ガザでの戦闘が終わらない。
非戦闘員たちが次々と犠牲になっている。
パレスチナ和平への道筋をつけたオスロ合意の功績で
PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相、
ペレス外相がノーベル平和賞を受賞したのは1994年。
もう20年前の話である。
その後合意は事実上崩壊し、今ではパレスチナ問題の解決の
見通しについて説得力のある言葉を語れる人間はどこにもいない。
先行きは見通せないが、それでも二つの「これまでになかった要素」
が状況の変化に関与しそうな気がする。

一つはアメリカの「デタッチメント」である。
アメリカの「中東離れ」の経済的理由については前回記した。
機雷のようなほとんど原始的と呼んでよい兵器で、
自国経済が麻痺してしまうような今の仕組みを継続する
合理的な理由はアメリカにはない。
それよりはエネルギーの自給率を高め、
輸入先を分散してリスクヘッジをして当然である。

もう一つ、アメリカが中東から離れられないのは、
イスラエルがそこにあるからだ。
米国内の「ユダヤロビー」が政府の中東政策に
強い影響力を及ぼしてきたのは周知のこと。
しかし、今回のガザでの「虐殺」に対しては
世界中のユダヤ人から「反イスラエル」感情が噴出した。

ユダヤ人にとってイスラエルは
親しみと嫌悪を同時にかきたてる両価的な存在である。
ホロコーストの悪夢はわずか70年前のこと。
いつ反ユダヤ主義的迫害が起きるかわからない。
そのとき「あそこに逃げ込めば助かる」
という土地が地上に一つだけある。
それはユダヤ人にとって大きな心理的支えだった。
それゆえ、その「世界のユダヤ人の最後の砦」を守るために
イスラエルが「政治的な悪」を繰り返しても、
ユダヤ人たちには自分にはそれを非難できる倫理的優位が
あるとは思えなかった。

けれども、今回のガザの事件で、世界のユダヤ人たちの気持ちは
ずいぶん変化したと思う。
そこまでして守らなければならない土地なら、私はもう要らない。
自分のいるこの国で反ユダヤの迫害を受けるほうがまだ「まし」だ。
そう思うユダヤ人たちが出てきた。
この先、この趨勢は強まることはあっても弱まることはないだろう。

(内田樹 eyes 125 @ AERA 2014. 8.11)

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