対米従属を生み出す構造はここにあった

・・・従属には原点というものがあります。
ドイツと異なり、アメリカに対して反抗できない人々が、
日本では政界の主流にならざるを得なかった原点です。

敗戦にともなう占領が終わっても、事実上、占領の継続が続くという
特有の問題もありました。
それを独立国として選択したようなかたちをとったので、
独立国なのに従属的な態度をとるということが前例として残ったのは、
その後にとって否定的な影響を与えました。

新安保条約下では、過去の前例を楯にして、アメリカのやることを
何でも支持する、悪いことも見逃すということが行われました。
そして、その新しい前例が、その次の前例を生み出すという悪循環に
陥ります。

時間が経ったから自主性が回復されるということはなく、
その時間の経過のなかで前例がくり返されるので、時間が経てば経つほど
従属度が深まっていったのです。

しかし、そういう前例があったとしても、本当に腹をくくって克服しよう
と思えば、何とかなったはずなのです。
それなのに、なぜ腹をくくれなかったかといえば、いちばん大事な問題で
アメリカ任せだったからです。

日本政府は1960年代末、アメリカの核の傘に入ることによって、
日本の平和を究極的に担保するのは、非常時にはアメリカに核兵器を使用して
もらうことだと覚悟を決めたのです。
日本の平和を担保するのは日本の決断ではなく、アメリカの気持ち一つだ
ということになると、アメリカがちゃんと日本のことを大事に考えてくれる
よう、すり寄るしかなくなってしまう。
たとえ核兵器の使用であれ、その判断に日本が加わるというなら、
その決断が日本のために必要かどうかを自分の頭で考えることができるのに、
アメリカ任せになっているので、本当に日本のために使ってくれるか不安に
なり、ただただアメリカに従属するしかなくなってくるのです。


「核抑止力依存」に替わる政策が提起されてこなかった

そういう日本の政策は、日本国民の強い反核世論を背景にして選択された
ものです。
というよりも、日本に核兵器が持ち込まれることが明らかになったり、
日本が核兵器の使用に関わることが表沙汰になると、自民党政権に対する
国民の支持が弱まるので、日本とアメリカの政府がいっしょになって
つくり出したものです。
自民党政権が倒れるくらいなら、NATOと異なり不便はあるけれど、
こんな程度にとどめておこうということだったのでしょう。
日本型核抑止力依存政策は、保守政権の永続化と一体のものだったわけです。

しかし、日本の国民も、うすうすはそういう事情があることを分かりながら、
その政策をとる自民党政権をずっと支持し続けてきました。
その点で、日本の対米従属が継続しているのには、責任の性質は
自民党とは異なりますが、国民の責任もないわけではありません。

大事なことは、日本型核抑止力依存政策が対米従属を生み出すのなら、
別の防衛政策がなければそこからは抜け出せないということです。
それなのにこれまで、核抑止力に替わる防衛政策の対案は提示されて
きませんでした。
ソ連や中国が核兵器を投下してきた時にはこうする、という答えが、
防衛政策の分野では、核抑止力以外には出てこなかったということです。

・・・この状態を打開しなければ、いつまで経っても対米従属は続きます。
「戦後70年以上経ってなぜ対米従属か」という本書の結論はここにあります。
それならば、対米従属から抜け出すために、
日本型核抑止力依存政策に替わる新しい政策が待ち望まれます。

・・・
核兵器の先制使用政策は見直さなければならない

こうした戦略協議が実現するとなれば、相手国が核兵器を使わない段階でも
こちらは使うという核兵器の先制使用(first-use)問題については、
徹底的に議論する必要があります。
日本は、アメリカに対し、少なくともアジアにおける先制使用はやめるべき
だと提言するべきでしょう。

オバマ政権当時のアメリカは、一時期、この方向を模索しました。
「核態勢の見直し」(2010年4月)では、核の先制使用を見直すことを
将来の課題としましたし、政権の最後の時期にも追求したようです。
この課題は空想的なものではなく、いつ何時、
現実になってもおかしくないのです。

ところが、日本政府はそれに反対し、変化は生まれませんでした。
抑止力は強大であればあるほどいいという信仰は、安倍内閣では
さらに強まっているようです。
しかし、相手が核兵器を使用せずともこちらは使う
という考え方は、対中国の防衛政策はどうあるべきかという見地からも、
根本的に見直さなければなりません。

そもそもアメリカが核兵器の先制使用という方針をとってきたのは、
この方針を適用する対象として、冷戦中のソ連を想定していたからです。
膨大な数を誇ったソ連の地上軍が、東欧諸国の軍隊とともにドイツに
迫ってくる時、欧州諸国の地上軍では太刀打ちできないと考えられたので、
ソ連が核兵器を使用しない段階でもNATOとしては核兵器を使うことにした
のです。

この点は、日本をめぐる状況とは大きく異なります。
中国や北朝鮮の核兵器を脅威だと位置づける場合でも、中国や北朝鮮が
日本を一気に占領できるだけの地上軍を日本海を越えて投入するという
シナリオは、非現実的なものです。
相手が核兵器を使わない段階では、日本防衛のためには通常戦力を使う
というのが現実的だし、
日本国民の多数もそれを支持するのではないでしょうか。

もちろん、この構想を進める上では、中国に対しても同じ対応を求める
必要があります。
NPT条約を改正し、非核国への核使用を禁じるという選択肢も
あり得ると思います。


冷戦時代とは戦うべき相手が違う

さらに進んで、抑止力という考え方それ自体にも、
転換をもたらすことが求められます。
抑止力ということばを使う場合も、その中身を抜本的に変えていくことが
大事です。
今、従来型の防衛戦略をそのまま継承するのが適切なのかが、
根底から問われているからです。

すでに述べたことですが、核抑止という軍事戦略は、核兵器がこの世に
あらわれた時から存在したものではありません。
戦後の世界で、ソ連がベルリン封鎖を強行し、西側諸国を軍事力で制圧する
姿勢をあらわにするなかで誕生したものです。

・・・一方、私たちが生きている今の時代において、日本も含めた
世界にとって、安全保障上の最大の問題とされているのはテロ問題です。
相手を上回る軍事力で威嚇すれば攻撃されることがないというのが
抑止力の前提であり、それはソ連に対しては有効だったのかもしれませんが、
テロに対してはこうした抑止が効かないことは、すでに常識だと言えます。

オバマ政権が成立当初、核兵器のない世界を構想したのも、
同じ考え方からでした。
キッシンジャーその他、アメリカの核抑止戦略を推進してきた人たちも、
テロには抑止は有効でないという考え方から、核兵器の廃絶を提唱しました。

ところが、その方向はいつの間にか頓挫し、テロに武力で立ち向かう従来型の
戦略が追求されています。
そして、テロリストに抑止戦略が通用しない現実を、いま私たちは日々、
体験しているのです。

もし私たちに多少の学習能力が残っているとするなら、世界の変化、
戦うべき相手の変化を冷静に見つめ、「抑止力を強化していれば安心」
という信仰から、できるだけ早く抜け出さなければなりません。
テロに反対する私たちの側が、住民の命を助け、暮らしを向上させている
という現実を見せていくーーーこれだけが、テロリストを孤立させ、
対テロ戦争に勝利する道です。
日本がやるべきことは明白でしょう。

(「対米従属の謎」どうしたら自立できるか 松竹伸幸、221p-、2017)

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