貧困について-1
・貧困に対する印象
フィリップさんはルソン島でNGO活動をしている。
たくさんの貧しい人を見て心を痛めた彼は、政治家になって彼らを助けようと決心し立候補した
彼は当選するはずだった。
しかし不正行為があり、自分の権力を利用しようとする人が当選してしまう。
この国はたいてい心の汚い人が当選するようになっているらしい。
お金で人を買収し、他の立候補者の足をひっぱる。
政治家はたいてい一つの組織に属しているらしく、政府を改革しようとする人は“消されて”ゆく。
フィリップさんは家に爆弾まで投げ込まれた。
政府が理不尽に攻撃してきたとき、一体誰がその人を守れるというのだろう?
強盗と警察が手を組んで銀行を襲うというこの国で。
彼は火山の噴火で住む場所をなくした原住民族を援助するNGOを行っている。
「もう火山の噴火から11年も経っているのに、彼らは未だにNGOに頼らないと生きていけない。
NGOは一時的な災害に人を助けるものであるべきだ、でも未だに政府からは何も援助がない。
この国はどこか狂っているんだよ」と言った。
この国の大統領は国民からとった税金を、たとえば自分の家族が香港にあるディズニーランドに行くお金に使っている。
自分の子供、親戚、お手伝いさん、その他の人が税金で飛行機をチャーターして毎週ディズニーランドに行き、手を振る映
像がテレビで流れていたという。
何故国民は革命を起こさないのか?
その答えは簡単で、革命を起こそうとする人は片端から政府に消されてしまうからだ。
毎年実際に何百人もの人が政府を改革しようとし、殺されているらしい。
「実際、今年ですでに200人以上殺されている」
フィリップさんは言った。
この国の人口の大多数を占める貧困層の人々は、ほんの少しのお金で政府に買収されてしまう。
そのせいで選挙はたいてい心の汚い人が当選するようになっている。
そしてお金を持っている人は海外に行くという逃げ道がある。
だから革命は起こらない。
それでも貧しい人はその政府の犠牲になり続けているのだ。
ある本で、“フィリピンの貧困の解決法を探してゆけば絶望にたどり着く”と書いてあったのが事実であるような気がした
。
「この国の貧困が解決する方法はない、国民の税金を利用しようとする人しか当選できないのなら」
そう思って暗い気持ちになった。
日本は憲法によって政府が暴走するのを食い止めるシステムができている。
しかし政府がそのシステムを持たぬまま国民を抑えつけたらこういうことになるのかと思った。
日本人は憲法によって守られていたと初めて気がついた。
フィリップさんは裕福で、海外に行くこともできる。
しかし彼は「私はそれでもこの国が好きなんだ。だからこの国の人々を助けたい」と言った。
フィリピンで直面した事実に対して少しでも希望を見つけたかった、だから「この国の人は貧しくても幸せに力強く生きて
いる」
そういう結論が見つけられたらいいのにとぼんやり思った。
私は一体どういう結論にたどり着くのだろう?
・実際にこの国に住んで感じたこと
この国に住むようになってまず感じたのは、初めの印象とは裏腹にフィリピン人の生きるたくましさだった。
彼らの生活は政府の腐敗を感じさせなかった。
家、ボート、家具、身の回りにあるものほとんど全てを作ってしまう。
色々な役に立つ知識を持っていてよく感心させられる。
この国が貧しいからといって決して医療技術やその他の技術が劣っているわけではない。
むしろ機械がない分人自体の技術のレベルは高い。
大学でも日本と比べ、とても実践的なことを教えていた。
そして何より、「貧しくなると心が廃れる」というイメージとは全く違い、貧しい人は心がきれいだった。
一般に貧しい人は、物やお金に対する執着がお金を持っている人に比べてないことに気がついた。
貧乏な人ほどお金や服、食べ物をさらに貧しい人に分けてあげていた。
自分はお腹が空いていても道端にいる子供にごはんをあげるという光景をよく目にした。
とにかく優しい人が多い。
同じクッキーをお金持ちの人と貧しい人にあげた時、お金持ちの人は他の人に見つからないように隠れて食べ、貧しい人は
みんなで分け合って食べていたのがとても印象的だった。
また別の場所で、母親が買ったおやつを等分して子供に分け与え、その子供がまた母親の分を自分の分からあげていたのも
見た。
この国の人は家族が多いので、貧しい人は助け合って生きる、というのが当たり前のようだ。
貧しい人こそさらに貧しい人の心の痛みを理解でき、助け合って生きているのだろう。
私は貧しい人と一緒にいるのが好きだった。
贅沢な食べ物はないけれど、みんなで食べるご飯はおいしかった。
そしてみんな優しくて、生きていることに感謝をしていた。
自分で洗濯をし、自分で釣った魚を料理してみんなで食べるのは幸せだった。
些細なことが嬉しかった。
お金持ちの人といると居心地が悪かった。
生きている実感がないせいか、何かが悲しかった。
貧乏な人が親切で持たせてくれた料理を持って行ったとき、たくさんの食べ物にまぎれて結局誰にも食べられることはなか
った。
その人のご飯を削ってまで持たせてくれたのに、その気持ちが踏みにじられたようで本当に悔しかった。
お金持ちの人と一緒にいても悲しくなることが多かった。
彼らは表面だけの幸せにすがりついて生きているように感じた。
お菓子を独占して食べるより、みんなで一緒に食べたほうがおいしいのに。
「私はお金持ちにはなりたくない、この感謝の気持ち、生きるという幸せを忘れたくない」
そう思った。
・貧乏でも幸せに生きてゆけるか?
