● 日本の医療を取り巻く外患・内憂

TiSAと安倍政権の成長戦略 (坂口一樹論文 「世界 」2014・8)

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では、TPP交渉が行き詰まりつつある現在、それらの懸念も
解消されつつあると言えるのだろうか。

結論を先取りすれば、懸念は全く解消されていない。
むしろ、日本の医療を取り巻く状況は、まさに「外患・内憂」
と呼ぶのが最も適切な事態に陥っている。
米国政府とその背後にいる企業ロピイスト、多国籍企業らは、
難航するTPP交渉の次の一手として、
TiSA(Trade in Service Agreement:新サービス貿易協定)
という新たな枠組みをすでに仕掛けている。

並行して、日本国内では、「これまで成長分野と見做されて
こなかった分野の成長エンジンとしての育成」、あるいは
「国民の健康寿命の延伸」をキャッチコピーとして、
医療の市場化・産業化政策を政府が推進している。
しかしその内容を見ると、後に示す通り、地域医療を担う病院
・診療所の経営を支援するという視点に欠けており、
民間医療保険や金融・投資・ICT(情報通信技術)その他の
周辺サービスの市場創出策に偏っている。
しかもそれが、アベノミクスの第三の矢、すなわち
「成長戦略」 の目玉のひとつだというのだから理解に苦しむ。

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米国が主導して立ち上げられたこのTiSA交渉こそ、
難航するTPP交渉に次いで、日本の医療の市場開放に
向けて米国政府が放ってきた”第二の矢”と捉えるべきである。
サービス貿易のさらなる自由化を目指すTiSA交渉の
対象には、当然、医療サービス本体、そして関連する民間医療
保険や金融・投資・ICTその他の周辺サービスも含まれる。
これらのサービス産業は、現在、米国が競争優位性を持つ
主要産業であり、ロビイングも活発である。
そして、保険や金融・投資・ICTといった医療関連
サービス分野の日本市場の開放は、1985年のMOSS協議
以降、現在まで継続して米国側の主要な関心事項の
ひとつであり続けている。

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TiSA交渉とは、WTO加盟の有志諸国と地域によって、
サービス貿易のさらなる自由化に向けた新しい協定の策定を
目指し、WTOドーハ・ラウンド交渉とは別の取り組み
として始まった交渉である。
2013年6月28日にスイスのジュネーブで交渉が始まり、
現在、日米を含む23の国・地域が参加している

(日本、米国、EU、カナダ、オーストラリア、韓国、香港、
台湾、パキスタン、ニュージーランド、イスラエル、トルコ、
メキシコ、チリ、コロンビア、ベルー、コスタリカ、パナマ、
パラグアイ、スイス、ノルウェー、アイスランド、
リヒテンシユタイン)

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次頁の図表3は、6月10日に「日本再興戦略」の改訂版骨子案
として示された、医療・介護分野に関わる「戦略市場創造プラン」
と銘打たれたメニューである。
TPPやTiSA推進の背後にある多国籍企業と企業ロビイスト
たちの意図を、まるで歓迎するかのように、日本の医療および
周辺サービスを市場化・産業化する政策が項目として並び、
しかもそれが新・成長戦略の目玉のひとつということになっている。

民間サービス事業者の視点に立って、上記のリストを改めて
眺めてみると、次のような政策アイデアに見えるだろう。

(1)日本の公的医療保険の給付範囲を縮小あるいは固定化し、
給付範囲外になった部分を民間医療保険その他関連サービス産業
の新たなマーケットとするための政策

(2)現状では、原則、非営利で運営され、医師個人しか
出資者になれない医療機関経営への出資規制の緩和に繋がる政策

(3)医療・介護分野におけるビッグデータの活用など、
ICTサービス産業のマーケット拡大政策

以上の三つである。

TiSA推進派の外国資本にしてみれば、願ったりかなったり
という状況だ。
彼らのビジネス拡大のために、国を挙げて「市場創造プラン」
を推進してくれているのだから。

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医療サービスの中心を担う病院・診療所に対するマネジメント
支援は軽視され、安倍政権の成長戦略は医療周辺サービス産業
の市場創出策に偏っている。
この状況を生み出しているのは、保険や金融・投資・ICT
など周辺サービス産業の思惑だけではない。
社会保障に関わる公費を節減したい日本の財政当局、
同じく社会保険料の負担をなるべく節約したい経済界
の思惑も絡んでいると思われる。

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本稿では、日本の医療を取り巻く「外患・内憂」とも言うべき状況を確認した。
米国政府と多国籍企業、企業ロビイストらは、難航するTPPに次いで
TiSAという新たな枠組みをすでに仕掛けている。
そこでは、医療および医療周辺サービス貿易のさらなる規制緩和と市場開放が、
企業主導の論理で秘密裏に進行し、私たちの知らぬ間に国民皆保険
をはじめとする公共サービスの機能低下を招く事態が懸念される。

さらに、時を同じくして国内では、医療が政府の掲げる成長戦略の目玉となり、
その実、医療周辺サービス産業の産業振興政策ばかりが並ぶという状況が
発生している。
そのウラには、将来の公的医療保険給付にかかる税金と社会保険料を節減したい
財務当局と経済界の思惑と、公的給付を削減した分を民間医療保険などの
マーケット拡大策としたい外資を含む関連業界の思惑とが一致した構図が
透けて見える。

今年1月22日のダボス会議における基調講演では、安倍首相自らが
”電力市場の完全自由化、医療の産業化(!)、40年以上続いたコメの減反
の廃止など、久しく「不可能だ」と言われてきた大改革を決定。
自分自身が既得権益の岩盤を打ち破るドリルの刃となる"との趣旨を、
世界に向けて朗々と発信した(外務省ホームページより。!は筆者。)

今となって改めて思う。
果たして、「医療の産業化を阻む既得権益の岩盤」は、
首相の目に一体どう映っていたのか。
医療の産業化を阻む既得権益とは、具体的に何を指していたのか。
これまでのドリルの進行状況を観察する限り、
筆者が危惧するのは次のような事態である。


”既得権益の岩盤にドリルで穴をあけるつもりが、
実際は社会のセイフティーネットに大穴があいてしまいました。
しかし、その穴は民間企業のビジネスが埋めてくれていますので、
どうぞおカネを出して彼らのサービスを買ってください。
買えない人がいたとしても、外国資本もそこでビジネスをしているので、
国際協定により政府がその穴を埋めることはできません。
なお、財政も逼迫していますので、
政府としては穴を埋めるおカネを出すつもりもないのです。
どうかよろしくご理解ください、、、。”

(了)

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