貧困について-3 ジョナの物語 Ending

☆☆☆

私はフローラ姉さんが行っている、他の島に服を売りに行くというビジネスに同行させてもらった。

クリオンの周りにはたくさんの島があり、その島の人々は大半が漁師として生計を立てている。

近隣の島に服を売っている店はないので、服を持って行って売ればいい商売になるのだ。
そして野菜を栽培していない島もたくさんあるので、野菜もたくさん売れた。

資金:オクラ一束15ペソ×100束=1500ペソ
売上げ:一束20ペソ×100束=2000ペソ。

野菜はたくさん売れるので、一日で500ペソにもなるのだ。

服もたくさん売れた。
クリオンで50ペソで買った服を他の島では60ペソで売る。
ひとつ服が売れるだけで10ペソも収入があるのだ。

ホットケーキ作りをしていた時には考えられないくらい簡単にお金が稼げた。

そしてそこで稼いだお金で干し魚や石炭を買い、本島で売るのだ。
1キロ60ペソの干し魚は、本島で1キロ70ペソで売れる。

するとさらにお金は大きくなった。

私が同行させてもらった日は服の売り上げが2700ペソ。
資金を引くと儲けは約500ペソ(約1270円)にもなる。
そしてガソリン代300ペソを引いて残ったお金2400ペソすべてを使い、その島で作っている魚の干物41キロを買った。

そして本島でその魚の干物を売ると、資金2400ペソが2800ペソになるのだ。

1日目に服を島に売りに行き、収入は500ペソ。
そして2日目に本島で魚の干物を売り、収入は400ペソ。

2日間だけでガソリン代300ペソを引いても、収入は600ペソにもなる。

1ヶ月住み込みで自分の趣味に使う時間も外を出歩く時間も許されずに働いているお手伝いさんの1ヶ月の収入が2000ペソな
ので、どれだけ人に雇われて働くことが割に合わないかがわかるだろう。

こうして本島で野菜や服を売り、その儲けで干し魚や石炭を買う。
その干し魚や石炭を本島で売り、また野菜や服を買う。

その繰り返しでどんどん資金は大きくなっていくのだ。

もちろんたくさんの人がこの商売を始めれば儲からないだろう。
ここで言いたいのは、比較的簡単に儲けられる商売があるということだ。

それはわかっていても、ずっとホットケーキ作りのような商売をしていたらその日の収入は食費や最低限の出費だけに消え
てしまう。
資金がないのが問題なのだ。

資金がなければ売るための服も他の島に行くためのボートも買うことができないのだ。

「資金さえあれば・・・」そんな声をたくさん耳にした。


問題なのは、この島の人々は貧しすぎて自由に商売に使えるお金を作るのは難しいということだ。
貧しいからこそ、そこから抜け出すのはさらに難しくなってくるのだ。
貧しいということがさらに貧困から抜け出すのを困難にしている。


・貧しい人の種類


しかし、「資金さえあれば人は貧乏から抜け出せるのか?」といえばそうではないようだ。

たくさんの貧しい人を見て、貧困から抜け出せない人には大きく分けて2種類いるということがわかってきた。

A.「資金がなくて貧乏から抜け出せない人」と、
B.「資金があっても貧乏から抜け出せない人」だ。

先ほど述べたように、怠惰でなくても新しいビジネスのための資金を作るのは難しいのだ。

A.「資金がなくて貧乏から抜け出せない人」については資金を作るチャンスを増やすことが重要だ。

B.「資金があっても貧乏から抜け出せない人」についてはどうだろうか。

こういう人は、お金がどれだけあっても日用品にお金を費やしてしまい、資金がなくなってしまう。
無駄にお金を使っているわけではないのだが、それではそのままの生活からいつまでたっても抜け出すことはできない。

それではお金を貯めて新しいビジネスを始めることはできないのだ。

ジョナのお母さんはこのタイプの人だ。
このようなタイプの人を貧困から救うには、人に雇われて安定した収入を得られる機会を与えることが重要だ。

つまり「クリオンで仕事を増やす」=「クリオンで事業を行う人を増やす」ことを考えればいい。

このような人は自営業には向かないだろう。


こうして考えてゆくと、
タイプAの人(自分で新しい事業を興すことのできる会社の社長タイプ)に新しいビジネスを始めてもらい、
タイプBの人(従業員タイプ)を雇ってもらうことがクリオンの貧困層を減らす一番の解決法だと思った。


・どのようなビジネスがクリオンに向いているか?

