*監視されても構わない。自分はなにも悪いことをしていないから

フランスの「ビッグブラザー法」

「無差別監視はテロを防げずにいます。
なぜなら根拠のある疑いによって的を絞り、被疑者を捜査していくのではなく、
私たち全員を潜在的な被疑者として扱っているからです。
情報を大量に集めることで、捜査機関は満足してしまい、
むしろ情報を処理しきれず、それ以上何の行動も取らない習性が生まれているのです」

これは(2015年11月の)パリ襲撃事件の前日、(カナダ東部の)クイーンズ大学
のホールを埋め尽くした聴衆に向かってスノーデンが強調していた点だった。
24時間後、事態はどうやら彼の主張どおりに推移してしまったらしい。
(130ページ)

、、、
日本でいえば、アムネスティのような人権団体や、原子力発電に反対する
ネットワーク、平和運動、労働組合、天皇制反対、死刑反対、反貧困、海外援助、
歴史認識・教科書問題、性差別反対、障害者差別反対、民族差別反対などに
携わるグループ、政治の対応を求めるあらゆる動きや人間の集まりが対象となる。
いや、すでになっているのだろう。

スノーデンはさらに具体例を挙げた。

「諜報機関はあなたのメールを読み、フェイスブックの書き込みを見て、
電話の内容を聞いているだけではない。
JTRIG(英国の諜報機関GCHQの合同脅威調査諜報グループ)はネット上の
世論調査、投票、評判、会話の操作にも知恵を絞っています。
どうやったら世論調査に影響を与えられるか、どうやったら投票行動を
変えられるか、新聞記事へのフィードバックやオンラインのチャット、
あらゆるネット上の議論の場に潜入しようとしている。
世論に影響を与えそうなリーダーが現れると、
その人物のアカウントに入り込んで写真を取り替えたり、
仲間内で評判を落とすようなネット行動をとったりもする。
気に入らない企業に対しても同じことをします。
これが表現や報道の自由の世界チャンピオンを名乗ってきた
西側民主主義国のやっていることです。
英国政府が税金を投入している事業です。
サイエンス・フィクションではない。
現実なのです」

「模範的」市民も標的に

こうした広範な世論操作から無関係でいる人はいない。
しかし、もしかしたらこう考える人もいるかもしれない。
自分は権力に歯向かうようなことはしないから攻撃されることはない。
むしろ上から言われたことには協力するし、出る杭にはならないから大丈夫、と。

そういう人に、スノーデンはおそらくこの記事を差し出すだろう。
私にしたように。
(145ページ)

、、、
監視の誘惑は国家から個人まで浸透し、秘密の闇のなかで、
国家もシステムも人間も腐敗していく。
これはNSAに限ったことではない。
インターネットとソーシャルメディアは監視の可能性を飛躍的に拡大した。
スマートフォンの通信記録は「ビッグデータ」として知らぬ間に企業に使われ、
フェイスブックは他人の生活をのぞき見したい心をくすぐる。
人々は知らぬ間に情報に惑わされ、情報に操作され、
情報を利用して力を得ようとする。
現代はまさに「監視の黄金時代」であり、監視したい、監視されたい人間を
量産しているといえよう。

さて、この章の主題は「監視はテロを防げるか」だった。

答えはすでに明白だろう。
NSAの過去15年間に及ぶ大量監視にもかかわらず、
テロはいっこうに止む気配はない。
欧州はますます対テロ戦争の現場と化し、
暴力は人々を永遠の「非常事態」へと引きずり込んでいる。
9・11以降、秘密の監視システムが世界中すべての人口を監視するべく
日夜メールや通話を収集してきたのに、事態はよくなったのではなく、
加速度的に悪化しているのだ。
ISの出現は米英のアフガニスタン攻撃とイラク戦争の直接の結果であり、
殺戮から生まれ出た憎悪は、暴力の連鎖をますます強固にしている。
この戦争を終わらせない限り、全体の構造を変えない限り、
テロはなくならないし、いかに強力な監視もテロを防げない。

