リベラルアーツと批判的思考


初代学長の湯浅八郎は、「国際」に倣って「宗際」という言葉を創った。
今日で言う「宗教間」の対話や相互理解の促進を願う言葉である。
「国際」がまず国ごとの確立されたアイデンティティを前提した上で、
お互いの交わりを求めるように、
「宗際」もそれぞれの宗教の独自性を確立しその固有性を認めた上で、
他宗教との相互理解を図る。
宗教間対話の歴史が示すのは、真摯な対話は各自の明確な
アイデンティティがあってこそ可能だ、ということである。

本学は、そのアイデンティティの拠り所として基督教を選び取り、
これを大学の名称に定めた。
それは本学の性格に対する自己限定であり、限定による使命の明確化である。
「グローバル」という言葉が多用されるようになった今日、
この使命はますます明確になっている。
本学が育成しようとする「地球市民」は、自己のアイデンティティを
溶融させて世界を漂流する根無し草のような存在ではない。
みずからの拠って立つところを公言してそれに責任をもち、
その上で他者の価値観に心を開き、他者からの人格的な信頼を得て、
学びと交わりへ歩み入ることのできる人間である。

開学以来、本学がリベラルアーツによる「批判的思考力」の育成
を重視してきたのも、このゆえである。
人は誰しも自分なりの価値観や常識を有しているが、いつもそれに
自覚的であるわけではなく、それが偏見や差別を生まないとも限らない。
「批判的思考」とは、他人の考えに批判的になることではなく、
自分自身が知らずに備えているものの見方を吟味し検証することである。
そのためには、自分とは異なる世界から異なる価値観を携えて
来る人々との出会いが不可欠である。
異質な他者とのこうした出会いは、閉鎖的で排他的な世界観から自己を解放する。

「人間を自由にする学芸」たるリベラルアーツの教育は、
かくして大学の国際化と密接で互恵的な関係にある。
それは、一方で自己の存立の根拠を確認し深化させるが、
他方でその自己が何ものかに囚われており、解放が必要かもしれない、
という自覚を生む。
そのような人は、新たな知に対して謙虚になり、
生涯を通して学び続けたいと願うようになる。

将来の世界を担い、他者からの信頼を得て
「国際的社会人としての教養をもって恒久平和の確立に資する」
ことができるのは、この両面を備えた人間である。
本学はそのような学生の育成を目指す。

http://www.jsps.go.jp/j-sgu/data/shinsa/h26/sgu_chousho_b13.pdf
その67ページより

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