*病院の通訳ボランティア  若月俊一

私どものような山間農村部にも、最近は外国人労働者が多くなった。
接客業に働く若い女性外国人も少なくない。
その人たちが病気をする、怪我をする。
エイズの心配もある。
そういう外国人が病院にくる、救急車で運ばれてくることもある。
そこで、佐久総合病院では、92年から「外国人医療相談室」を
開くことに決めた。
相談料は100円。
出稼ぎの日系人やタイ、フィリピンなど東南アジアからの外国人労働者
が多く、安い賃金で、しかも不潔な生活をしているから、病気も多い。
ところが、言葉がうまく通じないから相談相手もなく、
つい病気をこじらせてしまう。
悲惨なケースも少なくない。

そこで、その「相談室」で、医者に行かなくても済むような場合は、
アドバイス。
医者に診てもらわなければならない場合は、その医療費。
さらに日本の医療機関の利用の方法などをいろいろ教えてあげる。
そのために医師、看護婦、ケースワーカーなどが一緒になって、
その相談にのるのであるが、問題は外国語がよく分からない。

ところが、病院の研修医色平君が、そのボランティアを連れてきた。
スペイン語、ポルトガル語は、芝平さん。
上田市の小学校の先生である。
タイ語は軽井沢病院の放射線技師、横田さん。
英語は、日本人を妻とする臼田町の英人クラークさん。
月一回を二時間、いずれもボランティアとして参加してくれるのである。
私はこの人たちと面接して、いろいろお話を聞き、深く感動した。
この山の中にも、外国人労働者の健康な生活のために働こうとする
こういうヒューマンなインテリがいるのである。
「社会参加の姿勢弱い日本のインテリ」なんていえたものではない。
日本は「ボランティア貧国」だなんて簡単に決められるものではない
といいたい。

92年9月、国際農村医学会の理事会で私はオーストリアのウィーンにいた。
夕方、テレビのスィッチを入れると、画面にわが長野県の小諸市の話が
出てくるではないか。
小諸で働いている若い女性の外国人たちがハーフの赤ちゃんを産んだという。
その数が二十数人。
しかし、いずれも国籍がとれないで困っていると。
相手は日本人と分かっているのに、個別にはそれが認知されない
というのである。

ボランティアに来てくれる前述の芝平さんたちにその話をしたら、
「外国人労働者の人権を守ることは、日本人の任務じゃないでしょうか」
と答えた。
戦前では、「からゆきさん」といって、
東南アジアに働きに行く日本女性が多かった。
今では逆に「ジャパゆきさん」といって、日本に働きにくる向うの
女性が増えてきているのである。
貧しい人たちはいつもそういう目にあうのである。
決して他人事(ひとごと)と黙って過ごせるものではない。
・・・

(「ボランティアのこころ」若月俊一、1993、169頁から171頁)

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