の妻(未亡人)と子どもには国家がその生活を保障し、
一生涯年金が支給される。
米国の戦争に対する体制の凄さを感じる。

しかしこれは先進国だけのことで、開発途上国では資源の有無に関係なく、
政治経済の不備から医療体制も麻痺、医療人、負傷者ともに
みじめな生活を強いられる。

・モスルの今後

IS問題の後、モスルはどうなるのだろうか。
第一次世界大戦以来、トルコはモスルの領有権を主張している。
しかし、今回大活躍したシリア北部のクルド人民兵YPGとKRGのぺシュメルガは、
領土問題でトルコと真っ向から衝突する姿勢だ。
そこに、トルコ東部で独立運動を行うクルド人組織PKKが存在する。

モスルはサダム・フセイン大統領時代、スンニ派アラブ人の拠点であった。
それに対し、今回のシーア派民兵はイランのサポートであり、
バグダットのイラク政府もシーア派が多数派。
要は、モスルを中心にイラクはトルコ、クルド、スンニ派、シーア派+イラン
の四つ巴の争いが起きる可能性がある。

・戦争の悲劇を経験した日本だからこそできること

民間人だけでは、武器を放棄した兵士にも対等に医療を行うのが
世界の原則である。
EMC病院にはIS兵士も入院しており、普通に治療を受けている。
紛争が原因で発生した難民への対応や負傷者の治療が現地だけでは
不可能な場合、世界は一丸となって問題解決に協力すべきであろう。

よく、「戦争は悪である」と言われる。
その通りであろう。
しかし、これからも戦争はなくならない。
それどころか、「アラブの春」以降紛争が増えているのではないか。

戦争とは政治の最終的決着手段と言われるように、
政治と切り離すことはできない。
それだけに、政府も、民間団体も、いかに政治と切り離して
現地の医療に参加するか。
これは難しい問題である。
恐らく答えは永遠にない。
むしろ、このジレンマは解消されないと認識した上で
医療参加を模索すべきであろう。

日本は政府主導で日本の高度医療を外国に普及させることを目指している。
しかし、イラクだけでなくシリアでも民間人負傷者が連日発生している
状況において、戦争の悲劇を知る国として、高度医療だけでなく、
戦争負傷者への医療支援にも積極的に乗り出すべきだと考える。

【文献】
1) Watt J.: J Roy. Nav. Med. Serv. 1976; 62: 140-7.
2) Sheridan RL: N Engl J Med. 2014; 370: 1930-40.

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