【TPPは1%と99%の間の情報戦争】

ジャーナリスト堤未果氏 「国民皆保険の切り崩しは始まっています」
2015年12月7日(C)日刊ゲンダイ
堤未果氏は各メディアで発言、執筆・講演活動を行っている
 
臨時国会を拒否し、2日間の閉会中審査でTPP審議をはぐらかした安倍政権がバラマ
キを始めた。最も反対の声が大きい農林水産業界を黙らせ、国民が売国条約の全容を知
る前に承認に持ち込もうというハラなのだが、問題は農業だけじゃない。米国が狙う本
丸は医療分野だ。その懸念を早くから訴えてきたこの国際ジャーナリストの堤未果氏は
、「国民皆保険制度の切り崩しはすでに始まっている」と警鐘を鳴らす。

――10月に大筋合意したTPPの全文が11月にようやく公表されました。

日本政府が作成した30章97ページの「TPP協定の全章概要」はかなりはしょって
います。ニュージーランド政府の英文文書はまったく同じ内容なのに598ページ。文
書を含めた全体では1500ページ超が215ページに縮められています。話になりま
せん。

――日本政府が公開したのは本当の意味の全文じゃないんですね。

私が取材している医療や食品にとって重要な「知的財産章」「投資章」「透明性及び制
度に関する規定章」は、138ページが21ページに圧縮されています。そもそも、T
PPの正文(国際条約を確定する正式な条約文)は英語、仏語、スペイン語。域内GD
Pで米国に次ぐ経済力のある日本が入っていないことになぜ外務省は抗議しないんでし
ょう? 「不都合な真実」を国民に知られまいと、外務省が正文扱いを断ったんじゃな
いかという臆測まで広まっています。

――一般の国民が全容を知るのは不可能に近いですね。国会議員でも怪しいところです
が。

外務省は英語正文を読み込める国会議員はいないとタカをくくっているんです。外務省
が都合よく翻訳した「概要」をベースにいくら審議を重ねても意味がない。いつものよ
うに手のひらで転がされるだけです。

■TPPの正文翻訳を急がなければ安倍政権の思うツボ

――国会議員がしっかりしないとマズい。

正文に記された内容を正確に把握した上で問題点を追及しなければ、承認を急ぐ安倍政
権の思うツボ。日本語の正文がない以上、外注でも何でもして大至急翻訳する必要があ
ります。法律には巧妙な言い回しで“地雷”を埋め込まれていますから、国際弁護士の
チェックも欠かせません。適用範囲が拡大したTPPの肝であるISD条項(国と投資
家の間の紛争解決条項)はすべての国会議員が目を通すべきですし、厚労委に所属する
先生だったら食の安全と医療は最低限押さえるとか、それぞれの専門分野の正文を読む
べきです。こういう時のために税金から政党助成金が配分されているんです。30人の
国会議員で1章ずつ翻訳を頼めば、アッという間にできる作業でしょう。臨時国会が召
集されず、審議が本格化する年明けの通常国会まで時間はあるんですから。

――正文の翻訳をHPなりSNSにアップしてくれれば、一般の国民も内容に触れやす
くなります。

そうですね。まずは全章翻訳ですが、TPPは付属書と日米並行協議などの内容をまと
めた2国間交換文書の3つで1セット。法律は付帯文書に核心を仕込んでいることがま
まありますし、TPP参加の入場券と引き換えに日米並行協議で非関税障壁を要求され
ています。ここで日本がのんだ「譲歩リスト」は特にしっかり精査しなければなりませ
ん。TPPは「1%VS99%の情報戦争」。時間との勝負なんです。

■米国でTPPが批准されないという見通しは甘い

――「1%VS99%」とは、どういうことですか?

TPPは「1%のクーデター」とも呼ばれています。1%というのは、米国の多国籍企
業や企業の利益を追求するロビイスト、投資家やスーパーリッチ(超富裕層)のこと。
彼らの目的は国から国家の機能を奪い、株式会社化して、効率良く利益を最大化するこ
となんです。民営化は彼らをますます潤わせる手段です。いま、米国で最も力のあるロ
ビイストは製薬業界。彼らが虎視眈々と狙っているのが日本の医療分野で、30年前か
ら自由化の圧力をかけてきた。TPPはその総仕上げなんです。

――中曽根政権時代ですね。

86年のMOSS協議(市場分野別個別協議)で米国から薬と医療機器の市場開放を求
められたのが皮切りです。その後も対日年次改革要望書などで混合医療の解禁や米保険
会社の市場参入、薬や医療機器の価格を決定する中医協に米企業関係者の参加を要求す
るなど、さまざまな注文を付けてきた。TPPを批准したら安倍首相の言う通りに皆保
険の仕組みは残りますが、確実に形骸化します。自己負担限度額を設けた高額療養費制
度もなし崩しになるでしょう。米国民と同じ苦しみを味わうことになってしまいます。

――米国では14年にオバマ大統領が皆保険を実施しましたが、そんなにヒドイ状況な
んですか?