そしてスノーデンがインタビューで明確にしたのは、テロ対策を名目に肥大化
したNSA監視システムは、実は収集した情報の最小部分しかテロ対策に使われず、
もっぱら他の用途に使われてきたということだった。
外交スパイ、経済競争、ジャーナリズムの弾圧、世論操作、
他人の私生活ののぞき見ーーNSA監視システムは米国のユニラテラルな支配と
その強化のためにこそ使われる。
しかしけっして個人のいのちを守らない。
監視対象の基準は極めてあいまいで、常に拡大する傾向にあり、
模範的と思われる市民をも巻き込んでいる。
まさに「コレクト・イット・オール」が可能にした全方位監視が、
グリーンウォルドの著書の原題を告げている。
「逃れる場所はどこにもない」(No Place To Hide)と。

大量監視はテロ対策に対して単に無能なだけではない。
私たちはもう「監視はテロを防げない」という答え以上の問題に直面している。
大量監視は掲げた看板とは裏腹に、この世界をますます危険な場所に
変えているのではないだろうか。
次章ではこの問いに歴史の光を当てて検討する。
どうしてテロが止まらないのかを本当に理解するためにも、
私たちは来た道を振り返らなくてはならない。
(151ページ)

、、、
植民地支配と監視技術の歴史について

スノーデンがインタビューで語った言葉は、米国政府が、
そしてそれを追うようにして他の国々の政府が、いまや大量の個人通信情報を
手に入れ、権力自身のための広範な目的に使用していることを浮き彫りにした。
私たちが便利だとばかり思ってきた情報通信技術が、
この大量監視システムを史上空前の規模に押し上げたことはもはや疑いない。

軍・監視・情報産業複合体
(153ページ)

、、、
NSAシステムの前身エシュロン

規模と性質において新しいNSAシステムも、
社会的背景を見れば過去とつながっている。
米国は米ソ冷戦下で軍の監視機能を急速に強化した。
その最前線であった日本ではシギント活動が稚内、千歳(北海道)、
三沢(青森)、嘉手納(沖縄)など約100カ所にまで膨らんだ。
国内では、1950年代にマッカーシズムの「赤狩り」が国務省からハリウッドに
まで吹き荒れ、1960年代の公民権運動下ではマーティン・ルーサー・キングが、
その後のベトナム反戦運動下ではジョン・レノンが、
女性解放運動下ではフェミニストたちが、
国家の「脅威」として監視の標的となってきた。
1970年代半ば、FBIが50万人もの市民を「潜在的な反乱分子」
とみなしてスパイしていたことが明らかになった。

「こうした過去を私たちはすぐに忘れてしまう。
あるいはもう終わったことで、いまの世の中では起きていないと思ってしまう。
けれど実は同じことが継続しているのです」
とスノーデンはインタビューで指摘した。

彼は例として、警察官がアフリカ系の若者を射殺した事件をきっかけに起きた
「Black Lives Matter(黒人のいのちだって重たい)」運動を挙げた。
警察官による暴行は相次ぎ、またその度に警察官が法的に免罪されることに
人々は怒り、抗議運動は全米に広がっている。
(155ページ)

、、、
スノーデンは権力に異を唱える人々が最も厳しく監視されてきたこと、
そしてそれが社会全体の前進を阻むことを深く憂慮する。

「言論の自由や信教の自由といった権利は、歴史的に少数者のものです。
もし多数派として現状に甘んじているならば権力との摩擦は生じず、
法による保護を必要とすることもない。
基本的人権とは少数者が政府から身を守るための盾であり、
これがなければ社会に存在する既存の力に対抗することはできません。
そして少数派が現状に抵抗できず、社会から多様な考え方が失われて、
人々が物事を客観的に見られなくなれば、
将来のためのよりよい政治的選択肢を失うことになります。
監視はどんな時代でも最終的に、
権力に抗する声を押しつぶすために使われていきます。
そして反対の声を押しつぶすとき、僕たちは進歩をやめ、未来への扉を閉じるのです」

こうして過去から未来へ連綿と民主主義を内側から蝕んできた
監視システムの姿が、過去に垣間見えた瞬間があった。
2000年に欧州議会が調査した国際盗聴網「ECHELON(エシュロン)」
もそのひとつだ。
(156ページ)

