イチロー・カワチ 社会のありようから健康をただす

「上流の要因が個人の健康を規定」
「川の上流を押えて病気を予防」
「政府も感情に訴える介入が必要」
「皆保険とプライマリケアの充実」

社会疫学研究者/ハーバード大学公衆衛生大学院教授

編集長インタビュー  メディカル・アサヒ 2015 2月

臨床医がいくら頑張っても、上流にある問題を解消しない限り
救える人命には限りがあるとして、公衆衛生の道に転じた。
世界に先駆けて超高齢社会の道をひた走る、祖国日本。
社会の連帯、すなわちソーシャル・キャピタルこそが健康長寿の鍵
になると、日米を往復しながら介入研究を続けている。


ーー国民の寿命に関連する要因には、どのようなものがありますか。

三つ、四つあり、遺伝子の差、医療制度、生活習慣、そして、
環境などがあり、環境の中には、社会的決定要因が含まれます。
日本人の寿命が長いのは、生活習慣だとして、特に食生活が注目
されていますが、それだけでは説明しきれません。

日本人一般の生活習慣は、食生活も含め、必ずしもすべてが
健康に良いわけではありません。
例えば、日本人は、肥満の割合は少ないのに糖尿病の有病率が
アメリカ人とほとんど変わらないのは、白米を食べて血糖値が
上がって膵臓の負荷になるからではないかと言われています。
また、塩分を多く摂取しているし、飲酒量も多く喫煙率も高い。
都心部には、アメリカと比べても桁違いのストレスがあります。

寿命を延ばしているのは環境で、とりわけ社会のありようとして、
”ソーシャル・キャピタル”、つまり集団の連帯感があるからでは
ないかと考えました。

日本人のケースは、19世紀に集団でアメリカに移ってきた
イタリア人移民に似ています。
彼らは貧しく、教育年数も短く、喫煙率も高い、食事も
良くなかったにもかかわらず、周辺の人と比べて心臓病の
有病率が半分以下だったとされます。
50年間コホート(同じ属性を持つ集団)を追跡した結果、
彼らが住むロゼットという町の特徴は、連帯感だっとと
結論付けられました。
互いに助け合い、悪い状況を何とか乗り越えた有名なケースです。

生活習慣などから見て、日本は”ロゼット効果”をもっと大きく
したような感じではないかと、いろいろ調査しました。
日本の連帯感が強いと一番実感したのは、2011年の
東日本大震災後です。
災害に遭い、国を挙げて一緒に助け合おうと応援することが、
日本の強さだと感じました。

(中略)

ーーこれも社会環境の一要因になっているということですか。

はい。
平均教育年数や所得格差なども社会環境であり、すべてが健康に
直接関連しますが、日本独特の部分が連帯感なのです。
背景の一つが稲作文化です。
稲作をするには、隣同士の農家で水を分け合うなど、
必ず協調行動が必要になります。
西洋の家畜の農業は、自分の飼っている牛や羊を草原に放つので、
協力ではなくて競争になります。

実際に、日本社会の信頼感はとても強い。
犯罪がほとんどないし、何かを置き忘れても、
ほとんど確実に戻っています。
アメリカではあり得ません。


ーーそうした社会環境の上流の影響は、
健康にどう関わってくるのですか。

そうしたものがあって健康は決定されると思いますが、
医療者は、下流ばかりを見ています。
個々人の健康の差は、その人が自分で選択した
ライフスタイルだと言われます。
しかし、我々、社会疫学の立場では、必ずしもすべてが
個人の選択ではなく、上流に何かがあって、
例えば喫煙やストレスにつながりやすくなると考えます。
健康を向上させるには個人の努力だけでは足りず、
社会そのものの構造を変えるポピュレーションアプローチで、
絆を強化するような介入を考えます。


ーー具体的な介入例はありますか。

我々のコホートのフィールドの一つ、愛知県の知多半島の武豊町では、
07年から街中にサロン作りを始めています。
集まった町民に交流をしてもらい、ソーシャル・キャピタルを
強化して健康寿命に貢献する作戦でしょう。

長野県は、日本一の長寿を誇っていますが、その原因の一つは、
日本で一番公民館の密度が高いことだと考えています。
松本市では、「福祉ひろば」という、サロンに似た介入をして、
健康度への寄与を調べています。


ーーアメリカではいかがですか。

日本とは異なり、教会や宗教を通じた介入が、より効果があるでしょう。
文化によって異なった介入の仕方が必要で、ソーシャル・キャピタル
の形も変わってきます。

世界全体が高齢社会に向かっていますが、一番スピードが速い日本が、
いかにこれで健康長寿に生かすかが注目されています。
日本でエビデンスを作って、アメリカでも実証してみたいと思います。

