敗北からも学ぶ


長野県の戦後民衆思想にとって重要な人物の一人に山本茂実(しげみ)がいます。
『あゝ野麦峠』の著者として知られていますが、戦後の文化運動のなかで
『人生記録雑誌 葦(あし)』を刊行してきた編集者としてご存知の方も
多いと思います。
松本近郊に生まれ、近衛兵(このえへい)として大陸に出征しますが、
病気を得て帰国、以後、陸軍の療養所で詩作と思索の日々に入ります。
戦後、青年団運動に参加するなかで次のようなことばを残しています。
「命令一下の民主主義は命令一下の戦争につながる」。
天皇の「詔勅(しょうちょく)」一本で「終戦」したということは、
再び三度(みたび)、「詔勅」が下れば、再び三度戦争が始まるということでは
ないのか、そして現在の「民主主義」も、占領軍とそれに追随(ついずい)
した日本支配層の「命令一下の民主主義」ではないのか、と。
「自分のあたまで考えること」が、山本茂実の「敗北」から学んだことだったのです。

常磐(じょうばん)炭鉱争議の経験のなかから山代吉宗(やましろよしむね)は
次のような趣旨のことばを語っています。
民衆は「かたつむり」のようだ、普段は、何ごとかあると、
すぐに体を堅いカラのなかに引っ込めてしまう。
ファシズムは、そうした民衆のことをよく知っていて、
カラごと引っ張っていってしまう。
そうした民衆に、上から「運動」や「問題意識」を語っても意味がない、
むしろ「かたつむり」がカラから出て、自由に身体をのばせるような場所を
作っていかなくてはならない、と。
だからこそ、戦時下の過酷な状況のなかで山代吉宗は、パートナーであった
巴(ともえ)とともに京浜工業地帯で1つのサークルを作る試みを行っていきます。
星座のわからない「女工さん」には、吉宗がていねいに教えてあげ、
休日にはピクニックに行く。
吉宗・巴のサークルは「質問ができる雰囲気をいかにつくるか」、
ということを念頭におきながら、活動を展開していきました。
次第に、職場の待遇改善の問題も、「女工さん」たちのあいだから
出て来ることとなります。

【大串潤児(おおぐしじゅんじ)著 「敗北」からも学ぶ より抜粋】
(ニュースレター「平和の種」63号 2016・5・15掲載)

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