、、、
日本の戦時体制下での監視

、、、
1911年に設置された特高警察は人々の思想を取り締まり、
社会主義や労働運動に共鳴する人間をとらえては凄まじい拷問を加え、
作家の小林多喜二を虐殺した。
隣組や町内会を通じて密告が奨励された。
戦時中はスパイ防止活動にとどまらず、国家への批判を連想させるどんな考え
や行動も「非国民」として非難され、社会的にも肉体的にもそれは死に直結した。
ネットも携帯もなくても、戦時総動員体制下の日本は人々の目と
出版物や郵便物への検閲、そして何よりも天皇への忠誠心によって、
自己の内面にまでおよぶ総監視社会を実現したのだ。

しかしそのすべてが結局、日本人を敗戦という破滅へしか導かなかった。
いまでも権力が個人の思想と言論を強制力で統制する社会は
地球上に多く存在するが、それが個人を根源的に苦しめ、
社会を破局へとひた走らせることは、日本の過去がなにより証明している。

その反省から、特高警察を擁した内務省は戦後解体され、
日本国憲法には検閲の禁止(第21条2項)、拷問の禁止(第36条)が明記され、
個人の尊厳と幸福追求権(第13条)をもとにプライバシー権が確立されていった。
国家権力が私生活に介入し、個人情報を集めることがもたらす壊滅的な結果は
日本では容赦のない徴兵制と、狂信的で息苦しく、多くの無実の人を思想犯として
投獄した戦時体制の記憶に照射されて理解されてきたといえよう。

だが日本には、実はこうした戦争の集合的記憶に刻まれていない、
もうひとつの監視の歴史がある。
戦時下に見張られていたのは「国民」ばかりではない。
日本は植民地や占領地で、格段に厳しい監視システムをつくり上げ、
今日に引き継がれる監視のツールを開発していったのだ。

植民地化した台湾、朝鮮で、日本は過酷な同化政策を実施した。
人びとは名前を日本風に変え、日本語を使い、天皇を遥拝し、
生活全般を日本式にすることを強要され、これに従わない人々は洗い出され、
罰せられた。
明治政府は国内では戸籍制度によって人々を数え上げ、「国民」にして
名簿化し、富国強兵策に動員したが、台湾、朝鮮でも戸籍を実施し、
人々を新たに日本国籍に組み入れた。
だが、台湾戸籍、朝鮮戸籍は「内地」の戸籍とは厳密に分けて管理され、
「外地」出身が本籍地を本国へ異動することは許されなかった。
(遠藤正敬『近代日本の植民地統治における国籍と戸籍』明石書店)。
植民地出身者は「日本人」に同化することを強要される一方で、
「日本人」から常に排除され、戸籍によって帝国内の潜在的非国民
あるいはスパイとして刻印され続けた。

植民地支配という監視技術のルーツ

さらに「外地」では、個人の動向を把握するために新たな監視のツールが
生み出された。
日本は1910年代ごろから中国東北部の炭鉱や鉱山で人々を
安価な労働力として使った。
しかし植民地化への抵抗戦が続いていたため、炭鉱や鉱山では採用時に
中国人労働者から指紋を採って登録し、指紋入りの労働証を発行した。
他の炭鉱からの逃亡者ではないか、これまでにストを企てたことはないか
などを、指紋で照合したという。
また、抗日ゲリラと住民のつながりを遮断するため、各地に「集団部落」
をつくり、住民の出入りを身分証でチェックした。
身分証と指紋という監視の手法はやがて、日本が1932年に設立を宣言した
「満洲国」ですべての人々が携帯すべき「国民手帳」へと結実していく
(高野麻子『指紋と近代』みすず書房)。

一方、1939年から日本で暮らす朝鮮出身者も「協和会」に登録して、
「協和会手帳」と呼ばれる身分証=IDカードを持ち歩くよう義務づけられた。
植民地出身者を「内なる敵」として監視し抵抗を弾圧しながら、なおかつ
総力戦に利用するのに、身分証と指紋は便利な識別ツールとなったのだ。

