100 分断のパレスチナから来日した保健師さん

日経メディカル 2014年9月29日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201409/538552.html

 先日、パレスチナから保健師さんと栄養士さんが研修目的で来日、女性お二人で佐久
総合病院に立ち寄られたので、昼食をとりながらお話しする機会があった。

 ご存じのように、パレスチナ自治区のガザ・西岸両地区では、イスラエル政府による
占領政策が続けられてきた。

 この夏もイスラエル軍(IDF)の空爆と侵攻によって多くの人命が失われた。私はか
ねてJICA(国際協力機構)が実施した「パレスチナ母子保健に焦点を当てた・リプロダ
クティブヘルス向上プロジェクト」(2005年8月~2008年7月)の「その後」に関心を持
っていたが、今回は当該プロジェクト終了後の状況について少し伺うことができた。


お手本は日本の小学校「保健室」

 JICAプロジェクトの開始前、つまり2000年の第2次インティファーダ(民衆蜂起)後
の数年間、ガザ・西岸両地区では軍事侵攻に伴う外出禁止令や経済活動停滞に由来する
混乱と貧困化で、母子保健が危機的状況になっていた。特に西岸地区では地域が検問所
や隔離壁で分断されたことによる交通事情の悪さ、移動の困難さが大問題だった。

 妊産婦死亡率や5歳未満乳幼児死亡率の統計数値は高かった。産前産後、出産、新生
児、乳幼児ケアが標準化されておらず、地域によって、施設によってもサービスがばら
ばら。妊娠時検診内容と記録方法も不統一で、女性たちを含む地域住民全体の出産リス
クや乳幼児の発育発達に対する意識・関心も低かった。

 そこで、JICAが世界初のアラビア語版「母子健康手帳」の普及をはじめ行政の保健サ
ービス機能強化や女性宅への家庭訪問、男性や若者たちに対するワークショップなどの
取り組みを組み合わせ、母子保健・リプロダクティブヘルス向上を目指す支援事業を開
始した。

 当地・佐久を訪ねた保健師さんと栄養士さんのお二人は、諸支援で状況が多少とも改
善された現在、パレスチナ各地の小学校に「保健室」を併設し、可能なら「学校給食」
まで実現することを目指していた。夢を実現するため「学校保健室・先進国」「学校給
食・先進国」の日本から少しでも学びとりたいものだと考え、今回の来日につながった
のだという。

 パレスチナ自治区で出産した母親たちの母子健康手帳普及率は、直近の調査によると
西岸地区で89%、ガザ地区でも63%まで高まり、母子保健サービスの全国的な標準化も
進んできているという(JICAのウェブサイト参照)。
http://www.jica.go.jp/project/palestine/001/news/ku57pq00000m92u8-att/20121105
_01.pdf


「イスラエルとは何か」

 パレスチナの方々と接して、改めて痛感したのは、1948年に「シオニズム」によって
建国されたイスラエルという国の不可解さだ。

 シオニズムとは、ユダヤ人を独自の民族とみなし、ユダヤ人差別や迫害の究極的克服
をユダヤ人国民国家の建設によって達成しようとする運動を指す。シオンとは「約束の
地」エルサレムの古い呼び名だ。シオニストが「父祖の地に帰れ」と全世界のユダヤ人
に呼びかけてイスラエルは建国された。しかし、そこにはパレスチナの人びとが平和に
暮らしていたのである。

 イスラエルは建国当初から「国境」を定義せず、どんどん空間的に占領地を押し広げ
ている。人口約700万人の小国でありながら、世界の武器貿易の1割以上に関与する。ど
うして、このような軍事国家が中東に誕生したのだろうか。

 その疑問に答えてくれる本が『イスラエルとは何か』(ヤコブ・M・ラブキン著、菅
野賢治訳 平凡社新書)。敬虔なユダヤ教徒で歴史学者のラブキン教授(モントリオー
ル大学)は、シオニズムの源流にユダヤ教徒を「聖地」に集合させて一斉にキリスト教
に改宗させることで黙示録に描かれた世界が実現され、キリスト教の最終的勝利が早め
られるというキリスト教世界の願望があったことを述べたうえで、次のように記してい
る。

 「シオニズムも反ユダヤ主義も、植民地主義と人種差別の温床たる19世紀ヨーロッパ
から生まれたものであることを、ここでもう一度確認しておきましょう。シオニズム運
動の主流は、その後も、先住の人間集団を排除し、その財産を奪取する移住型の植民地
主義をさかんに押し進めながら、ヨーロッパ式のナショナリズムをお手本とし続けるで
しょう。(中略)シオニストたちは、実のところ、種族としてはかなり異質な人間を寄
せ集めた少数派の移民集団でありながら、それを核として、地球上のある一隅に国家主
権を打ち立てようとしました」(同書p79~80)

 外交といえばアメリカ合衆国しか見えない日本人。

 ラブキン教授の透徹した歴史観が新鮮だ。

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