通称「オバマケア」は社会保障の色合いが濃い日本の皆保険とは似て非なる制度。民間
医療保険への加入を義務付けられたのです。日本では収入に応じた保険料を支払い、健
康保険証を提示すれば誰でもどこでも病院で受診できる。オバマケアは健康状態によっ
て掛け金が変動する民間保険に強制加入させられる上、無加入者は罰金を科されます。
オバマケアは政府に入り込んだ保険会社の重役が作った法律。保険会社はリスクが上が
るという口実で保険料を引き上げ、プランごとにカバーできる医療サービスや処方薬を
見直した。保険料は毎年値上がりするし、米国の薬価は製薬会社に決定権があるため非
常に高額。日本と同程度の医療サービスを受けられるのは、ひと握りの金持ちだけ。当
初喝采していた政権びいきのNYタイムズまで保険料や薬価が高騰したと批判し始めま
した。

――盲腸の手術に200万円とか、タミフル1錠7万円というのは大げさな話じゃない
んですね。

WHO(世界保健機関)のチャン事務局長もTPPによる薬価高騰の懸念を示していま
すし、国境なき医師団も非難しています。「特許期間延長制度」「新薬のデータ保護期
間ルール構築」「特許リンケージ制度」は、いずれも後発薬の発売を遅らせるものです
。製薬会社にとって新薬はドル箱です。TPPによって後発薬発売が実質延長されるで
しょう。米国では特許が切れたタイミングで後発薬を売り出そうとする会社に対し、新
薬を持つ製薬会社が難癖をつけて訴訟に持ち込む。裁判中は後発薬の発売ができません
から、引き延ばすほど製薬会社にとってはオイシイんです。

■「TPPの実態は独占」

――HIVや肝炎などを抱える患者にとっては死活問題ですが、日本の薬価や診療報酬
は中医協や厚労省が決定権を握っています。

TPPの「透明性の章」と関係するんですが、貿易条約で言う「透明性」は利害関係者
を決定プロセスに参加させる、という意味。米国は小渕政権時代から中医協に民間を入
れろと迫っているんです。TPPでそれを許せば、公共性や医療の正当性を軸にしてい
る審査の場にビジネス論理が持ち込まれてしまう。グローバル製薬業界は新薬の保険適
用を縮小したり、公定価格との差額を政府に穴埋めさせるなどして皆保険を残したまま
高く売りつけたい。医療費がかさめば、民間保険に加入せざるを得なくなり、保険会社
もニンマリですよ。TPPが発効したら、政府は医療費抑制のために3つの選択肢を示
すでしょう。▽皆保険維持のために薬価は全額自己負担▽自己負担率を8割に引き上げ
▽診療報酬の引き下げ――。診療報酬が下がれば儲からない病院は潰れ、医師は米国と
同じように利益を意識して患者を選ばざるを得なくなる。最終的にシワ寄せは私たちに
きます。

――安倍政権が取り組む国家戦略特区で、大阪は医療分野の規制緩和に向けて動き出し
ています。

大阪だけではすみません。特区内に本社を置けば、特区外でも同様の医療サービスを展
開できる。事実上の自由診療解禁です。マスコミはTPPを自由化というスタンスで報
じていますが、TPPの実態は独占。国内産業保護のために規制していた参加国のルー
ルは自由化されますが、製薬会社などが持つ特許や知財権は彼らの独占状態になる。1
%の人々にとってTPPは夢。ロビイストが米議会にバラまいた献金は100億円を超
えましたが、その何百倍もの恩恵を未来永劫得られるのですから安い投資です。米国で
TPPが批准されないという見通しは甘い。実現に向けて彼らはさらに札束をまくでし
ょう。日本が抜ければTPPは発効しません。年明けの国会が最後の勝負です。


▽つつみ・みか 
1971年、東京生まれ。NY市立大学大学院修士号取得。国連、証券会社などに勤務
。「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」で黒田清日本ジャーナリスト会議新人賞
。「ルポ 貧困大国アメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞、新書大賞。「政府は必
ず嘘をつく」で早稲田大学理事長賞。近著に「沈みゆく大国 アメリカ」(2部作)。

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/170925/9

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