99 「病院の世紀」の終焉

日経メディカル 2014年8月26日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201408/538028.html

厚生労働省は、団塊の世代が「後期高齢者」となる2025年をメドに、
高齢者の「尊厳の保持と自立生活の支援」を目的に、
「地域包括ケアシステム」の構築を推進している。
厚労省のいう地域包括ケアシステムとは、人びとが可能な限り住み慣れた地域で、
自分らしい暮らしを人生の最期まで続けられるよう、
医療と介護、福祉をつなぐイメージだ。

地域医療の現場にいれば、高齢者医療が「治療優先」の「死を敵とする」
病院中心主義では成り立たないことは誰でも分かる。
介護や生活の支援こそが「その人らしい」生活を送ってもらううえで重要であり、
医師はケアのコーディネーター役を担う。

2010年に出版された『病院の世紀の理論』(猪飼周平著、有斐閣)は、
地域包括ケアが求められる必然性を、治療とそれを支える医学への全幅の信頼に依拠し

「病院の世紀」の終焉、新たな時代の始まりと位置付けている。
いろいろな意味で野心的な著作だ。

「現在、各国の医療システムは徐々にではあるが確実に、健康戦略を担う
中核システムから、予防・医療・介護・居住など生活の質=健康を決定する
いくつものサービスからなる大きなネットワークの結び目の1つとしての
サブシステムへと後退しつつある」(同書51ページ)と著者はとらえる。

そして、歴史的な検証をしたうえで、地域包括ケアが求められる理由として、
生活の質(QOL)を重視した「新しい健康」への一般的ニーズの高まりと、
医療技術の高度化自体が濃厚な治療を優先して短期入院で患者を地域に戻すことを挙げ
る。
解説としては当を得ているだろう。

ただ、そこに至る医療の歴史認識で、違和感を覚える部分もあった。
現代日本医療史研究の泰斗である川上武らの「医療の社会化」や
「自由開業医制度」に関する言説を「事実誤認」とし、
「歪んだ描かれ方」として退けている点だ。

1920~30年代、日本全国に「無医村」が増え、
農山村の医療は街に比べて極めて手薄だった。
医療利用組合の運動家らは、医師たちが「営利性の増大」のために
農村医療を放棄したと批判した。
つまり金を求めて医者が街へ出た、ととらえた。
川上武はそうした運動家たちの主張を理論付けた。

これに対し、著者は当時の内務省などの資料を丹念に調べ、
町村部でもある程度広域的に医師が確保されていたと指摘。
医師の都市志向は勤務医の増加で強まったと反論し、無医村が増えたのは
古い世代の村医者(漢方医など)が減ったことが直接的な原因とみなし、
自由開業医制度による営利目的の農村放棄説は誤り、と結論づける。

本当にそうなのだろうか。
本書の資料の読み取り方を、川上武の薫陶を受けた人たちはどうとらえているのだろう

それと、マクロ的なデータ処理では、村のミクロな、つまりローカルな
医療現場に蓄積されてきた人びとの医師への思い、関係性の物語は解読できない気もす
る。
現場の医師としては、そちらの思いが強い。

そうした違和感はあるにしても、医療を供給するシステムの側から歴史を
とらえ直した点で、本書は一読に値すると感じた。

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