身分証と指紋という組み合わせは、敗戦を経たにもかかわらず、
戦後の外国人登録制度へと引き継がれる。
日本は1947年、外国人登録令によって旧植民地出身者を一方的に
日本国籍から切り離し、「外国人」としての登録を義務づけた。
1952年、サンフランシスコ講和条約発効の日に、
外国人登録令は外国人登録法へと移行。
登録時の指紋と外国人登録証の常時携帯が義務づけられるようになった。

身分証の携帯義務は、それ自体が警察官から呼び止められ、
職務質問を受ける理由になる。
外登証を持っているか、あなたはどこのだれか、なにをしているのか、
どこに行くのかと聞くことで、国は個人の移動を追跡し、記録することができる。
IDカードは身体に密着した動的な監視を可能にした。
植民地出身者を対象とする動的監視の技法は、敗戦によっても断絶することなく、
むしろ立法化され、継続してきたのだ
(2012年からは新しい在留管理制度に移行し、
「特別永住者証明書」と「在留カード」として継続)。

デジタル社会の到来とともに、IDカードと生体認証と呼ばれる顔写真、
指紋、虹彩などの身体データは今日、監視の基盤となる個人の識別方法
として急速に普及している。
しかし、これらのテクノロジーは実は近代の植民地支配にルーツを有している。
日本では単に「本人確認のため」としか説明されることのない識別情報は、実は
個人を振り分け、管理するための仕組みであることが、ここから透けてみえてくる。

国家が個人を識別する制度は、近代の国民国家の内側では、徴税、徴兵、
教育、福祉のための登録から発達してきた。
その一方で、国民国家の外側では植民地の人々を対象に、
もっと身体を直接的に監視する手法が編み出されてきた。

指紋は19世紀後半、英国警察が植民地インドで人々を見分けるために研究し、
やはり植民地だった南アフリカでもテストした。
北米でも20世紀初頭、中国からの移民を制限するために指紋の採取が検討された。
もともと白人の官吏の目には疑わしく、劣っていて、同じような顔にみえる
植民地の非ー白人を、身体的な違いでもって一方的に見分けるために開発された
点で、生体認証は極めて人種差別的な近代「科学」に依拠している。

このような歴史的背景をもった生体認証が最先端技術として世界各国に広がり、
パスポートや情報管理に浸透していることの意味は、二つの方向で
大いに考える価値がある。
ひとつは、これらの動的監視技術が現代では誰をどのように振り分けているのか
という点で。
もうひとつは、私たちの生きる時代が帝国主義の時代に似て来てはいないか
という点で。

対テロ戦争の開始以来、米軍は戦場となったアフガニスタン、イラクで、
住民を識別するために虹彩の採取と照合を強制的に導入した。
いま戦火から着の身着のままで逃げてくる地中海沿岸部の難民たちも、
公的援助を受け取るためにパスポートや身分証の代わりに
身体情報を採取され、データベースに登録されている。

世界的な規模でみれば、身体データによって最も厳しく行動を監視されて
いるのはいまだに旧植民地地域とその出身者たちだ。
日本や米国のIT企業が開発した生体認証技術は、第三世界の国民IDカード
向けに大々的に売り込まれ、現実に導入されている。
人権意識の高い欧米の市民に指紋や顔認証を強制することは政府にとって
困難であろうし、だからこそNSAシステムは米国で極秘裏に構築された。
一見、科学的で客観的に見えるIDカードや指紋という手法は、
けっして中立でも平等でもない。
道具に過ぎないようにみえる技術は、歴史をさかのぼれば当然のことながら、
主たる目的をもって開発されている。
IDカードや指紋は、それを所持している人物が権力にとって
「望ましいか」「望ましくないか」を振り分ける目的をもって開発され、
いきつくところ「望ましくない」人物を排除してきた。
大英帝国下のインドで、日本占領下の中国東北部で、米軍統治下の
アフガニスタンやイラクで、そしていままた中東で激しさを増す戦争を
逃れてきた人々の行き着く先々で。

民主主義に内包された植民地支配

では、旧植民地とその出身者が最も厳しい監視の標的となっているのならば、
それはスノーデンが暴いた「すべて」を標的にする世界監視網と、
どのような関係にあると考えればいいのだろう?

