人間とは 1 どこから・どこへ

信濃毎日新聞 2016年1月1日

分かち合い 人間の根本  

絶えない紛争、相次ぐテロ事件ーーと、
人間同士の争いの根深さが際立つ中で、新しい年を迎えた。
エゴをむき出しにした対立は、人の本質なのか。
いったい「人間らしさ」とは何なのか。
人間はどこから来て、どこへ向かおうとしているのか。
あらためて問い直す時だ。
さまざまな分野の研究者らにインタビューし、
人間の本質について考えたい。
初回は霊長類学者で、ゴリラの研究で知られる山極寿一・
京都大総長(63)に話を聞いた。

・ ゴリラの研究から

人間とは何か、人間の社会はどんな特徴を持っているのかーー。
こうした課題を、人間に近いゴリラやチンパンジーといった
類人猿やニホンザルなどの研究を通して解明していこうというのが、
霊長類学の立場です。

私は1978年から、アフリカ各地でゴリラの研究に取り組んできました。
ゴリラは原則として、1頭のオスと複数のメスが家族のような集団をつくる。
彼らを研究することで、人間の家族や社会の原初の姿が見い出せるのでは、
と思っています。

ゴリラの集団の特徴の一つは、体の大きさから来る強い・弱い、
優劣の関係をあまり行動に反映させないことです。
例えば、食物をめぐって体の小さいゴリラが、
大きなゴリラに敢然を主張をするときがある。
そうした場合、強い者が弱い者に譲るのが原則なんです。
弱い者が引き下がる行動はほとんど見られない。
チンパンジーにも似たような習性が見られます。

一方、ニホンザルは、優劣が端的に行動に反映される。
食物は弱い者が抑制し、強い者が獲得する。
弱いサルは「わたしはあなたより弱いから」という態度を取り、退散する。
食物や性をめぐる衝突を、強い、弱いという基準で避けようという社会です。

・ 高い共感力

食物の分配という観点から人間を見ると、
ゴリラやチンパンジーとは大きく異なっています。
彼らはその場で食べるが、人間は仲間のもとに持ち帰って、
あらためて分配する。
私は「積極的分配」と呼んでいます。

約300種いる霊長類の中で、食物の分配をするのは3分の1くらい。
ほとんどが親から子へ、大人から子どもへと与えられる。
食物を確保できない子どもに、大人が与える。
それが大人同士の間にも広がり、ある系統群だけに、
食物の分配が大人の間でも起きるようになった。
そのような進化の流れが明らかになってきました。

そして、1種だけが血縁関係もない、見ず知らずの他人にも気前よく分配する。
それが人間なんです。
なぜ人間だけが、食物を積極的に分かち合うのか。
次のようなことが考えられます。

はるか昔、人間は長い間暮らしてきた熱帯雨林を離れて、草原へと進出を始めた。
それによって人間は二つの大きな課題と向き合うことになった。
一つは、食物を求めて遠い距離を移動しなければならなくなったこと。
もう一つは、樹木の少ない草原で、大型肉食獣の餌食になったことです。

長距離の移動と肉食獣から身を守ること。
この二つは矛盾する課題です。
長い距離を移動するには、体力のある少数集団が望ましい。
一方、肉食獣から身を守るには大きな集団の方が有利です。

この矛盾に対処するため、人間は家族という集団と
複数の家族から成る共同体という集団を同時につくったのです。
家族だけでは子どもの安全を守り、育てることができないから、
共同体で行う。
食物は体力のある者が遠方まで出掛けて調達し、
持ち帰ってみんなで分配する仕組みです。

武器も言語も生まれる以前の時代に、人間は家族と共同体の
二重構造の社会をつくり、食物を分かち合い、協力し合って子どもを育て、
生き延びてきた。
全ての行動が分かち合うことに収斂(しゅうれん)する、
非常に高い共感力を備えた社会だったはずです。
ここに人間性の根本が座っている、と私は思っています。

・ 共同体再生

現代は、食べたいものは何でも一人で調達できる。
無理に一緒に食べなくても構わない。
かつて共同体が責任をもって育てていた子どもは、
密閉した家の中で親だけが育てるようになった。
経済の仕組みは将来の欲望を実現するために投資やローンを抱え、
いまの自分は未来の奴隷になっている。
家族が孤立し、個人が孤立する時代です。

人間が何百万年もの間、分かち合うことでつくってきた社会が、
技術の進歩によって崩れ去ろうとしているのではないかと危惧しています。
自分の欲求を満たすだけで、本当に幸福になれるのか、
真剣に考え直さないといけない。

求められるのは、他人を信じ、共感し合える社会をつくることです。
例えば、みんなで何かを一緒にする楽しさを味わえる社会、
まさに地域共同体を再生させることです。

IT社会は、階層や中心をつくらない、自由で開かれた特性がある。
技術の進歩が後戻りできない以上、利点を生かす方法が考えられる。
IT社会を現実のコミュニティーと連結させ、
信頼し合える地域の関係を担保していく。
さまざまな方法で、分かち合う社会を新たにつくっていくことが
急務だと思います。

(聞き手=編集委員 増田正昭)


日本の霊長類学:
日本の霊長類学は、京都大名誉教授の今西錦司さん
(1902ー92年)が創始した。
動物にも社会や文化があると考えた今西さんは京大の無給講師だった48年、
当時の学部学生伊谷純一郎さん(京大名誉教授・故人)と
川村俊蔵さん(京大名誉教授・故人)と共に、
宮崎県・幸島で野生のニホンザルを調査したのが始まり。
独自の方法でニホンザルの社会構造や文化を解明し、世界から注目された。
京大を拠点とする研究は、アフリカのゴリラやチンパンジー、
アジアや中南米の霊長類にも対象を広げ、
近年はゲノム解読など総合科学として発展している。


やまぎわ・じゅいち:
1952年、東京生まれ。
京都大大学院教授を経て、2014年10月から同大総長。
ゴリラ研究の第一人者として知られ、研究を基に初期人類の家族や社会
の原型を探るなど、幅広い分野で発信を続ける。
著書に「ゴリラ」「暴力はどこからきたか」「人類進化論」など


写真キャプション =強い者が弱い者に食物を譲るゴリラの社会=
(山極さん撮影・提供)

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