私はこの島に来てずいぶん長い間、「貧しくても幸せに生きてゆける、むしろ貧しい人の方が生きる喜びを知っている」と
思っていた。
そう思いたかったのかもしれない。
それでも貧乏な人と一緒に暮らしてみると、私は何かを見逃していることに気がつき始めた。
ため息のように「つらい」と呟くのを何度も耳にした。
私は貧しい人を間近にしながら、彼らのことがどこか遠い世界で起こっているようなものに感じられた。
「辛い」と言って涙を流しているところを見ても、いまいちその辛さに共感できない自分がいた。
「私は貧しい人の辛さを本当には理解していない気がする。
実際に彼らと暮らしてみたい」
そう思った。
ある裕福な人にそのことを伝えたらこういう答えが返ってきた。
「貧しい人の心の痛みがわからない?そりゃ本当かい?彼らの生活を見ていたらすぐにその辛さは理解できるじゃないか」
彼はそう答えたけれど、貧しい人に対する態度がとても冷たく貧しい人を見下しているように見えた。
「貧しいということ」を理解するには、実際にその中で生活してみないと難しいことなのかもしれない。
私に今実感がわかないように。
実際に貧しい人の生活に入ってみようと決めた。
・「貧乏である」という本当の意味(1)
実際に貧しい人と暮らしてみると、想像以上に全く別の世界が見えてきた。
電気がない。
きれいな服もない。
友達と遊びに行くこともできない。
学費がない。
「ご飯が3食食べられない」ということの意味を初めて知った。
お腹が空いてもご飯がない、今まで当たり前のように聞いてきたことの意味を初めて知った。
それがどれだけ苦しいことか。
私は今まで当たり前のように親からご飯やお菓子を与えられてきたけれど、彼らは親にねだることもできないのだ。
親に守られているべき時期から物乞いをしなければならないのはどれだけ残酷なことだろう。
物乞いの子供たちは、私たちが小さい頃お母さんにおやつをねだったのと全く同じようにごはんを他人にねだっているだけ
だ。
自分の親にねだれないからそのような手段をとるしかないのだ。
私は貧困というものを全く想像できていなかったとやっとわかってきた。
夜ご飯が食べられない。
もしくは白いご飯だけ。
もちろんおやつなんて食べられない。
魚がたくさんとれたとき、魚を食べることができれば良い方だ。
野菜なんて高くて買うことができない。
「野菜をたくさん食べましょう」という言葉が偽善めいたものに感じられた。
自分がお腹を空かせているならともかく、子供たちがお腹をすかせて泣いているのを見るのは親にとってすごく辛いことだ
ろう。
そして貧乏だとおしゃれも満足にできないし、自分は学校に行けなくても自分より年下の兄弟の学費を稼ぐために働かなけ
ればいけない。
自分でお金を稼いでも、家族の食費や兄弟の学費のために消えてしまう。
「私は自分でお金を稼いでここまで来ました」そう思っても後ろめたかった。
私は自分のためのお金を稼ぐために働くことができるのだから。
日本でバイトは本気で探せばいくらでもあるし、その日の食料がないということはない。
働けばそれなりの収入を得ることができる。
本当に貧しければ政府から生活援助を受けることができる。
何度も「日本に生まれた人はいいわよね、」と言われて理不尽だと思い腹を立ててきたが、実際に日本に生まれたというこ
とは羨まれるものだということが分かってきた。
「私は日本人です」そう言うときに、後ろめたさを覚えるようになった。
・「貧乏である」という本当の意味(2)
「どれだけお金が大切か」
「どれほど3食食べられることがありがたいか」
それも私にとって衝撃的だったが、それ以上に驚いたのは医療が全く保障されていないということだった。
交通事故にあって血が流れ出し、意識がもうろうとしている子供を抱えて病院に行った母親は、「まず手術の分のお金を集
めてから来なさい」と言われた。
いくら「後でお金を作って絶対に返します」と涙ながらに訴えても無駄だった。
「助けて、助けて・・・」とその子は訴え続けたが、その子供を目の前にしながら病院側は「金をまず集めてきなさい」と
しか言わなかった。
その母親はお金を借りるために裸足で泣きながら親戚や近所の家々を片端から訪ねたが、そうしているうちにその8歳の男
の子は息をひきとった。
ある人は心臓にペースメーカーが埋めてあり、その電池は2年おきに取り替えないといけない。
