「他人の幸せ」につくした男が得た「自分の幸せ」

 今年夏、エイズが死の影を落とす長野県内の病室でタイの若い男性が訴えた。
 「キトゥン・ポー・メー(父さん、母さんに会いたい)」
 ほおが涙でぬれている。医師から、男性への病名告知の通訳を頼まれた 横田隆志さん
(43)は「故郷へ行こう」と言うしかなかった。

 本人の出頭なしにオーバーステイの外国人を帰国させるのは至難の業だ。それでも横
田さんは八月のある朝、車を長野から成田へと走らせた。倒したシートに点滴と酸素吸
入を続ける男性がもたれている。
 医師「タイまでもたないかも」
 横田さん「彼を骨にして帰してたまるか」

 約十五時間後。男性は深夜、バンコクの病室で家族と再会した。不思議と食欲が戻り、
刻みしょうがの入った母国のかゆをすすった。「先生がいなければ帰れなかった。あ
りがとう」。男性がやっとほほ笑んだ。
 横田さんのもとに、家族からの礼状と男性の訃報(ふほう)が届いたのは、その三週
間後のことだった。

 横田さんと知り合って四年になる。「タイを訪れた時、優しくしてもらったから」と、
独学でタイ語を覚え、スナックで働くタイ人の相談に乗っていた。
 「ピーモォー(先生)」。タイ人からそう慕われる彼は市民運動家ともボランティア
とも違って見えた。
 「半ばは自己(わがみ)の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」。二十歳のころ始
めた少林寺拳法のこの教えが生きる原点という。ただ私の目には「他人の幸せ」ばかり
に肩入れしているように見えた。

 ある時、横田さんは外国人の支援に時間を注ぎ過ぎて、香川県にある少林寺拳法の本
山から、手続きの遅れを理由に段位を格下げされた。「だれもおれを理解してくれない
のか」。本山は、後に格下げを撤回したが、この時ばかりは男泣きに泣いたという。

 私はこの冬、そんな「孤軍奮闘する拳士」を久しぶりに訪ねた。
 今年だけで、帰国を希望する重症患者八人に同行したという。患者の分も含め経費は
ほとんど手弁当。タイ訪問の際に休みを取り、勤務先の病院からもらう給料は手取り十
四万円の時もある。私は「自分の家はどうなるの」と泣いた奥さんのことを思い出して
いた。

 その時、彼が言った。
 「最近すごくうれしいことがあったんだよ。仲間が少しずつ増えてね」
 彼がかつて助けた地域で暮らすタイ人たちが、支える側に回ってくれた。タイ政府や
別の基金からも寄付が届いた。
 そして最近、寄付のニュースを聞いた高校二年の息子(17)が「お父さん、本当に
おめでとう」と手を差し出した。息子が、家を空けることの多い父に初めて握手を求め
た瞬間だった。いつの間にか自分より大きくなった手を握り返しながら「おれの生き方
は間違ってない」と信じられた。

 「半ばは自己の幸せに」
 横田さんは、自分の幸せも知っている。

(小国綾子) 毎日新聞 1995年 12月 21日 掲載

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