米製薬会社が狙う日本市場ーーTPPの闇を斬る

デモクラTV共同企画 第4回 寺尾正之 全国保険医団体連合会

公的資金の投入で成立してきた国民皆保険制度。
年間42兆円とも言われる日本の医療市場を米国の保険業界などが狙っている。
「デモクラTV」と本誌との共同企画第4回は、医療分野におけるTPP
(環太平洋戦略経済連携協定)の特徴を寺尾正之氏が解説する。

ーー国民皆保険はTPPの対象外と政府は言っていますが。

協定書には日本の国民皆(かい)保険への言及はありません。
ところが「TPPの並行協議」と呼ばれる日米の二国間協議に
しっかり盛り込まれました。
協定と同時に2月4日に交わされたサイドレター(交換公文)には、
「公的医療保険制度」を「協議する用意があることを確認」と明記されました。
いつから何を協議するかは書いていません。
「協議する」という確約だけをさせられた形です。

ーーサイドレターとは?

交渉の到達点を確認する書簡で、日本の閣僚や駐米大使が政府を代表して
フロマン米通商代表に宛てたものです。
米国の保険業界が狙っているのは日本の医療市場です。
公的保険がまだ十分でない途上国を含めTPP全体で協議するより、
圧力をかけやすい日米交渉を選んだのでしょう。
駐米大使が公文で約束したのだから米国にとっては大きな成果です。
政権が代わっても日本は責任を負うことになるでしょう。

ーー日本の医療市場は魅力的?

日本の医療費は年間約42兆円。
米国に次いで大きな市場です。
公的資金が入った国民皆保険が支えになって所得の低い人も
安心して医療を受けられる。
世界一の長寿国になったのもそのおかげです。
米国には皆保険がない。
医療は民間保険会社の商売のタネで、
富裕層や大企業の従業員などが加入しています。
米国に次ぐ日本の市場に関心がないわけはありません。
製薬企業も日本を狙っています。

バイオ医薬品戦略

ーー医薬品はTPP交渉でずいぶん揉めました。

ところが協定には「医療」という章はありません。
26章の「透明性」、18章の「知的財産」という分野で、
薬価決定の仕組みや特許・データの保護期間といった
「クスリの値段」に絡む交渉が行なわれた。
背景にバイオ医薬品という新しい製薬技術の登場がある。
化学合成で作られた従来の薬品と異なり遺伝子操作など生物由来の
新技術で薬品が創られるようになった。
病気に良く効くが値段が高い。
こうしたバイオ医薬品で世界市場を席巻するのが巨大製薬会社の戦略です。
それぞれの国で薬価の決定に関与し、特許期間を長く延ばして超過利潤を得る。
TPP交渉にはことのほか熱心なのが米国の薬品業界でした。

ーーバイオ医薬品が主流に?

世界で売られる医薬品トップ10のうちすでに七つがバイオ医薬品です。
経済産業省によると世界のバイオ医薬品市場は2015年で1900億ドル
(約22兆円)。
医薬品売り上げ高は上位30社に米国が13社、43%を占め突出している。
巨大製薬会社が米国の交渉力を使って自分たちのビシネスに有利な制度を
各国に作ろうとしています。

ーー制度の透明性とどう関係が?

協定の附属書で「医薬品及び医療機器に関する透明性及び手続の公正な実施」
との規定が加えられました。
それぞれの国に薬価や保険対象にする薬を決める「透明で公正」
な手続きを求めています。
利害関係者に説明し、意見を聞く。
当たり前のような表現ですが、ここがキモです。
利害関係者とは製薬会社。
米国の製薬資本の言い分を聞け、ということです。

ーー米国が日本に要望していることですね。

2011年の日米経済調和対話に「利害関係者と国民に対する審議会等の開放性
に係わる要件を厳格化」し、「審議会等の透明性と包括性(インクルーシブネス)
を向上させる」という項目が入った。
薬価でいえば審議会とは、公的医療保険の薬価を決める厚生労働省の
中央社会保険医療協議会のこと。
実務を担う薬価専門部会などに米国製薬企業の代表を加えろと要求しています。
発言権を強め、保険が効くクスリを増やし、薬価を引き上げる。
そこが狙いです。

ーー公的医療保険が利用される?

