貧困について-2 ジョナの物語

ジョナの物語(1)

・そもそも、なぜ私が貧困について興味をもつようになったのか?

正直言ってそこに住んでみるまでは、「私がフィリピンの貧困を救うんだ!」などということは思わなかった。

世の中には環境破壊や貧困、難民問題やエイズなどの様々な問題がある。
すべてをひとりで解決するのは不可能で、そしてきっと私には私のやるべきことがある、そう考えていた。
貧困を救う、ということは私が生涯をかけて行うべきことであるとは思わなかった。

しかしフィリピンである友達と会ったことをきっかけに、私は貧困というものについて考えるようになった。

ジョナ。
私の大切な友達。
彼女と仲良くなっていくうちに、貧しいということの意味を知ることになった。

ジョナは20歳。
お手伝いさんとして住み込みで働いている。

ジョナは本当に性格の良い子で、誰にもわからないようにこっそりと人に尽くすような子だった。

私がまだお腹がすいていると気がついたとき、自分はお腹がすいていても私のためにお皿にこっそりと自分のおかずを戻していたことがあった。

朝の2時くらいに私が家に着いとき、わざわざ私のために起きてよろこんでご飯を作ってくれた。そして私がお風呂から上がるのを当然のように待っていてくれていた。

ジョナが熱を出して朝起きられず、私の目玉焼きを作れなかったことを気にして「ごめんね」と涙をためて私に謝ってきたこともあった。

「私の家は貧乏だけど、でも私の家で食べるご飯が一番おいしいわ。貧乏だけど私は幸せ」
彼女はよくそう言って笑っていた。
ジョナはとてもシャイで自分の気持ちを伝えることは不器用だったが、本当に温かい心を持っていた。
私は彼女のことが大好きだった。

彼女がお手伝いさんとして働くようになったのは、家族の生活費を稼ぐためだ。
家族のためと言っても自分の母親、兄弟、そして兄弟の子供のため。
父親と母親は離婚した。

ジョナはある日母親に「生活費を稼ぐために高校をやめなさい」と言われ、泣く泣く学校をやめて住み込みで働くようになった。

彼女は家を出て以来ホットケーキを作って売ったり、他の島に服を売りに行ったりと様々な職業を経験してきた。

彼女は9人兄弟の下から2番目だ。
フィリピンでは貧しい家庭では年上の兄弟が年下の兄弟のために進学を諦めて働くというのが普通なのだが、年上の兄弟はすでに結婚して子供がいる上にきちんとした職がないので援助することができないのだ。

彼女はそれでも末っ子の弟の学費を出してあげていた。

一日中朝から晩まで働いて、家政婦として稼げるお金はたったの168円。
買い物のときしか外に出ることはできず、家族に会えるのも土曜日、それも一緒に教会に行くだけ。

私はジョナが涙を流すところをよく目にしてきた。
仕事でもよく辛いことがあって泣き、そして特に「私は勉強がしたい」と言って泣くことが多かった。

ジョナを見ていて心が痛んだ。
私は日本に生まれたというだけで、どうして彼女とこんなに差がついてしまっているのだろう?
私は自分の好きなことができるし、勉強は求めればいくらでもすることができる。
お金だってバイトをすれば手に入らないものはない。

私は何も悪いことはしていないから私が罪悪感を覚えることはない。
それは分かっていたが、彼女も何も悪くないのだ。

そして彼女は自分に必要な日用費を除き、ほとんどの給料を家族に渡していた。

それにも関わらず家族はそれを「当たり前のこと」と見なし、ジョナに感謝をしていなかった。
彼女の母親はジョナに彼氏がいると信じており(濡れ衣なのだが)、それを良く思っていないからだ。

ジョナに学費を援助してもらっている弟はというと学校はサボってばかり、そして自分に彼女がいうということを棚にあげてジョナが男の子と歩いていたということを母親に告げ口をし、その男の子を殴りに行くといった様子だった。

彼女の母親と弟とのいざこざで、ジョナはしょっちゅう泣いていた。

ある日、ジョナが男の子と歩いていたという理由で彼女の姉がやってきた。
ジョナが仕送り以外の自分のお金で弟のために買ってあげた卒業式の晴れ着を、母親と弟が姉を通じて送り返してきたのだ。

私は悔しくてしょうがなかった。
そのような、ジョナの気持ちを踏みにじるような出来事が頻繁にあった。

「ねぇジョナ、何でそれで怒らないの?仕送りなんてやめちゃえばジョナのやっている
ことを皆が感謝するようになるのに!」私はよくそう言ったものだ。

「ジョナの家族はジョナに何でそんなことができるの?ジョナのこと好きじゃないの?」
私はある日彼女の母親の言動にあまりにも頭に来てそう言った。

「あのねジュン。おかしいかもしれないけど、それでも私は自分の家族のことがとても好きなの」
彼女はそう答えた。
「ふふ、私って頭おかしいでしょ。たまに疲れちゃうけど別にいいの。だって家族でしょ?嫌いになんてなれない」と笑った。

何だか本当にジョナは健気で、彼女を見ていると切なくなった。
どうしてこんな子がこんなに一人で背負わなければいけないのか。
一体何で?