それではクリオンの場合、どのようなビジネスに力を入れると一番良いだろうか。

ここで注目すべきクリオンの特徴は、近隣にたくさんの島があるということだ。

この島でお金を儲けるには、「いかに遠くに行けるか」ということが鍵になってくる。
誰でも手に入る材料を使って物を作りその場所で売っても、買い手は少ないからだ。

先ほども言及したが、具体的にどのようにして資金を大きくしていけばいいか、そしてどのようにして島全体の利益に繋げ
ることができるかをフローラお姉さんの行っていることを例に説明したいと思う。

ステップ1.


クリオン本島:服や靴などの日用品、野菜を買う

       ↓↑ボートで売りに行く

クリオン近隣の島:魚の干物、石炭、米を買う

      ↓資金を貯め、さらに大きなボートを買う


ステップ2.


クリオン本島:ガソリン、服や靴などの日用品、野菜を買う

       ↓↑ボートで売りに行く

クリオン近隣の島:魚の干物(大量に買い、マニラに輸送する)、石炭、米を買う

     ↓資金を貯め、クリオン本島、近隣の島それぞれに店を作る


ステップ3.

店(クリオン本島):石炭、魚の干物、米などを売る

       ↓↑ボートで仕入れをする

店(クリオン近隣の島):ガソリン、服や靴などの日用品、野菜を売る

      ↓資金を貯め、交通用の大型ボートを買う。


ステップ4.

クリオン本島と近くの島を往復する定期便を作り、運賃を稼ぐ


これがフローラお姉さんが考えている将来のビジョンだ。
現在はまだ最初の段階、ステップ1を進めているところだが、これが実現される
と他の
島民にどのような影響があるかを考えていきたい。


・どのようなビジネスがクリオンに向いているか?(2)

それでは先ほどのビジネスが及ぼす影響を、具体的に考えていこう。

ステップ1.

クリオン本島:服や靴などの日用品、野菜を買う

       ↓↑ボートで売りに行く

クリオン近隣の島:魚の干物、石炭、米を買う

の意義をまず考えてみる。

この商売により、クリオン本島の人は魚の干物、石炭、米を手に入れることができる。
そして近隣の島では服や靴などの日用品、野菜を手に入れることができる。
個人で買いに行く必要、そして自分の島で作った商品を売りに行く必要がなくなる。


この商売で資金をため、大きなボートを買いステップ2に移るとする。

ステップ2.

本島:ガソリン、服や靴などの日用品、野菜を買う

       ↓↑ボートで売りに行く

近隣の島:魚の干物(大量に買い、マニラに輸送する)、石炭、米を買う


ボートが大きくなるのでよりたくさんの商品、そして重いガソリンを積むことができるようになる。
ガソリンは近隣の島に行くにも漁に行くにも使うので需要が多い。
良いビジネスになるのだ。

そしてマニラに魚の干物を輸送すると、より高価な値段で売れる。
魚の需要が増えるので漁師にも収入が増える。

友達はこの段階で、無料で漁師にボートや網を与えるつもりだと教えてくれた。
そうすることでさらに漁獲量が増え、漁師もたくさん稼ぐことができるようになる。

さらに資金を増やし、クリオン本島と近隣の島それぞれに店を作ることにする。

ステップ3.

店(クリオン本島):石炭、魚の干物、米などを売る
↓↑ボートで仕入れをする
店(クリオン近隣の島):ガソリン、服や靴などの日用品、野菜を売る


こうすることにより、商品を持って島中を売り歩く必要がなくなる。
手間が大幅に省けるのだ。
持ち歩く必要がなくなるので、よりたくさんの商品を取り揃えることができる。

そして店ができることにより、その地域に住む住民もいつでも商品を手に入れることができるようになる。

さらに資金がたまったら、交通用の大型ボートを作る。

ステップ4.