日本の公的医療保険は国民に支持されている。
簡単には潰れない。
それならこの制度を利用して儲けよう、という作戦でしょう。
がん保険を売る米国の保険会社が郵便局のネットワークを利用するのと同じです。
日本に根付いた制度を自分たちのビジネスに使う。
たとえば米国で開発されたハーボニー配合錠というC型肝炎の治療薬は
1錠約8万円します。
治療に必要な12週間服用すると約670万円かかる。
昨年から保険が適用され、月1万ー2万円の負担で済みます。
患者には朗報ですが保険財政には負担です。
米国でこの薬は1錠約12万円。
薬価の算定は他国との比較が目安になっています。
外資製薬が審議に加われば薬価は高くなる恐れがある。
保険財政は悪化し、利用者負担やサービスの低下につながり、
制度の屋台骨が揺らぎかねません。
皆保険のない米国では服用できるのは富裕層だけ。
誰もが利用できる皆保険がある日本は、
薬価を8万円に抑えても大変な負担になります。
クスリは誰のためにあるか、という問題です。

公的医療保険の民営化も

ーー長い目で見ると国民皆保険が危なくなる?

健康と命を守る保険制度を守るには薬価の決め方はどうしたらいいか、
という利用者の立場に立った透明なルール作りが大事です。
TPPで語られる透明性は巨大製薬会社の利益確保です。
協定が動き出すと国民の側に立ったルール作りが阻害される恐れがある。

ーー新薬の特許やデータ保護の期間が争点になりました。

バイオ医薬品の特許やデータ保護を長く伸ばしたい米国と、
短くして薬価を抑えたい参加国とで紛糾しました。
しかし甘利明TPP担当相(当時)は、「交渉をまとめる行司役」
などと言って玉虫色の妥協策を提案するなど、米国寄りの姿勢に終始しました。

ーーどんな決着に?

新薬は特許出願から販売承認までには時間がかかります。
米国は販売承認まで特許期間が浸食されていると主張し、
その年数に見合うだけ特許期間を延長するよう求めた。
協定はこの主張に沿い販売承認までの年数に「不合理な短縮」
と見なされる年数があれば、特許は延長されることになった。

ーー日本への影響は?

日本では特許期間は「出願から20年」です。
新薬の認可は治験などに時間がかかり出願から販売まで
概(おおむ)ね10年かかっている。
どこまでが「不合理な短縮」と判定されるのかはこれからです。
政府は「最長5年の延長期間があるので影響はない」と言っていますが、
米国が相手では、5年を超える延長が認められる可能性もある。
北米自由貿易協定(NAFTA)では、米国の製薬会社がカナダ政府を
新薬の認可を遅らせている、とISDS条項を使って訴えています。
日本でもそんなことが起きかねない。
特許延長が5年以内に収まる保証はありません。

ーーバイオ医薬品では新薬のデータ保護期間が焦点でした。

新薬データというのは料理のレシピみたいなもので、公開されれば
ジェネリック(後発)薬品が製造できる。
安い模倣薬品が出回れば多くの命が助かるので、途上国は早期に
データ開示することを求めています。
米国は「販売承認から12年」を主張。
「8年」で決着したように言われていますが、「8年に限定することができる」
という表現に留まり、限定しないこともあり、という曖昧な決着です。

ーー特許期間と同様、曖昧な表現で実際の決着はこれからですね。

バイオ医薬品はこれから市場が広がる。
協定発効後10年で再協議されることになりました。
市場で優位に立つ米国の製薬企業はTPPの結果に満足せず、
特許やデータ保護の期間延長を強く求めるでしょう。
日本の薬価は米国の次に高く英国の2倍の水準です。
当面は公的医療保険を通じて高い薬を売りまくる。
制度が負担に耐え切れなくなれば、二国間で確約し、
公的医療保険の日米協議で民営化が浮上するかもしれません。
TPPの議論は国民皆保険の在り方と表裏一体となっているのです。

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ISDS条項とは:
投資家と国家(Investor-State)の紛争解決(Dispute Settlement)
の頭文字をとってISDS条項と言う。
利害が絡む争いを調停するのは裁判所の役割だが、ISDS条項が使われる
と裁判制度の枠外で政府を相手どり、企業は訴訟を起こすことができる。
原則、米国ワシントンにある投資紛争解決センターが判定を下す。
本誌5月13日号の連載第2回で孫崎享氏が解説。

(構成 山田厚史・ジャーナリスト、デモクラTV代表。)

【週刊金曜日 2016年5月27日 掲載】

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