ここで理論の助けを借りてみよう。

政治学者のハンナ・アーレントや思想家のミシェル・フーコーはそれぞれ、
国民国家であると同時に帝国主義国家であった近代西欧が植民地で実践した
支配方法が本国に影響を与える現象を「ブーメラン現象」と呼んでいる。
欧米から見れば、初めは植民地で適用した管理手法が本国に舞い戻り、
拡散していく様は、まさに自らが放ったブーメランの軌道にみえるかもしれない。
欧米の国民国家では民主主義的な法概念が発達して市民権が確立し、
市民を国家の直接的介入から守る法律ができていくなか、
植民地はその原則から切り離され、外部とされた。
植民地の人々は宗主国の臣民ではあっても市民ではなかった。
政治的、経済的に宗主国のシステムに組み込まれても、
権力から身を守る権利規定はなかった。
その意味で、欧米が民主主義の外部である植民地で市民権の縛りを受けずに
開発した監視の手法が、いま民主主義の内部へと帰還し、
地球上のすべての人々を監視対象とするようになったともいえよう。

だがイタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンはもう一歩踏み込んで、
このような法の例外状態が実は西欧民主主義システムの内部に最初から存在し、
常に民主主義国家の一部とされてきたのではないか、と考える。
彼の指摘は、植民地を民主主義の外部としてよりも、欠くべからざる内部
としてとらえることを示唆する。
植民地の例外状態は、安い労働力と資源を供給するという点で、
宗主国にとって経済的な繁栄の源泉であると同時に、政治的な優位をも確立した。
一般に「ベル・エポック」(古きよき時代)として懐古されるような西欧の
繁栄期が、植民地を搾取していた時代でもあったことはほとんど思い起こされない。
西欧の「原則」と植民地の「例外状態」は結びつけて考えられてこなかった。
しかし、植民地で人々を暴力的にあるいは差別的に扱う例外状態があってこそ、
西欧は富を蓄積し、生活水準を向上させ、選挙権と市民的自由を確立する
法制度を備えていった。
西欧の権力は本国で人権保障という縛りを受けても、植民地では軍事力と警察力
を思うままに行使し、ひいては本国での支配基盤を強化することができた。
言葉を換えれば、民主主義国家の野蛮な暴力は、例外状態を帝国の内部に保つ
ことで合法的に温存されてきた。

西欧の民主主義国が法の支配を原則としながら、緊急事態を名目に
個人をこの原則から引きはがした例は、対テロ戦争下で枚挙にいとまがない。
(159ページ)

スノーデンの暴露の第一弾は、大手電話会社ベライゾンが加入者数千万人の
通信履歴を収集して毎日NSAに提出していたという事実だった。
「テロ防止」のために、数千万人がいとも簡単に通信の秘密という法の原則から
引きはがされた。
その一方で、前章でみたように、ムスリムの米国市民が政治的には「模範的」
で「愛国的」とされる人々も含めて、NSAの集中的監視を受けていた。
つまり、例外のはずだった監視の対象者はいとも簡単に拡大されて、
個々人は法の保護を失った。
これまで主権者として聖域で守られていた市民も、外国籍者同様に
例外状態に投げ込まれ、スパイされるようになった。
NSAは9・11後に成立した愛国者法を拡大解釈し、
こうした秘密裏の監視が正当化されると主張してきた。
例外状態が合法化されれば、権力の実効支配と法の支配の境界線は
限りなく薄らいでいく。

合法と違法の境界線の揺らぎは、アフガニスタンやイラクで米軍にとらわれた
「敵性戦闘員」がいかなる意味でも市民として扱われず、捕虜としてすら扱われず、
米国憲法およびジュネーブ条約の対象外という解釈の下、キューバの
米軍グアンタナモ基地内収容キャンプで無期限拘留されている事実とも重なる。
憲法も国際条約も例外化、無効化されれば、人権は世界規模で絵に描いた餅になる。
アガンベンは実際、対テロ戦争下で法の例外状態が原則に取って代わりつつあると
警告してきた。
つまり法の守りを解かれて、監視システムのなかへ無防備に取り込まれていく
私たちは、アガンベンのいう「剥き出しの生」へと近づいているのではないだろうか。