クリオン本島と近くの島を往復する定期便を作り、運賃を稼ぐ

近隣の島に行きたい人はたくさんいるのだ。
しかし交通が不便で、なかなか行くことができない。

交通用のボートが発達したら、ボートがない人でもより簡単に移動ができるようになるだろう。

ここまで行けば、どんどん収入は入ってくる。


この島で新しいビジネスが起こらないのは「たくさんの人が同じことをやっているから」ではなく、「資金がなくてビジネ
スが始められないから」なのだ。
人々が必要としていることがまだたくさんある。

ステップ1からステップ4まで追って考えていくと、資金が大きくなればなるほどより楽に収入が入ってくるということが
わかる。

そしてこのようにクリオン本島と近隣の島をつなぐようなビジネスをすれば、たくさんの人が利益を得ることができるよう
になっているのだ。


・どのようなビジネスがクリオンに向いているか?(3)

先ほどの例のように、クリオンが豊かな島になるためには、島と島をつなぐような手段を発達させることが必要不可欠だ。

島ごとに産業が分業化されているクリオンにとって、島と島の産業の流通がスムーズに行えなければ収入を得ることができ
ないのは明らかだ。

この島のために一番優先して行うべきことは、流通業の発達だろう。

流通業が発達すると、貧困から抜け出すことができる人が増える。
自分で新しい事業を始める資金も貯めやすくなるだろう。

先ほどの例からわかるのは、一人の力でさえ島全体に大きな利益をもたらすことができるということだ。
事業を始める人が増えれば、島全体が裕福になる方向にすすむ。

それが積み重なり、島全体で裕福になることが可能になるのだろう。


・援助の仕方

実際にその場に住んでみるとその島、その家族の特有の問題が見えてくるものだ。
私も実際にその場に住んでみて、初めて色々なことが見えてきた。
もし本当に現地の人々を貧困から救いたいのならば、その場に実際に住んで人々の生活に入るか、現地に住む人の協力を得
ることが必要不可欠だ。

今から考えると、「私が帰るまでに20,000ペソためるから!」と言ってひとりで動きだすべきではなかったのだ。

まず、ジョナの家族と私が協力して、ジョナの学費をためるという目標を掲げてお金を稼ぐという方式をとるべきだった。
先ほども述べたように自分たちの稼いだお金で貧困から抜け出せなければ意味がないのだ。

そして私はしょせん外部の人で、一体どのような商売が良いのかということ、そして人々のニーズを知らないまま動き出し
てしまった。

あのまま私が20,000ペソをためたところでジョナの家族から見れば「あれ、このお金くれるの?」とただお金をもらったよ
うに感じるだろう。
そしてジョナの兄弟も本当にパン屋として働きたいかもわからないし、もっと他にやりたいビジネスもあったかもしれなか
った。

何より、そのお金がジョナの学費のために使われるかもわからない。
ジョナが学校に行くことをジョナの兄弟が望んでいないとしたら、彼女が学校に行くためには別の方法を考えなければなら
なかった。

何も考えずに援助をする人は、きっと私のように空まわってしまうだろう。
助けたいという気持ちがあってもがむしゃらに動いてはいけないということを学んだ。

きっかけを与えるという援助はできるが、それから先は現地の人が自立して行えるような援助でなくてはならないのだ。


・例外について

しかしここで述べておきたい例外がある。

「ただ与えるだけの援助」をしたほうがいいという人は確かに存在する。
それは「資金があっても貧乏から抜け出す方法を知らない親を持つ子供たち」だ。

お金がなくても、親がきちんと「子供に教育を受けさせてやる」と考えている場合は、多少時間がかかるにしてもそれは実
現できるのだとたくさんの貧しい人を見ていて思った。

しかしお金があったら片端から食費や日用費に使ってしまう親の子供たちは、いくらお金がたまったとしても学校に行くこ
とができない。
ジョナがそうだった。

そして「苦労して働くよりは、好きなように生きていたい」という考えを持つ人もいた。
そのような考え方が悪いと言っているのではないが、その親を持つ子供は学校に行くことはできないのだ。