しかしその人はその手術費をどうしても払えそうにない。
残された期間はあと5ヶ月。
彼女は幼い子供2人を残し、死を受け入れることに決めた。
それがこの島、そしてこの国の現状だった。
そんな話をうんざりするほど何回も耳にした。
ここではお金がないために、実際に命が失われてしまう。
命がお金で買えるようになっているのだ。
どうしてそんなことが許されるのだろう?
子供を亡くした親が悲しそうにそういう話をするのを何回も見て、
「どうして同じ人間なのに、病院側はそんな対応ができるのか」と強い憤りを覚えた。
死にそうな人が目の前にいる時に、金のことしか考えないのか。
一体何のために医者になったのか。
しかし、そうは言ってもそれも難しい問題を含んでいることがわかってきた。
医師と薬局は分離しているので、医師も薬を買わなければ薬品を手に入れることができないのだ。
つまりお金がない患者が来たとき、命を助けたければその場で医師が立て替えるしかない。
そして医者の1ヶ月の給料が約24,000ペソ(約60,000円)しかないことを考えると、給料の比較的高い医師でさえ薬品を買
うのは難しいのだ。
「自分にできることがあるのにできない」という状況に頻繁におかれ、医師も歯がゆい思いをしているのかもしれないと思
った。
医師は政府に雇われているため診察料は無料だが、薬が信じられないくらい高いのだ。
保険制度が整っていないせいでもあるだろう。
例えば酸素吸引は1時間で120ペソ(約300円)、
輸血の1パックは1000ペソ(約2500円)。
仕事によっては、輸血1パックだけで1か月分の給料に相当する。
貧しい人の一日あたりの食費を含めた生活費は約20ペソだ。
麻酔を買って、輸血をして、点滴をして、、、と考えると、いきなり「お金を集めてきなさい」といわれてもできるわけが
ない。
交通事故などの緊急の事態ではまず助からないのだ。
そして大手術を要するような病気にかかってしまっても同じことだ。
私の友達は重度のデング熱にかかり、マニラまでヘリコプターで輸送された。
クリオンでは輸血の蓄えや医薬品、施設が十分ではないからだ。
その子は治療費だけで100,000ペソ(約250,000円)かかった。
先ほども述べたが、給料の比較的高い医師でさえ1ヶ月に24,000ペソ(約60,000円)しか稼げないのだ。
その人は裕福な家庭に生まれたので助かったが、毎日の食費をかせぐのがやっとという一般の家庭でいきなり手術費を全額
揃えるのは本当に不可能だ。
その時、目の前で笑ってはしゃいでいるその女の子を見て不思議な気持ちになった。
この子はフィリピンの普通の家庭に生まれていたら今ここにはいないのだろうと思った。
たくさんの人が「お金が無かったら死ぬのを待つしかない」と言う。
そしてそれは悲しいことに、真実だった。
さらに、比較的簡単な病気、例えば頭痛や皮膚病、風邪にかかった人も薬が買えずに苦しんでいる。
シラミに悩まされている人もたくさんいるが、薬が高くて買えない。
ここでは衛生状態も悪い地域がほとんどで、トイレや廃棄物をすべて海に流し、濁った井戸水しか飲み水がないところがた
くさんある。
未だに子供が下痢で死亡する。
そんな病気にかかりやすい環境であるにもかかわらず、医療を受けることが日本より難しいのだ。
お産も帝王切開をするとお金がかかるので、赤ちゃんの体位が正常でなくてもリスクを冒して家で産む人がほとんどだ。
自分に置き換えて考えてみると、「日本がフィリピンと同じような国だったら、あの時あの人は死んでいたかもしれない」
と思い当たる人がたくさん周りにいる。
この島の現実は、「貧乏でも幸せに生きてゆける」と言っている場合ではなかった。
貧乏のせいで取り返しのつかない事態になってしまった人がたくさんいるのだ。
「お金さえあればあの子は今生きているはずなのに」
そう思うことはどれだけ辛いことだろう。
いくら「貧乏でも幸せに生きていける」そう考えたとしても、「貧乏であることが辛い」という根底にある部分はどうして
も取り除くことができないのだとやっとわかった。
貧乏であるということは、本当に胸が痛いくらい辛いことも多いのだ。
明日の命の保障もされていないのに、人は安らかに暮らしていくことはできるだろうか。
貧乏のせいでで大切な人の命を失ったら、なおさら貧乏であるということの辛さは人の心に一生消えない傷を残すことにな
るだろう。
・どうしてこの島の人は貧しいのか?
