誰でも国際保健に
貢献できる
病院をめざして

地域医療部後期研修医 国際保健委員会委員長 座光寺正裕  

「農民とともに」254号掲載 2014年4月30日


退職せずに国際保健に貢献
現職参加制度が始まります

2014年2月、佐久医療センター開院を目前に控えて、一つの英断がありました。
佐久病院の職員のまま、青年海外協力隊などの国際協力活動に参加できる
「現職参加制度」の採用が管理者会議で承認されたのです。
今までは、当院の職員がこうした国際協力に携わろうと考えても、
せっかく病院理念に「・・・地域づくりと、国際保健医療への貢献を目ざします」
と掲げてあるにもかかわらず、いったん退職してから応募するほかにすべがありません
でした。

今後は、管理部、診療協力部、看護部、医局すべての職員に、この制度に応募して
国際協力をするチャンスが認められます。
退職までは決断できず参加をためらっていた職員にとっては、
ずいぶん応募の敷居が下がったと思います。

国際保健協力は、佐久地域の人々の病気を直接治療することにはつながりませんし、
病院の収益が増えるわけでもありません。
しかし佐久の経験を世界各地の地域づくり・健康づくりにつなげることは、
佐久病院の企業としての社会的責任(CSR)であり、また分割再構築の急激な変化に
不安を感じている職員が、佐久病院の原点を見つめ直す拠り所にもなるのでは
ないでしょうか。


なぜ世界は佐久に注目するのか?

今日の世界でもなお、数十億の人々が最低限の健康的な生活を送ることができず
にいます。
当院にはこうした世界の国々から、毎年100名前後の研修生や視察団が訪れます。
これらの国々の健康問題は、高価な薬剤や検査治療機器がなくても、
たとえば手洗いや飲料水の煮沸を指導したり、トイレを設置したりと、
比較的単純で安価な対策で劇的に改善できることが少なくありません。
これは、若月俊一名誉総長が、貧しい農村で地域住民とともに「医療の民主化」
をめざした取り組みとまさに同じものと言えます。

一見すると無関係のような国際保健と地域医療ですが、資源が限られた状況の中で、
安くて質の高い医療保健福祉サービスを、
住民が主体となって形作る営みという本質ではとてもよく似ています。
病気が起こってしまってから治療するだけではなく、「病気を診ないで人を診」て、
疾病の社会的・構造的要因を解き明かし、生活に寄り添った視点から、
病気の予防や早期発見に努めることが求められます。

アルマ・アタ宣言で「プライマリヘルスケア」という用語が定義されるはるか
30年前から、住民主体の健康づくり、巡回診療、予防・検診活動などの
先駆的な取り組みが、この佐久の地で実践されていたこと、
またそれが現在の長野県の健康長寿の礎になっていることに、
海外研修生たちは衝撃を受けて母国に持ち帰ります。


国際保健の
仲間を増やしたい

2013年4月、佐久病院の国際保健は実は存続の危機に瀕していました。
それまで国際保健医療科で海外研修生の受け入れなどを一手に引き受けて
下さっていた出浦喜丈医長が退職され、その後任が空席だったためです。
この状況を打開しようと有志約20名が集まり、
「誰でも国際保健に貢献できる病院にしたい」を合言葉に、
国際保健医療科の下に新たに多職種による国際保健委員会を組織しました。

早速6月、7月とインドネシア、スリランカなどからの研修プログラムの改良
にも関与し、訪問診療への同行視察を企画し、好評を博しました。
8月には、第21回若月賞受賞者のスマナ・バルアWHO医務官と、
日本国際保健医療学会理事長の中村安秀・大阪大学教授などを講師にお招きし、
第1回佐久国際保健セミナーを開催しました。
全国から集った60余名の医療者、学生、会社員、自治体職員らと、
「今世界に伝えたい日本の地域医療の経験」と題して、佐久の地域づくり、
健康づくりの経験を、いかに世界の地域に伝えるかを語り合いました。
若い参加者たちの笑顔をご覧いただけば、こうした国際保健研修の機会に
いかに期待が寄せられていたのかが見て取れると思います。

9月にはタイ大使館からの依頼で、信州に住むタイ人の方たちに向けて、
移動領事館にあわせて健康相談会を開催、11月、フィリピンを襲った巨大台風で
全壊したフィリピン大学医学部レイテ分校の支援を、
発災後5日で開始した経緯は藤井麻耶委員の報告の通りです。


人材確保、育成、
定着戦略としての国際保健研修

そもそも国際保健を志す学生は決して少数派ではありません。
2010年の名古屋大学の調査では実に54%もの医学生が
「国際保健協力に興味がある」と答えています。
しかし現実はどうでしょうか。
残念なことに、医学部卒業後に国際保健に何らかの関わりを持つ医師は、
全体の1%未満です。

佐久病院がいままでの地域医療の経験を通じて、体系的に国際保健に関する研修を
提供できれば、今まで「興味はあるが、研修機会がない」と諦めていた医療者たちが、
佐久に注目してくれるのではと期待しています。
現職参加制度を認める病院は全国を見渡してもごく例外的であり、
これも大きな後押しです。

国際保健と地域医療の双方を継ぎ目なく行き来できる人材が、佐久の地に集い、
佐久の地域の人々に育てられ、世界のへき地に巣立ち、
世界の人々の健康を守る戦いの最前線にたち、またこの地に舞い戻る、
そういう循環ができれば、佐久病院本院が地域医療のメッカから、
地域医療と国際保健のメッカへと進化を遂げられるのではないかと夢見ています。

日本の中ですら医療者の不足が叫ばれているのに、彼(か)の国の心配をしている
場合か、という批判もあるかもしれません。
しかし、そういう状況だからこそ、
世界の地域の経験から互いに学び合う価値があるのです。
たとえ困難はあっても、必要とされること、未来につながること、
世界の役に立つことを佐久病院はやっていかないといけないのではないでしょうか。

2000年2月号の本誌で、当時の清水茂文院長は次のように述べています。
「私は以前からこの初期研修の中に、
海外研修システムを導入することを提案してきました。
(中略)
たとえばフィリピンです。
農村医学・農村医療を勉強すると同時に、
国際化を体験するためにも海外研修は大事です。」

それから14年が経過しましたが、臨床研修に関わる法的規制もあり、
今まで実現できずにきました。
しかし昨年8月の国際保健セミナーで、伊澤敏統括院長は「機は熟しました」と宣言し

病院をあげて国際保健人材の育成を推進する決意を表明しました。

この5月には国際保健医療科に新たに加藤琢真医師がスタッフとして着任し、
科の活動もようやく本格化します。
今後は定期的な勉強会やセミナーに加えて、院内通訳制度の再整備、
研修医の国際保健研修の試み、海外研修生のプログラム充実
などをめざして活動を進めていきます。
ぜひみなさんも国際保健委員会に加わって、一緒に国際保健を学び、実践しませんか。
委員になるのに知識や語学力は必要ありません。
「世界の人々とともに」という思いだけです。

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