そういう親を持ち、それでも学校に行きたいと思っている子供を救うには、外部が学費を援助して学校に行かせてあげるよ
り他ないと思った。

しかし外部からその子供を判断するのは難しい。
ここでも現地の人の協力なしには判断できないだろう。

たとえ「学校に行けない子供に教育を受けさせてあげたい」と言う人がいても、日本から一方的にお金を送るだけでは不十
分だ。
そのお金がきちんと子供の教育に使われなければならず、子供の選考も難しいからだ。
援助とは、一方通行ではどうしても上手くできないものなのだ。

あくまで現地の人を助けるために援助を行うのであって、現地の人のニーズを満たしていなければ自己満足に終わってしま
う。
本当に「困っている人を救いたい」と思う人は、自己満足にならないように細心の注意を払う必要があるのだ。


・まとめ

貧乏であるということは一体どういうことか?
彼らの生活に入ってやっとその痛みがわかるようになってきた。

それは例えるならば、自分の本当の夢をあきらめて別のやりがいのない仕事に就くようなものだ。

「お金さえあれば」私は幸せに暮らせるのに。

自分に手の届かないものに憧れつつそのままの生活を続けなければならないのだ。


自分の夢をあきらめ、そのことを引きずりながら違う仕事につく。
家族にお金がないため学校に行くのをあきらめて、家族の手伝いをしなければいけない人も多い。
自分の望んでいない仕事に就いても、その生活の中で幸せに暮らすことはできるだろう。
しかしその仕事にやりがいを見つけ、休日は友達と遊びに行ったり家族と楽しい生活を送ることはできるが、自分の夢をあ
きらめたということを引きずりながら生きてゆかなければならない。
「自分の思い通りの人生を生きる」という幸せを手に入れることはできないのだ。

自分の就きたい仕事に就くことを諦め、
勉強するという夢を諦め、
命の危険に怯え、
空腹に苦しむ。
明日の食べ物の保障もない。

貧乏であるということは辛いのだ。
苦しいのだ。

しかし、厳しい言い方だがそこで嘆いていても何にもならない。
ハンセン病にかかって手足や視力がなくなることとは全く別のことだ。
貧困の場合、難しいが抜け出す方法は確実にあるのだ。
貧しい人たちの痛みを理解しつつ、しかし一緒になって涙を流しているだけではいけない。

貧困から抜け出せるはずはないと思い、自己憐憫に浸っている人もたくさん見てきた。

そのような人は「あぁ、私はかわいそう」そう思って他人を無意味にひがんでいた。
彼らはこのようなことを言ってくる。

「あら、筋肉がないのね。仕事しなくていいからでしょ」
「いいわね、家に帰るとだれかが洗濯してくれるんでしょ」
「いいわね、日本に生まれたというだけで働かなくてもいいんでしょ」

たくさんのことを言われたが、どう考えても理不尽だった。

そういう人は私がどんなに筋肉があったって自分で洗濯したって何かしら文句を見つけてくるのだろうと思う。
私は何も変える必要はない。

たくさんの人と接したが、怠惰で貧しさから抜け出せない人もたくさんいた。
お金をもらえると思って、自分をかわいそうに見せている人もよく見かけた。

私は日本に生まれたというだけで貧しい人を援助したいとは思わない。
実際日本人よりも全然働いてないのに「日本に生まれたというだけでいいわよ
ね」と言ってくる人にはうんざりした。

私はそういう人たちが貧困から抜け出せる方法を考えるつもりはない。
しかし、せめて本当に貧困から抜け出したい人にチャンスを持ってもらいたい。
夢も希望もなくそのまま貧しい生活を一生続けると諦め、ただ生をつないでいくのは耐え難いことだろう。

貧しい人が抱えている状況をすぐに何とかすることはできなくても、「貧困から抜け出せるかもしれない」と思えるような
希望を持てるような環境を持つことは、人間として最低限守られるべき人権なのではないか。

