98 日本と祖国の「難民」を救うレシャード先生の「命がけの生き方」

日経メディカル 2014年7月18日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/irohira/201407/537545.html

静岡県島田市に「地域の医療・介護」を支えながら、祖国アフガニスタンのために命
がけの「国際医療」を展開している医師がいる。レシャード・カレッド先生だ。

レシャード医院の院で、介護老人保健施設アポロンなどの理事長も務める。そして
アフガニスタン支援NGO「カレーズの会」の理事長として、いまなお混乱が続く故郷へ
毎年、医療支援に出かけている。ひとりで二役も三役もこなすタフな医師だ。
 
レシャード先生は、1950年、アフガニスタンのカンダハルで生まれ、1969年に国費留
学生として来日した。千葉大学で日本語を学んだ後、京都大学医学部に編入して卒業。
苦労の末に医師国家試験に合格した。日本の病院で胸部外科医として経験を積み、腕を
上げてから祖国に戻ろうと考えていた。
 
ところが、1979年12月、ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻して、すべてが変わった。

「目の前が真っ白。家族とは音信不通で、やっと連絡がとれたとき、妹は難民キャン
プでした。従兄弟は牢獄に入れられて命を落としました。何とかしたくて翌年、パキス
タンの難民キャンプに向かった。リュックに抗生物質や注射を詰め込んで、元軍医から
もらった古い診療鞄に聴診器を入れてね」
(週刊金曜日2012年5月25日号、山岡淳一郎「脱混迷ニッポン」)
 
持参した薬は3日でなくなった。1986年に日本国籍を取得し、JICA(国際協力機構)
の「イエメン共和国結核対策プロジェクト」のリーダー、松江市の病院勤務医として働
いた後、1993年、縁あって島田市にレシャード医院を開院した。
 
レシャード先生は、開院して間もなく、日本にも独居の高齢者で、経済的に豊かでは
なく医療や介護のサービスを受けられない「難民」がいることに気づいたという。

「地方には独居の“介護難民”がたくさんいます。現実は、世話をする家族がいるか
どうかで全然違う。絶対的な人手が足りません。社会全体で介護を支える介護保険の役
割は大きい。でも細かくメニューを決めて点数をつけたために、かえって使いづらい面
もある。たとえば昔なら民生委員が独居の要介護者をしっかり把握し、医療機関に状況
を伝えていた。今は民生委員が遠くなった。だけどね、もう医療だ、介護だ、福祉だ、
とタテの枠組みでは対応できない。一緒にやらなくてはいけません」
(前出の週刊金曜日の記事より)
 
ケアのタテ割りを突破するためにレシャード先生は、1999年に老健施設のアポロンを
創設した。

2001年「9.11」同時多発テロ後、アメリカはタリバン政権下のアフガニスタンに空爆
を行った。タリバン政権が倒され、アフガニスタンは共和国に生まれ変わったが、平和
は遠い。「カレーズの会」は現地に「ヘルスポスト」と呼ばれる医療拠点を12か所設け
ている。学校も建てた。レシャード先生は、日本人に「ともに生きる」道に気づいてほ
しいと語っている。

「アフガニスタンは、侵略者に対して防戦してきました。文化や宗教、習慣を大切に
し、あたりまえの生活を維持したい。無欲の戦いです。だから強い軍隊がきても負けな
い。日本の政治家は保守、革新問わず、長いモノに巻かれて我慢しろと言う。たかがこ
こ60年の政治的発想で言う。しかしアジア的視点で考えてほしい。仏教はインドで生ま
れ、アフガニスタンで育ち、中国を経て日本にきた。この流れを理解すれば、自ずと『
ともに生きる』道が見えてくるはずです」
(週刊金曜日2012年6月26日号、山岡淳一郎「脱混迷ニッポン」)

2014年7月25日、レシャード先生は第54回農村医学夏季大学にて若月賞を受賞される。

http://www.sakuhp.or.jp/ja/1212/002347.html


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