(中略)

ーー医師になられて公衆衛生に進まれた理由は。

父は地質学者で、ニュージーランドで仕事をしていました。
私は高校時代から医学に興味があり、ニュージーランドで
医学部を卒業して、臨床医を2年ほどやりました。
当初、人命を救って社会に貢献できるつもりで意気込んで
いましたが、命を救うような出来事は毎日起こるわけではない。
例えば、100人の患者を診た場合、1割は助けられても、
残りの9割は、医者にかからなくても自分で良くなる患者だ
ということに気が付きました。

川で溺れかけている人を人工呼吸で助けると、
また誰かが叫び始めるので夢中で救う。
それを繰り返していると、一体、誰が上流でこの人たちを川の
中に突き落としているのかを把握する暇がないと実感しました。
長年喫煙した結果、心筋梗塞を起こしたり肺がんになった患者を
診ているうち、もっと上流で予防できないかと考え始めたのが、
公衆衛生に移るきっかけでした。

(中略)

ーー社会疫学では、上流の問題解決に行き着けますか。

はい。
例えば、喫煙が肺がんの原因であり、たばこを吸うとなぜ体に良くないか
は古典的疫学によって分かりますが、介入やアドバイスが「やめなさい」
という個人レベルになってしまいます。
それももちろんやるべきことですが、それだけでは物足りない。
やめようにも、家庭環境でやめにくいという場合、環境のストレスを
省くといった、もっと上流の要因に取り組まなければなりません。

肥満も、全く同じように格差の問題で、
社会条件が良くない人に肥満の問題が生じます。


ーーどう介入しますか。

行動経済学という介入が、格差を縮めるのに有効です。
教育レベルの低い人は、ジャンクフードメーカーの宣伝に誘惑されがちです。
そこで、食生活を改善するプロモーションをする時、
対立している食品メーカーが使うような宣伝をするのです。

ジャンクフードの宣伝は「楽しい」「おいしい」と感情にアピール
しますが、例えば、米国疾病対策センター(CDC)が何か宣伝する時は、
合理的な内容だけで、感情が入らないので、あまり効果がありません。

(中略)

ーー日本の心配な点はありますか。

格差の拡大です。
特に非正規社員が増えて職場が不安定になり、
終身雇用がだんだん失われています。
さらに少子化問題もとても心配です。
いずれも社会疫学の視点で重要な問題です。


ーーアメリカから日本が取り入れたほうがいいところはありますか。

いや、なるべく真似してほしくない。
避けるべきだということばかりです。
アメリカで最も健康的だと言われているのが、
オリーブオイルを使った地中海式ダイエットです。
日本まで、地中海食、オリーブオイルと騒ぎ出していますが、
日本人は地中海の人よりもはるかに長寿なので、
オリーブオイルにこだわることは全くありません。

(中略)

ーー日本は、団塊の世代が後期高齢者入りする”2025年問題”を、
ソーシャル・キャピタルで乗り切れますか。

ソーシャル・キャピタルだけでは難しいですが、
少なくともやってみる価値はあるでしょう。
一番深刻なのは経済で、少子化は大問題です。
消費税を上げても国の資金が足りないのは明らかです。
アメリカだったら、移民をどんどん入れて税金も集めろと言いますが、
日本ではそうはいきません。


ーー皆保険の利点はとのような点ですか。

日本の医療制度の中で、最も寿命に影響を与えているのは、
医学技術ではなく、皆保険です。
プライマリケアといった基本的なものが一番重要で、
医師の仕事の中でも、予防注射などが、寿命と強く相関している。
病院を建てるのではなくて、もっとプライマリケアに力を注ぐべきでしょう。

日本の医療制度は世界に誇れるものです。
医療費が低くて、寿命が長い。
現場の先生には、今まで続けてきたことを、
これからも頑張っていただきたい。


ーー日本以外に注目されるモデルはありますか。

北欧には、高い税金を取ってそれを公的に再分配するという
すばらしい仕組みがあります。
また、ちゃんと保育休暇を取れるし、子育てにはすごく良い条件の国で、
女性も仕事を1年半ぐらい休んでもキャリアを継続できるので、
少子化問題はないと言われています。
高い税金の負担は、ある意味では格差を減少する。
ものすごい大金持ちにはなれませんが、みんなで一緒にやるという制度です。
高負担に耐えられない人もたくさんいますが、それも一つのモデルです。

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