貧しい人と生活を共にし、私は貧困から抜け出すことの難しさを痛感した。

しかし同時に、たったひとりの人(フローラお姉さん)がクリオンの貧困を解決できるきっかけになるかもしれないという
可能性も感じたのだ。
ひとりの人間の力でひとつの島を裕福にすることができるかもしれない。

私は「ひとつの島を豊かにする」などということはそれまで思いつきもしなかったが、ジョナの家族が貧困から抜け出す方
法を考えるうちにその方法が見えてきた。

貧困というものは、その中にいると抜け出すのはとても難しい。
しかし外部から何かきっかけとなるチャンスを与えるだけで、つまり資金を提供したりアイディアを提案したりするだけで
大きな効果を生み出すことができるかもしれない。
そう思った。

援助とはそうであるべきだろう、外部からきっかけを与え、起爆剤のような役目だけ果たせればいい。

援助を過剰にしないということは、その国の人のためでもあるのだ。
私がもしフィリピンに何か恩返しをするのならば、この国の人が生き生きと生活できるためのきっかけになるような、そんな手助けをしたいと思った。


・最後に

私が貧しい人と触れ合って学んだこと、それは支援とは身近な人を助けたいという思いから始まるということだ。

ジョナに出会った。
私に一体何ができるか?

私の場合そこから始まった。

「貧困を救いたい」そのように考えることは身近で起こっていることではないだけに実感を伴わないことが多い。
とにかく何かをやりたいと思っても私のように空まわってしまう人が多いだろう。

ジョナに幸せになってもらいたい、そういう想いで行動を始めると貧困というものにぶつかった。
「地域医療を学びたい」そう思って行動したときに見えなかった「医療」というものを、貧しさの中に見つけた。

他にも様々なものにぶつかった。

自分が全く興味を持っていなかった世界にも興味を持つようになった。

教育、政治、医療、農業、様々なものはつながっているのだ。
医療だけ、政治だけ、農業だけを取り出して考えても見えてこないものも多い。

誤解を生む表現かもしれないが、私が医学生に言いたいこと、それは「医学と言う分野のみにとらわれないでほしい」ということだ。

「自分たちには医師という資格がある」ということを前提に、自分には何ができるかということを考えてほしい。

「いても立ってもいられない」
そのような状況に直面したとき、ただぶつかった問題の解決法を考えていくだけだ。

政府が問題なら政府と交渉すればいい、
水がない地域には井戸を掘れば良い、
野菜がないなら野菜の栽培法を教えてあげれば良い。

自分で知らないことがあったら人に協力してもらえばいい。

「協力してもらう」ということは本当に大切なことだと学んだ。
ひとりの力でがむしゃらに行動しても、どうしても空まわってしまうことが多くなる。
現地の人を中心に、色んな分野の人が協力してその輪を広げていくのが援助のあるべき姿なのだ。

ある医学生が言った言葉が頭に残っている。
「例えば地雷がたくさん埋まっている地域に援助に行くとして、毎日毎日地雷の被害者が運ばれてくれば、同じことの繰り返しで先が見えない。どうせ被害者が減らないのなら、援助するのは意味のないことではないか」

まず、何百人の人が運ばれてきたとしてもそのひとりひとりは同じではないことを知らなければいけない。
自分が地雷の被害にあったとき、「毎日同じことの繰り返しで意味がないので治療しない」などと言うことを医師に言われたら?
もし被害にあった人が自分の大切な家族だったら?

