ありのまま受け入れ 死は敗北でない
日本農業新聞16年3月24日
ありのまま受け入れ 死は敗北でない
コラム JA長野厚生連佐久総合病院地域ケア科 医師 色平哲郎
高齢者の医療や介護、福祉の現場で働いていると、
ときどき、とてもむなしくなることがある。
いくら頑張って、懸命に患者、利用者のお世話をしても
「ゴール」が見えないのだ。
そして、ゴールがあるのだとすれば、その方が亡くなったとき。
しかし、死をもってゴールとするのは、あまりに寂しく、つらい。
若いスタッフの中には、労働環境の厳しさとともに、
先が見えない苦しさにつぶされ、燃え尽きる人も少なくない。
いや、医療や介護だけでなく、ストレス過多の現代社会では、
どんな職業でも高いモティベーションを保ち続けるのは難しいのかもしれない。
某日、訪問診療の帰りの車の中で、ラジオから
「手紙~親愛なる子供たちへ」という曲が流れてきた。
歌手の樋口了一さんが歌う。
「年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解してほしい」
「私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたにいろんなことを教えたように見守ってほしい」
穏やかなメロディーにどんどん引き込まれた。
元の歌詞はポルトガル語で、作者不詳という。
歌はこう締めくくられる。
「あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き合ってほしい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい」
樋口さんによると、「必要とされている人の元へ自ら歩いていく曲」だという。
友人、知人にこの曲を紹介すると、たくさんの反響が寄せられた。
認知症の人の介護者からは「いい詩をありがとう」、
若者からは「いつか行く道ですね」と。
老いも、病も、ありのままに受け入れるしかないのだろう。
死は決して敗北ではない。
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