96 JR認知症事故判決が浮き彫りにしたもの

日経メディカル 2014年5月26日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/irohira/201405/536566.html

 先月、超高齢社会の現実と司法のズレを感じる判決が出た。
 
 2007年12月、愛知県大府市で徘徊症状のある認知症の91歳男性が、JR東海の電車には
ねられて死亡した。この事故を巡って、JR東海は遺族に振替輸送代などを求めた訴訟を
起こす。昨年8月、一審の名古屋地裁は男性の妻(91歳)と長男(63歳)に「見守りを
怠った」としてJR東海側の請求通り約720万円の支払いを命じた。この裁判の控訴審で
、4月24日、名古屋高裁は妻だけの責任を認定し、約360万円の支払いを命じた。

 認知症で「要介護4」の認定を受けていた男性は、同居していた妻が目を離した間に
外出し、電車にはねられた。名古屋高裁の長門栄吉裁判長は判決理由で、妻を「男性の
監督義務者の地位にあり、行動把握の必要があった」と認定し、「男性が普段使ってい
た出入り口のセンサーを作動させる措置をとらず、監督不十分な点があった」とした。
長男については20年以上も別居しているので監督者に当らないとしている。
 
 一審、二審の判決は介護関係者にショックを与えている。まず家族介護の視点からは
、遺族側代理人が次のようなコメントを出した。「高齢ながら、できる限り介護をして
いた妻に責任があるとされたのは残念。不備があれば責任を問われることはあり得るの
だろうが、家族が常に責任と隣り合わせになれば在宅介護は立ちゆかなくなってしまう
……」

 認知症の人の介護については、事故のリスクを鑑みてなんらかの「保険制度」が必要
だとする意見もあるが、こうした判決が続くようだと介護現場では認知症高齢者の「閉
じ込め」や「拘束」が横行すると懸念される。

 認知症の人の多くが、特別養護老人ホームなどの介護施設やサービス付き高齢者向け
住宅などでケアされている。その数は、今後ますます増える。
 
 もしも認知症の人が徘徊して介護施設から出て、電車が止まるような事故に遭遇した
場合、世論は施設の監督不行き届きを責めるだろう。とすると、施設は認知症の人を部
屋に閉じ込め、ベッドに縛りつける。それを非人間的だと指弾できるだろうか。

 問われているのは、認知症の人がどのような環境でケアされればいいか、という本質
的な問題だ。自由に出入りできる人間的な環境を求めるのか、見守りや安全を重視して
鍵をかける環境を求めるか。根本には、認知症の人の「人格権」をどうとらえるかがあ
る。

 終戦直後、滋賀県で戦災孤児や障害者のための施設「近江学園」を創設した糸賀一雄
は、「この子らを、世の光に」という言葉を残した。「この子らに、世の光を」ではな
い。障害を背負って生きる子どもたちを、世のなかを照らす光に、と訴えた。

 そんな視点が、認知症ケアにおいても必要なのではあるまいか。

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