「援助をしたい」という漠然とした気持ちではなく、「自分の大切な人を救いたい」という想いから行動は自然と起こるものなのだ。
病院に来る人の普段の生活を想像できない人は医師に向かない。

何となく「援助をしたい」と思って行動してしまう人は、もしかしたら自己満足を求めているのかもしれない。
そのような人は目の前にいる人々の痛みや苦しみを理解できず、目に見える数値的な成果を求めてしまう可能性がある。
もしその人は自分が人に評価をされるような目立った成果を残せないことに気がついたら、そのまますべてを投げ出すのだろう。

「毎日、被害にあって運ばれてくる人を治療するしかできない」
そう思うのならば、地雷の被害を防ぐ方法を考えればいいだけだ。

地雷の地域に近づかないように張り紙をすればいいだろうか。
立ち入り禁止にすればいいだろうか。
なぜ地雷の埋まっている地域を歩かなければならないのだろうか。
地雷の撤去作業を始めることはできるだろうか。
予算は?
地方の自治体、もしくは国に協力を要請できるだろうか。

解決法を考えたとき、自分の分野にとどまっていてはできることが限られてくる。

その意味で「医師は、医学という分野にこだわらないでほしい」と強調しておきたいのだ。

しかしもちろん医者が地雷撤去作業を始めるとしたら、地雷で傷ついた人を治療する人がいなくなってしまう。
「医学という分野にこだわらない」というのは、医師ではなく他の職業を始めろと言っているわけではない。

例えば「地雷を撤去したい」
その目標がある中で、色々な分野の知識を持つ人が現地の人と協力して行動するべきなのだ。

本当の援助というもの、それはみんなが一つの目標に向かって協力することによって可能になる。

医師は地雷に傷ついた人の治療をするという役割で、目標を達成する一つのピースでしかない。
ただの手段だ。
医師だけでは目標に到達することができない。

医師が現地に赴いて病院の中だけで被害者を待ち構えるだけでは、根本的な解決にはならないのだ。

まず、医学生は医師とは社会に組み込まれたひとつのピースでしかないことを知るべきだ。
どのように社会に組み込まれているか、そしてどのような社会が医師を求めているのかを知ってほしい。

病院に入ってしまう前に、病院側からではなく人々の生活から医療というものを知ってほしいと強く思う。

「現実を見なさい」
私がフィリピンに行くと言ったときにたくさんの人が私に向かって言ったことだ。

でも、いつも自分が行動をすればするほど、前に進めば進むほど自分にできることの大きさに驚いた。
どこまで進んで行ってもなかなか限界は見えてこない。

この島の貧困を解決できるかもしれない、と言うと
「君のやろうとしていることは、今までたくさんの人がやって失敗してきたことなんだよ」とまたたくさんの人に言われた。

それでも私は自分でできることがある気がして、前に進むのを止める気にはなれない。

もし失敗したら?
別の方法を考えればいい。

私はただジョナに幸せになってほしい、その思いがあるだけだ。
自分の思い通りに進まなかったといって行動を止めるつもりはない。

その意味で私のやろうとしていることは「失敗」という結果に終わることはないのだろう。
「このやり方ではうまくいかなかった」ということを学ぶだけだ。

私はたくさんの人と接し本当に色々なことを教えてもらった。
自分の無力さ、人々の温かさ、人々と一緒に暮らして生きていくという意味、そして自ら主体的に学ぶということ。

フィリピンに行くまで私は「貧困というもの」を考えるとき、教科書や本を読まないと解決法などは見えてこないものだと思っていた。
遠い世界で起きている他人事のように感じたのだ。
しかし、ただ段階をふんでどのようにして貧困を解決するかということを考えただけで、教科書から学べる以上のものが見えてきた。

たとえば貧困の問題について考えるとき、教科書の知識をたくさん持っているよりも、実際に自分の大切な人の顔が思い浮かぶということの方がずっと大切なのだ。
教科書ではなく実体験に基づいた感情を大切にしていかないと、自分の行っていることの本当の意味が見えなくなってしまいかねない。
どの分野に進む人にでもこれは当てはまるだろう。

そして個人的なことになるが、自分が医師になれば人の命という何よりも一番大切なものを守ることができるのだということを改めて知った。

自分が本当に医師に向いているのかは分からないけれど、色々な偶然が重なって自分が今この世界に立っていて良かったと思った。

将来自分が医師という道を選択するかどうかはまだ分からないが、これからも自分の大切な人のために何ができるかを考えてゆき、一番納得する道を選ぶぼうと決めている。
いつでも自分の進みたいと思った方向に、分野にとらわれずに入ってゆく柔軟さを忘れないでいたいと思った。




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