それでは、どうしてこの国の人は貧しいのだろうか。
これからわかりやすいように、職業別に
1.政府に雇われている人(公務員)
2.個人に雇われている人
3・自営業の人
と分けて具体的に考えていきたい。
まず、ここでは1の「政府に雇われている人(公務員)」について考えていくことにする。
<政府に雇われている人の給料>
医者:24,000ペソ(約60,000円)/ month
看護師:10,000ペソ(約24,000円)/ month
助産師:7,000ペソ(約18,500円)/ month
教師:10,000ペソ(約24,000円)/ month
例えば米は1キロ24ペソ(約60円)だ。
1日ひとり米を200g食べるとして、米の費用はフィリピンの一般的な家庭、父親、母親と子供6人の8人家族は1ヶ月に1052
ペソ(約2630円)も必要になってくる。
これが米だけの値段だ。
そして実際にはフィリピンでは米は3食食べるので、一日に200gでは足りないだろう。
そして学費も高いのだ。
公立の小学校1ヶ月で約50ペソ(約125円)。
大学で、1ヶ月で約500ペソ(約1250円)。
制服代や、様々なプロジェクトにかかるお金は別にかかってくる。
これを見ると、政府に雇われている人の給料も決して高いわけではないとわかる。
では次に、
2.「個人に雇われている人」
について具体的に考えていこう。
政府に雇われている人の給料が安いのならば、その人に雇われる人の給料は当然さらに安くなる。
例えば、お手伝いさんの給料は1ヶ月2000ペソ(約5000円)だ。
一日の給料は約168円にしかならない。
朝早くからご飯を作り、掃除をし、泊り込みでプライベートの時間もなく働く。
自分の楽しみのための時間も作れず、家族に会いに行くのを許されることも稀だった。
外を出歩くのが許されるのは、言いつけられた買い物をする時だけだ。
他にも個人に雇われる職業をいくつかあげて考えてみる。
<個人に雇われている人の給料>
洗濯をする人(週3回):1,000ペソ(約2,500円)/ month
アイロンがけをする人(週1回): 1,000ペソ/(約2,500円)/month
お手伝いさん:2,000 ペソ(約5,000円)/ month
そして個人に雇われている人は雇用者によって給料が決まるので、相場よりさらに安くなることの方が多い。
雇用者が高い買い物をしてお金がなくなったので、給料を減らされるという理不尽なことがザラにある。
代わりの人などいくらでもいるので、それでも雇われている人は文句が言えないのだ。
どうして仕事がある人でも貧しいのか?
「給料が安いため、生活が厳しくなる」と前述した。
それではどうしてたくさん働いても給料が安いのか?
それは簡単なことで、人を雇う政府にもお金がないからだ。
政府は昔外国から多額の借金をしたため現在もお金がないらしい。
そして政治家は国民を助けようとするより、自分がお金を独占することを考える人が多い。
この国の政府は崩壊している。
国民が国からの援助を得る日がたとえ来るとしても時間がかかるだろう。
結局貧困の原因を辿っていくと、たどり着いたところはやはり政府の影響力の大きさだった。
普通に生活しているとどうして働いても働いてもお金がたまらないかはわかりにくいが、原因をたどっていくと政府の腐敗
にたどり着いた。
「この国を、第二次世界大戦のときのまま日本軍が占領してくれていたら今どうなっていたのかとたまに考えるよ。少なく
ともこんなに貧しくはないはずだ」
友達の言ったその言葉が頭から離れない。
いいビジネスはないのか?