私はこの子のために一体何ができるか?

私は思わず「私がジョナの学費を出すから、だから心配しないで!」と口にしていた。

色々なことが頭をめぐった。
私はそれまでは友達にお金を援助するというのは上下関係ができてしまうようで嫌だった。

しかし彼女が貧困から抜け出せないのは彼女のせいではなく、このままでは一生自分に家庭を持つこともできず、自分の母親や兄弟のために働き続けることになる。
それはあまりにも残酷なことだと思った。

きっと私がジョナの学費を援助したら、私の行動を批判する人がいるだろう。
それでも何が正しい援助の仕方かなんてきっと誰にもわからない。
私は自分の方法でジョナが幸せになる方法を見つけようと決めた。


ジョナの物語(2)

「貧しい」ということの本当の辛さは一体何か?

それはきっとおしゃれが満足にできないことやご飯が食べられないことよりも、「病気にかかったときに命が保障されないこと」、そして「教育が満足に受けられないこと」だろう。
その二つのことは、本当に取り返しのつかない事態を招くことがある。

ジョナは本当に勉強をしたがっていた。
このまま何の技術も資格もないと、一生似たような生活を続けなければいけないことは目に見えている。
そのような生活を続けるしかない人が周りに本当にたくさんいるのだ。
教育を受けられないということは、専門的な知識を要する仕事に就いて高い給料を稼ぐことが一生できないということだ。

勢いでジョナに「私がジョナの学費を出す」と言ったものの、よくよく考えてみるとたくさんの問題を抱えていることに気がついた。

まず、ジョナの学費を私が出して彼女が学校に行くことになるとすると彼女の家の収入が減る。
その上学費がさらにかかってくるのだ。

学費だけを出したとしてもジョナの家族は生活してゆけない。
つまり援助するとしたら学費とジョナの家族の生活費を寄付することになるわけだが、支援としてその家族の生活費まで出すことに疑問を感じた。

たくさん貧しい人がいるのに、その家族のみ生活費まで出してもいいのだろうか。
そしてそれはいつまで続けていいのか明確ではない。
ジョナは復学するとしたら高校生なので、大学まで援助するかどうかも考えなければいけない。
ジョナの家族がそれに慣れてしまって働かなくなることも考えられる。

生活費として一体いくらが十分なのかもわからない。
ジョナがそれまで稼いできた分の生活費を渡したところで、毎食おかずがある生活が送れるわけではないのだ。
そして学校に通うと学費以外にも授業で行うプロジェクトのお金などさらに出費がかさむ。

ただでさえ切り詰めた生活をしているのに僅かなお金を渡し、「これで生活をしてください」と言うのも残酷な気がした。

寄付する人の手にひとつの家族の生活がかかっているのだ。
そのような人に頼りすぎる状況を作ってしまうのは避けるべきだ。

またジョナには援助をし、ジョナと一緒に働いている子の援助をしないということも気が引けた。

ただ「お金を与える」という援助は不平等、そして外部に対する依存を生み出してしまうことになる。
つまり援助を行うとしても、貧しい人が自分で稼いだお金で自ら貧困から抜け出すことが必要になってくると思った。

そして「親が苦労して稼いだお金で子供が学校に行く」ということは、可能な限り大切にするべきだ。
親としてもできることなら自分の稼いだお金で子供を学校に行かせてあげたいだろう。
貧しいからこそ助け合って生き、フィリピン人の家族の絆は時に私には考えられないくらい強いものであった。
その絆を守るためにも、時間はかかったとしても親が子供の学費を稼ぐことを大切にしてほしかった。

ジョナが学校に行けるようになるにはどうすればいいだろうか。
それを考えたとき、ジョナの家族がきちんとした収入を得て、生活費はもとよりジョナの学費も出せるまで裕福になる方法を探すべきだという結論にたどり着いた。

そこで私は彼女の実家に毎日のようにお邪魔させてもらい、なぜ彼女の家族が貧困から抜け出せないのかを考えることにした。


ジョナの物語(3)

