医療・教育支援 静岡・島田市の医師

レシャード・カレッドさん 長野で15日に講演
アフガン 戦争は心まで破壊  日本が和平の基盤を

静岡県島田市で開業するアフガニスタン生まれの医師、
レシャード・カレッドさん(66)が15日、長野市の清泉女学院大で
「医療から見た人生、苦しみとしあわせ」と題して講演する。
日本を留学先に選び、京都大医学部を卒業、島田市で地域医療を実践する一方、
アフガニスタンで医療・教育の支援活動を続けてきた。
講演を前に、医療人としての歩みや平和への思いを聞いた。
(編集委員 増田正昭)

「子どもの頃のアフガニスタンには助け合い、
自然とともに老い、死を迎える穏やかな暮らしがあった。
客が幸せを運んでくるとされ、ごちそうでもてなしました。
ところが、戦争によって自分たちが食べられなくなり、
分け与えるゆとりがなくなり、奪い合うようになった。
心まで破壊されてしまう、それが戦争なんです」。
レシャードさんは、かつての美しい山河や畑、
街並みの写真を見せながら、こう切り出した。

・米ソのエゴ

混迷は冷戦の最中の1979年、ソ連軍の侵攻によって始まった。
米国などが反政府・反ソを掲げるムジャヒディン(自由戦士)に
大量の武器や資金を与えて対抗、米ソの代理戦争の様相へと発展した。
ソ連軍が撤退した89年までに100万人超の一般人が犠牲になったとされる。
「後には大量の武器や無法者たちが残され、内戦に陥った。
大国のエゴが一つの国を台無しにし、大勢の人生を狂わせたのです」。
レシャード先生の口調はあくまで穏やかだ。

内戦を治めたのはイスラム神学生の武装集団タリバンだった。
だが、2001年の米中枢同時テロを受け、米国はタリバン政権が
国際テロ組織アルカイダの拠点であるとし、空爆に踏み切った。
政権は崩壊したが、15年たった現在も治安は回復していない。

・診療所や学校

ソ連軍侵攻前の1969年、医師を目指して来日した。
「日本人が支え合って戦後の復興を成し遂げたことを本で知り、
どうしても留学したいと思った」。
76年に京都大医学部を卒業、勤務医を経て93年、島田市で開業した。

ソ連軍の侵攻を知ったのは、奈良県内の病院に赴任した頃。
ようやく連絡がついた妹は難民キャンプにいることが分かった。
多くの友人や知人が亡くなり、獄死したいとこもいた。
「アフガニスタンで医師になるつもりだったが、帰れなくなってしまった。
以来、何かをしなければ、との思いがずっとあった」

80年夏、薬剤や医療器具を持参して難民キャンプに出向き、
医療支援に乗り出した。
1人で続けていた活動は2001年、米軍の空爆がきっかけで広がりを見せる。
空爆に抗議する地元静岡県での集会に参加した市民から、
「あなたが先頭に立って組織を立ち上げたらどうか」
「われわれも手伝いたい」
といった激励が相次いだのだ。

翌年、静岡県ボランティア協会の協力で、
医療・教育の支援を目的とした「カレーズの会」を発足させた。
カレーズは畑を潤す地下水脈の意味だ。
これまでに南部の都市カンダハルに診療所を開設したり、
学校を各地に造ったりと、実績を積み上げてきた。

「診療所では約45万人の患者を治療してきましたが、
需要はますます高まっている。
カンダハルに造った学校には、千人を超える子どもたちが通っています」

・信頼と不安

手応えを感じるレシャードさんだが、気掛かりなことがある。
「日本は長年、アフガニスタンに独自の支援を続け、大きな信頼を得てきた。
だが最近は、政府やマスコミの関心が薄くなっているのではないか。
カレーズの会の会員も減り続けています。
和平の基盤をつくることができるのは、日本なんです。
それが中国に取って代わられようとしている」

もう一つ懸念するのは、集団的自衛権を認めた安保法制だ。
「日本が信頼され、尊敬されてきた背景には、
二度と戦争を起こさないと誓った憲法9条がある。
その枠が外れたらどうなるか、アジアの国々には
不安を抱く人々が少なくないことを、ぜひ知ってほしい」

講演会は15日午後1時半から4時半。
民族音楽の演奏も。
一般1000円、学生500円。
問い合わせは、信州イスラーム世界勉強会
(電話、0263・50・5514)。


レシャード・カレッド
1950年、アフガニスタン・カンダハル生まれ。医師。
76年、京都大医学部卒。93年、島田市に医院を開設。
同国支援の「カレーズの会」主催。
著書に「知ってほしいアフガニスタン」
「戦争に巻きこまれた日々を忘れない」(共著)など。

信濃毎日新聞 2016年10月12日

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