日本の文脈に当てはめれば、国家による個人の監視という例外状態は国外に
とどまらず、戦時中は国内の朝鮮出身者に「協和会手帳」を携帯させ、
戦後も外国人登録証の常時携帯や指紋押捺として継続してきた。
日本の近代化、そして民主化の内部に、例外状態は存在し続けた。
指紋押捺制度は1980年代からの反対運動によって外交問題化し、
2000年には全面廃止に至った。
しかし、2007年から空港などでの入国手続きの一部としてすべての外国籍者
を対象に再開された(旧植民地出身者を対象とする「特別永住者」を除く。)。
わずか7年で復活したのは、テロ対策として米国が空港などで外国籍入国者から
指紋を採り始めたことが契機だった。
帝国主義の下で始まった指紋押捺が、対テロ戦争の下でよみがえり、
まさにふたつの時代を似通わせている。

日本国内でも監視の技法は確実に対象者を広げ、例外から原則へと移行している。
IDカードがそのひとつだ。
2002年から住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)、
昨年から共通番号(マイナンバー)制度によって、日本国籍者にも番号がふられ、
任意でIDカードが発行されるようになった。

国は1970年代に国民総背番号制を推進し始めてから
「便利」「安心」をうたい文句にしてきたが、最初の国民IDカード「住基カード」
が2015年3月の時点で累積有効交付枚数約710万枚と、
12年たっても人口の約5・5%にしか普及していないことは、
この制度が人々に必要とされていないことをなによりも物語っている。
だからこそ二番目の国民IDカード「個人番号カード」で、国は任意の取得を
ほどんど義務と誤解させるまでに宣伝し、さらに交付手数料を無料化した
(もちろんその費用は税金から支払われている)。
総務省はホームページで「就職、転職、出産育児、病気、年金支給、災害等、
多くの場面で個人番号の提示が必要となります」と書き、私たちの人生の
あらゆる変化をこの番号に結びつけ、この番号で振り分け、
この番号によってときに私たちの行く先に待ったをかける。
デジタル時代の今日、ひとつの番号によって収入、職歴、病歴、学歴などが
やすやすと検索できる。
民間企業も利用する。
カードに指紋などの生体認証を導入することもすでに検討されている。
個人番号カードは外国人登録証以上の拘束力を発揮するかもしれない。

こうして近代法と民主主義の例外として開発された監視の技法は、
「コレクト・イット・オール」を公にうたってはいなくても、
いまやすべての人口を照準に入れる方向を目指している。
これはスノーデンが監視によって権利状況が悪化することを正しく感じ取った
ように、権力が個人を取り巻く法の守りを解き、人口を振り分け、
状況に応じて意のままに介入しやすくするためのツールなのだ。
NSA監視システムは、米国由来の情報通信技術と一体化した点で、
他のシステムと比べて群を抜く情報収集能力を実現したといえるだろう。

しかし現代の監視技術が新しいのは「すべてを収集する」点だけではない。
情報通信技術、特にインターネットは世界をつなぎ、自由と平和をもたらす
という夢をいまでも多くの人々に見せている。
「つながる」ことへの肯定感は、人類がこれまで機械やコンピュータに対して
抱いてきた警戒心を、ほとんど払拭してしまったと言ってもいいだろう。
技術は中立的なイメージを超えて、便利で心地のよいものとして受けとめられ、
アップルが新製品を発売するたびに店頭に長い行列ができ、
ポケモンGOにポケモンファンとも思えない大人が雪崩を打つ。
家族といても友人といても一人でいても、みんなが手元の四角い画面を
見つめている。
その画面で名前や電話番号を登録することも便利さを享受するには当然のことだし、
番号を振られることも快適さには欠かせない、と慣らされていく。
技術を批判的に認識することは、日を追って困難になっている。
人々の脳に休まず流れ込むデジタル技術の実は自閉的な心地よさが、
現在の監視システムを強固に支えている。
多くの人がポケモンGOに動かされている自分の体がデータを提供しているとか、
監視されているなんて想像もしないし、仮に頭をかすめたとしても、
自分に害悪をもたらすとは信じられない。
その心地よさが、人々に自ら率先して、ときには楽しく喜んで、
データを提供させ続けている。
だからこそ「べつに監視されても構わない」という受容の態度がいつの間にか
広がっているのだろう。