まず、彼女の家族と会ってすぐに気がついた事は、彼女の母親も弟も実はとてもいい人であるということだった。

ジョナの話だけを聞いていたときの印象とはかなり違っていて驚いた。

ジョナの兄弟も怠惰で貧困から抜け出せないわけではなく、必死に漁に出たりお菓子を作って売ったりしていたのだが、それでもその日の食費にお金が消えてゆくのだった。

意外なことに、ジョナのお母さんは本当に優しい人だった。
お母さんはジョナのことを心配し、それが行き過ぎてしまっているだけであるという印象を受けた。
お母さんと弟がジョナに彼氏がいるということに対してあれだけ目くじらをたてていたのも、すべてジョナのことを思って行ったことだったようだ。

ジョナの弟は、「俺らはジョナ姉さんのことが本当に好きなんだ。だから変な男にひっかかってほしくない」と照れながら言った。
彼もジョナのことが大好きなのだ。
彼は18歳の多感な時期で色々と反抗をすることも多いが、やはり優しくていい子だった。

ジョナのお母さんは自分のお腹が空いていても、みんなに自分のご飯を分け与えるような人だった。
狂ってしまって閉じ込められ、石を投げたりするため誰も近づけないような人にもご飯を差し入れていた。
その日のご飯もないのに、自分の持っている僅かなものをいつも「これをあなたにあげる」とかわいい笑顔で言ってくれるような人だった。

しかしお母さんのその性格が原因で、ジョナの稼いだ仕送りのお金をさらに貧しい人に分け与えてしまうのだ。

ある日、せっかく里帰りの為にためたお金を、自分の妹にあげてしまったことがあった。
ジョナが理由を尋ねても「もうお金はない」の一点張りだった。

ジョナがホットケーキを作って売ったお金を母親に渡すと、稼ぎのお金だけではなくもう一度ホットケーキを作るための資金まですべて使ってしまうそうだ。

一度、せっかくジョナの姉が苦労してまとまった額のお金をためたのにも関わらず、母親が貧しくて困っている人に同情してお金を全てあげてしまったこともあった。
そのせいで資金がすべてなくなってしまい本当に困ったそうだ。

お母さんは本当にいい人なのだが、お母さんに任せていれば貧困から抜け出せるはずがなかった。
そしてジョナの稼いだお金を母親が管理していてはジョナの家族は裕福になれるわけがない。
あの家族にお金を寄付しようと言う人がいても、ジョナが学校に行けるようになる日はこないような気がした。

お母さんに対して「あなたが貧乏から抜け出すには人にお金を与えないべきです」というのは間違っている。
お母さんは自分の好きなようにお金を使っているので、裕福になることを目指しているわけではないからだ。

しかし問題はジョナのことだった。
ジョナが学校に行けるようになるには、お母さんが管理する以外のお金を作らなければならない。

私はジョナの他の兄弟に協力を頼むことにした。

まず私が考えたことはジョナの家にパン屋を作ることだった。
ジョナには昔パン屋で働いていたことがあるお兄さんがいて、パンの作り方を知っていたからだ。
お金をためてオーブンを買いさえすれば、ジョナの兄弟は収入の安定した職業を持つことができる。
たくさんのジョナの姪や甥も手伝うことができるし、おやつも自分で作ることができるだろう。
そしてパンは需要が多く、ジョナの家の周りにはパン屋がないのでたくさんのお客さんが来ることになるだろうと思ったのだ。

オーブンを買うお金は20,000ペソ(約45,000円)。
私はジョナの兄弟と協力して、20,000ペソを作ることにした。


・お金を稼ぐことの難しさ

ジョナの家族を始め、何故この国の大部分の人はその日の食費を稼ぐだけで精一杯なのか?

一緒に彼らと生活をしていても、フィリピン人が日本人と比べて働き者でないとは思えなかった。
そして彼らが日本人に比べて技術面で劣っているとも思えなかった。
大学はとても実践的なことを教え、学生はすごく勤勉だ。

それなのに日本人と同じように働いてもどうして彼らは貧しいのか?

どうして貧しい人がこんなにたくさん存在するのだろうか。
一生懸命働きさえすれば、貧困から抜け出せるのではないか?
現に裕福な人はいるではないか。

当初私はそう思っていた。

「仕事がない」とたくさんの人が嘆くのが不思議で仕方がなかった。
私がもし仕事がなかったら、自分で何かを作って売るのに。

しかしジョナの兄弟が必死に働くのを見て彼らが怠惰であるとは思えなかった。
それなのにどうして貧乏から抜け出せないのだろうか。

その疑問の答えを見つけたかったという理由もあり、この島を出るまでにオーブン代の20,000ペソを目標にこの島の人と同じ方法でお金を作ることに決めた。

まずジョナが住み込みで働いていても稼げるように、シュシュ(髪どめ)作りをすることにした。
布やゴム、リボンを買って作ってみた。

しかし作るのに30分以上かかり、そしてシュシュひとつの相場はどう考えても10~20ペソ(25~50円)でしか売れなかった。
そして元手を引くと、ひとつのシュシュあたり5ペソ(12円)にもならないくらいだった。
30分もかけてこれではどう考えても1日の食費を稼ぐことさえできない。