前述したように、貧困から抜け出すには政府の援助を期待して待っていてはいけない。
政府に雇われていて給料が安いならば、貧困から抜け出すためには自分でビジネスを始めるのが一番手っ取り早いだろう。
これから
3.「自営業を行う人」
について具体的に考えていこうと思う。
「政府に頼っていられないので自分でビジネスを始める」ということももちろん容易なことではない。
たくさんの人が「仕事がない」と嘆くのは、自分でビジネスを行っても稼ぐのが難しいからにすぎない。
先ほどは政府に雇われている人の給料について述べたが、今度は自営業を行う人の給料をいくつかあげて考えてみる。
<自営業を行っている人の給料>
漁師:
日によって収入が全く違う。一日に4,000ペソ(約10,000円)稼げる日もあれば、全く収入がない日もある。
そしてボートを持っているか、網を持っているかなどの条件によっても全く違ってくる。
いわゆる「ギャンブル」のような生活。
漁師は「貧乏」の代名詞のように使われているほどで、高い収入を得るのは難しい。
お菓子作りをする人:
例えば私の友達の場合、1日5キロのキャッサバを使うお菓子を作って売り、1日に稼げるのは61ペソ。
そして月~金まで働くとして1ヶ月1,220ペソ(約3,500円)にしかならない。
これを見ると、やはり雇われている方が割はいいだろう。
そして自営業の人は安定した収入を確実に得ることができないので、明日のご飯がないかもしれないという不安を抱えたま
ま生活を送ることになる。
政府に雇われていても貧しく、自営業でもやはり貧しい。
子供の学費や食費、日用品を買うお金を考えると、その給料で足りるのか?と思わずにはいられない。
これでは兄弟が6人や15人もいたら、学校に行けないのは当然だろう。
もしお金をためたくても、学費や食費にすべて消えてしまいなかなか同じ場所から抜け出すことができない。
この島では、お金をためるどころかその日の食費を稼ぐことさえできない人がたくさんいる。
給料が少ない割にこの島は都会から離れた島であるため、輸送費がかかり物価は高くなる。
生活は厳しかった。
貧乏から抜け出すのは想像以上に難しいことなのだ。
それでは、いいビジネスはないのか?といえば実はそうではない。
資金さえあれば、いいビジネスを始めることができるのだ。
詳しくは後ほど私の友達を例にあげて説明することにする。
・貧困から抜け出す方法
この国の貧困の原因は「政府の腐敗」にあった。
それでは一体どうすれば貧困から抜け出せるのか?
政府が原因なのだから「政府を改革する」のがいいだろうか?
しかしそれはあまり現実的な解決法ではないだろう。
少なくとも私は政府に“消される”リスクを冒し、自分の一生を捧げてフィリピンの政府を改革しようとは思わない。
改革するにしても時間がかかる。
しかし、この国全体の貧困層をなくすことは難しいが、個人レベルでは貧困から抜け出すことは可能だ。
現にクリオンでも、裕福な人は存在する。
そしてさらに言うと、クリオン周辺の島でも「(比較的)裕福な島」も存在するのだ。
私は友達に同行させてもらい周辺にある20以上もの島へ行くうちに、それぞれの島によって豊かさが全く違うことに気がつ
いた。
島は国家の縮小版だということがはっきり分かった。
そこでとられている政策によって、
その島の特産品の有無によって、
その島の企業の有無によって、
その島の人口によって、
その島の豊かさが目に見えて変わってくるのだ。
色んな島を観察するのは面白かった。
「どのようにしたらこの島が豊かになるか」を考えることは、
「どのようにしたらこの国が豊かになるか」を考えることと同じだった。
そこで今回は「フィリピンが貧困から抜け出す方法」よりも、
「クリオンが貧困から抜け出す方法」を具体的に考えていきたい。
フィリピンでは様々な島があり、島ごとに問題となっていることや産業が異なるので、まとめてフィリピン全土の貧困とい
うものを考えることは難しいからだ。
そしてクリオンが貧困から抜け出す方法が分かったら、その延長でフィリピンの貧困を救う方法が見えてくるだろう。
それではクリオンが貧困から抜け出す方法を具体的に考えるにはどのようにすればよいか?
それはさらに小さな単位、一つの家族が貧困から抜け出す方法を考えればよい。
これから、私が関わったある家族の話をしていきたい。