103 「フィリピンの農村医科大学」レイテ分校のいま

日経メディカル 2014年12月19日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201412/540009.html

 12月上旬、私は台風の襲来に怯えていた。

 この時期寒気団が押し寄せる日本列島に向かっては来ないけれど、常に海水温の高い
南太平洋で台風は発生し続けている。その一つ、台風22号、フィリピン名「ルビー」が
レイテ島を直撃しそうだったのだ。

 昨年11月、台風30号、フィリピン名「ヨランダ」がレイテ島を襲い、風速60メートル
以上の、竜巻に匹敵する暴風と、局地的な低圧部による「高潮」で壊滅的な被害を与え
たことをご記憶の方は多いだろう。フィリピン全土で死者・行方不明者約8000人、負傷
者約3万人の甚大な被害が生じた。

 ヨランダの猛威は、佐久総合病院が長年交流を続けてきた「フィリピン大学医学部レ
イテ分校(SHS)」の建物を原形をとどめないほど破壊した。SHSは、レイテ島、レイテ
湾に面するパロという町にある。信州・佐久で地域密着型医療を志す医療者にとって、
心のふるさと、あるいは「聖地」とも呼べる医学保健学校だ。

 SHSの学生は、フィリピン各地の自治体からの推薦で選ばれる。入学後は助産師と看
護師の資格取得が義務づけられている。その後、各地の医療機関や現場で保健、医療活
動の実地体験を積んだ後、「地域住民の推薦」を受けて「医学コース」に進級できる。

 入学試験の筆記テストだけで医学コースに進める日本とは対極の教育システムだ。医
師を志す者も、その前段階で全員が取得する助産師、看護師の資格を生かし、町や村の
保健センターに詰めて勤務、住民と関わり、地域で鍛えられる。医療とは何か、実地で
学ぶのである。

 日本の医学生の中には「白衣を着るのが怖い」「何のために医者になるのかわからな
い」などの内的葛藤を抱えている者が少なくない。そういう学生から相談を受けると、
私は迷わず「SHSに行ってごらん」と勧めた。もう200人以上、レイテ島に渡っただろう


 SHSに足を運んだ日本の医学生、看護学生たちは、訪問前とは見違えるような生き生
きとした表情になって帰ってくる。

厳しい状況下でも前向きな学生たち
 このSHSの教育システム、実は佐久総合病院の若月俊一名誉総長(1910~2006)の「
農村医科大学」構想がベースになっている。そんなご縁もあって長年の交流が続いてき
た。

 今年2月、佐久総合病院の若手・座光寺正裕ドクターら「レイテ分校交友の会」のメ
ンバーがレイテ島を訪ねた。SHSの学生たちはタクロバン市内に仮校舎、寄宿舎の建設
作業を進めていた。しかし、本格的な新校舎を建設するための予算のメドが立たず、先
は見えなかった。

 「教科書やパソコン、資格取得に必要な地域研修の資料もすべて失った」「実習で使
う人体模型がなくなって、困っている」
 学生たちは厳しい現状を吐露した。

 だが、少しも悲観的ではなかった。「ヨランダを生き延びた私たちに怖いものはない
。1日も早く、医療現場に出て地域の人びとのために役立ちたい」と、前向きだ。

 彼らの情熱に誘われて世界各地からSHSへ支援の手が差し伸べられ、2月半ばには無事
、授業が再開された。しかし、またも巨大台風ルビーがレイテ湾に近づいたのだ。

 今回、ルビーはコースを変えてレイテ島は直撃を免れた。ホッと胸をなでおろしたが
、フィリピンでは21人が亡くなった。多くはサマール島東岸で高潮に巻き込まれたのだ
と伺った。

 堤防や道路、そして高台の造成などインフラの重要性を、つくづく思い知らされる。

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