1日10時間かけて20個作ったとして、そしてすべて売れたとしても収入は100ペソ(約250円)。
現実にはこれで生計は立てられそうになかった。

そこで別の方法を考えようと思い、たくさんの人がやっているようにお菓子を作って売ることにした。

小麦粉2キロ分のホットケーキを作ることにした。
ジョナの家にガスや電気がなかったので、石炭を買ってフライパンを温めた。

石炭の火が一定することがなくて思っていた以上に大変だった。
強すぎると焦げるし、弱すぎると生焼けで石炭をつぎ足さなければいけない。
火を強くするためにうちわで扇ぎ、顔が石炭の灰だらけになった。

2時間後にようやく完成し、ホットケーキを入れたなべを抱えて「ホットケーキはどうですか?」と尋ね歩いた。
ふたをあけたらアリが大量に出てきてパニックになった。
そして結局中が生焼けだった。

この商売の大変さを思い知った。

周りの物価から考えてホットケーキの値段はせいぜい5ペソでしか売れなかったが、計算したところそれで売るとむしろ赤字になってしまう。
結局7ペソで売ることにしたが元手がとれるかとれないかぎりぎりくらいの収入しか得られなかった。

ここまでしてやっと分かってきた。
他の人が安く売っている以上、高く売りたくてもそうすることができない。
高くしたところで買える人もいない。

元手よりそんなに高い値段をつけて売ることはできないようになっているのだ。

とにかく時間と労力がやたらとかかり、全然収入を得ることができないようになっている。
そして何より、その日の食べるものもないのにたくさんの子供が見つめる中でホットケーキを作るのは精神的にも辛かった。

元手を抑えるために小麦粉より安いキャッサバを使うおやつも作ってみたが、これもすごく大変だった。

5キロ分の生のキャッサバをすりおろして肩が痛くなり、そしておろし金のせいで手にたくさん傷ができた。
指の爪が削れて血が出てきた。

他の作業もうんざりするほど大変で、キャッサバの皮をむく、バナナの葉を取ってきて一つずつ包む、ココナッツの実を削る、炭で火をおこして煮る、などとすごく労力がかかった。

それでも2つで5ペソ(12円)でしか売れないのだ。
収入は1日かかって作って売り、結局200円にもならなかった。

「安くしか売れなくても周りの物価も安いなら、結局は日本にいるのと同じことじゃないか」

私は最初そう考えていたが、決して元手が安いというわけではない。

元手とほとんど変わらない値段でしか売ることができないのだ。
周りの物価から考えても全く割に合わず、その日の食費を稼ぐのがやっとだった。
このペースで続けていても20,000ペソをためるのは本当に時間がかかる。

これを続けていて貧乏から抜け出せるわけがない。
それがこの島の人々の生活だった。


・フローラお姉さんの「いいビジネス」

私はたった1回ホットケーキを作って売っただけで「このままの方法を続けていても20,000ペソなんてたまるわけがない」と思ってめげかけていた。
諦めるつもりはないにしろがっくりきていた。

本当にショックだったのだ。
あんなにお金を稼ぐのが難しいなんて、そして割にあわないと分かっていながらずっと続けるしかない人があんなに大勢いるなんて。

これといった知識も技術もない私は、他のお金を稼ぐような手段を簡単には思いつくことができなかった。
特別な技術や知識がないとお金を稼ぐのは本当に難しいのだ。
大学で専門的な知識を教えてもらわないと、つまりきちんとした教育を受けないと、貧困から抜け出すのは困難だとはそういう意味なのだ。

今私が日本に短期間でも帰れるなら、本屋に行ってお金になるような物(もしくはお菓子)の作り方を調べるのに。
心からそう思った。

日本で自分がいかに素晴らしい環境におかれていたかを思い知った。
学校では自分の本当にやりたい学問をする環境が整っているし、図書館に行けば自分で好きなだけ好きなことの勉強ができる。
本屋に行って本を買うお金もある。
それなのにこの島では新しい知識を入れることも困難だ。

私が落ち込んでいる様子を見て、ジョナの姉、長女のフローラお姉さんが声をかけてくれた。

「ホットケーキを作ってみて分かったでしょ、パン屋を作ったとしても材料費がかかる上にそんなに高い値段で売ることはできないのよ。あんまりパン屋を作るのはジョナを助けるいい方法とは言えないかもしれないわ。」

私はそれでもどうしてもジョナに学校へ行ってもらいたいんです、この方法じゃきっとだめだから別のやり方を考えないといけないんですと言った。
すると「それじゃ私があなたの先生になってあげる」と彼女は言ってくれた。
その日から、私はフローラお姉さんに貧困について教えてもらうことになった。




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