監視はなぜ世界を危険にするか

冒頭の仮説に戻ろう。
監視によって世界はなぜますます危険になるか。
テロ防止のために構築された大量監視システムは世界を安全にする約束だった。
が、過去15年におよぶ対テロ戦争は世界中で暴力を拡大再生産させている。
この事実だけでも監視システムが平和をもたらさないことを示してあまりあるが、
監視の根源的な作用は歴史をさかのぼることで真に浮き彫りになる。

近代が育てた監視技術は、権力が個人の抵抗をそぎ、同時に人口を利用するために、
民主主義の例外状態である植民地で最も先鋭的に発達してきた。
その技巧がいま、すべての人口を対象にしている。
個人に対する法の守りは解体され、
権力の実効支配すなわち暴力が世界に拡散していく。
当然、対抗暴力も再生産される。
現代の監視技術は個人を剥き出しの生へと変えながら、
世界をより危険な場所へと変容させているのだ。

それと同時に、監視技術の歴史を振り返る作業は、植民地支配下で暴力と一体に
なった監視にさらされてきた人たちの存在を私たちに気づかせる。
最も過酷な暴力と監視を受けてきた植民地は対テロ戦争下でも繰り返し戦場にされ、
いのちが破壊される不条理への憤怒と絶望が複雑に混ざり合って欧米への
対抗暴力に注ぎ込んでいることを、私たちは理解しなければならない。
拡散するテロも史上空前の難民流出もBlack Lives Matter も慰安婦問題も、
植民地の経験を理解しなければ本当には解決できない。
沖縄米軍基地問題もパレスチナ問題も南北格差の問題も、およそ現代世界を
不安定化させている要因は、植民地支配の過去に連なっている。
それを抜きに、昨日の不正義を今日の監視で解決しようとするなど、
どだいあり得ない方程式でしかなかったのだ。
原因を見ずに問題を封じ込めようとする対処法は、
人のいのちを冒涜する行為でもある。

スノーデンが大量監視システムの実態を暴いたように、監視研究はこのすべての
プロセスを目に見えるものにしていかなければならないと私は思う。
それくらい真実は、力ある者にとって都合のいい後づけの宣伝と世論操作に
よって覆い隠されている。
私たちはあふれる情報のなかで、
価値観がますます倒錯する時代に迷い込んでいるのだ。

インターネットの強い信奉者であるスノーデンは、だが同時に、
真実の力を信じる人でもある。
その専門知識をばねに、だれよりも創造的に現代の監視の全体像を私たちに提示した。
彼の言葉にもう一度、耳を傾けよう。
(159ページから170ページ)

監視が未来を消滅させる

スノーデンのプライバシー論

、、、
「みんな、なにが起きているのかを知りたがっています。
人々は監視をどうでもいい問題とは思っていないからです」
とスノーデンは聴衆の反応について言った。

「政府はよく監視について『隠すことがないなら恐れることはないだろう』
と人々に向かって言います。
このフレーズはナチスのプロパガンダから来ています。
けれどプライバシーはなにかを隠すためにあるのではありません。
プライバシーはなにかを守るためにある。
それは個です。
プライバシーは個人が自分の考えをつくりだすために必要なのです。
人は自分の信じるところを決定して表現するまでに、他人の偏見や決めつけ
を逃れて、自分自身のために考える自由が必要です。
多くの人がまだそのことに気づいていませんが、だからプライバシーは
個人の権利の源なのです。
プライバシーがなければ表現の自由は意味をなさない。
プライバシーがなければ、言いたいことを言い、あるがままの自分ではいられない。
プライバシーがなければ自分を個人とは主張できない。
それは全人格を集団に吸収されることです。
どこかで読んだことを話し、友だちの考えたことを繰り返すだけなら、
オウムと一緒です」
(171ページ)

【以上、「スノーデン、監視社会の恐怖を語る」
独占インタビュー全記録、小笠原みどり、毎日新聞出版、2016年、から抜粋】

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