93 今、思い返したい「農民とともに」の精神

日経メディカル 2014年2月27日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201402/535193.html

3月1日、長野県佐久市中込(なかごみ)に、「佐久総合病院佐久医療センター」
(渡辺仁院長、450床)が開院する。正方形の工場跡地、約13万平方メートル(4万坪)
に地上4階、地下1階の建物。救命救急、脳卒中・循環器病、癌、周産期母子医療を柱と
する診療を行う。
 
創立から70年間、佐久市臼田で「地域医療」に取り組んできたJA長野厚生連・佐
久総合病院の一部機能を分割し、新たな一歩が踏み出される。

分割再構築には、紆余曲折があった。1990年代には専門医療へのニーズも高まり、新
体制への転換が模索された。しかし臼田の本院(1万坪)は、駐車スペースを増やすの
にも苦労するほど敷地が狭く、現在地での再構築は難しかった。長野新幹線の駅がつく
られた佐久平方面への全面移転も検討されたが、各方面からの慎重意見もあって見送り
に。
 
その後、病院の分割再構築は「(結果として)雇用増で地域に貢献できる」との意見
も出て、2005年にJA長野厚生連が用地を取得。佐久市民からの強い後押しもあって、約
18万筆の支援署名が集まり、医療センターの開院が実現した。

臼田の佐久総合病院・本院は、診療機能を維持し、2年半後をめどに地域医療を主体
とする300床の病院に再構築される。佐久病院に勤務する身としては、新たな門出に気
持ちが引き締まる思いだ。

同時に、佐久総合病院の伊澤敏統括院長も常々語っているように、次代を担う新来の
医師たち、特に若手にいかに「佐久病院精神」を伝えるかが課題だと感じている。ハー
ドウェアばかりでなく、ヒューマンウェアの再構築が問われているのだ。

そこで、佐久病院精神を知るためのバイブルとして、ぜひ手に取っていただきたい本
がある。

『現代に生きる若月俊一のことば』(池井肇編集委員会代表、松島松翠編著、家の光協
会)――。言うまでもなく、若月俊一は、1945年に外科医長として赴任して以来、地域
医療と専門医療という「二足のわらじ」で佐久病院を「農村医療」のメッカにした
立役者。彼の言葉の一つひとつに、なぜ医師が地域に入らねばならないのか、なぜ人々
と共に歩まねばならないのか、大切な含意がある。

ソチ五輪のテレビ中継にお茶の間の目は釘づけとなったが、例えば、こんな言葉を若
月は残している。

「いくらオリンピックで体操競技が優勝を勝ち得たとしても、国中に神経痛の患者や
腰曲がりが満ちていたのでは、何にもならない」(『現代に生きる若月俊一のことば』
25ページ)。
 
言いっ放しではなく、若月は、実際に「農夫症」を減らすための「農民体操
」を考案し、普及させている。日本が高度成長に沸き返っていたころだ。若月は、八千
穂村(現・佐久穂町)の2つの集落で先行的に体操を採り入れ、丸1年、実験的にやって
もらったところ、肩こりや腰の痛みが7割も減退したデータが得られた。それを基に大
いに喧伝し、全国の農協や厚生連を通じて農民体操は広がった。

こんな言葉も残している。「私たちが健康の問題を懸命に取り上げているのは、それ
が平和の問題に大きく結びつくからこそである」(同書69ページ)。
 
若月が生きていたなら、病院の分割再構築と、今の時代・世相をどう眺めただろうか。
その問いをずっと抱き続けねば、と思う

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