フィリピン大学医学部レイテ分校

災害に負けない地域医療の理想
大澤文護 おおさわぶんご 千葉科学大学教授
エコノミスト 2014年3月25日

フィリピン・レイテ島にあるフィリピン大学医学部レイテ分校は、
昨年の台風30号で大きな被害を受けた。
だが、日本をはじめ世界から支援の輪が広がっている。

フィリピン中部・レイテ島にある、
フィリピン大学医学部のレイテ分校再建が、
日本の医療関係者の注目を集めている。

昨年11月にレイテ島を襲い、死者6000人以上を
出した台風30号で同校は全壊した。
だが同校は、医師や看護師の海外流出に悩むフィリピン政府が、
地域医療の専門家育成と国内定着を目的に設立し、
大きな成果を上げてきた学校で、日本からもこれまで、
地域医療を志す医学生200人以上が研修を積んできた関係を持つ。
日本だけでなく、他国からも援助の声が広がっている。

医師の流出をくい止める

レイテ分校は1976年、レイテ島の州都・タクロバン市から南へ
約10キロ、人口約6万人の地方都市・パロ市に開校した。
敷地面積4000平方メートル、学生数約140人。
村の小学校のような小さな国立大学医学部だ。

フィリピンでは70年代から、より良い待遇を求める医師や看護師の
海外流出が目立ち始めた。
現在は、年間の医師・看護師の国家試験合格者数の2倍に当たる
1万5000人程度の医療技術者が毎年、海外に出ているとみられている。

従来の流出先は欧米だったが、近年は中東への流出が顕著になっており、
サウジアラビアで働く看護師の3分の1以上はフィリピン人が占めている
といわれる。
今回のような自然災害時の救援活動でも支障になったという。

政府は、どうすれば医師や看護師が国内にとどまるのか、
検討委員会を立ち上げ、知恵を絞って作られたのがレイテ分校だった。

特色は二つある。
まずは学生選抜の方法だ。
医療従事者の不足する地方自治体が、貧困などで高等教育を断念した
優秀な学生の中から、将来、地元に戻ることを条件に志願者を募集、
学校に推薦する。
学校は推薦者を無試験、授業料無料で受け入れ、
生活費は出身自治体が負担する。

もう一つは「階段カリキュラム」の採用だ。
新入生は、まず地域医療従事者コースで健康科学や公衆衛生の基礎知識を学ぶ。
その後、助産師資格を得て、数カ月の地域研修に出る。
都会から遠く離れた集落を一カ所ずつ、足を頼りに回り、
健康相談や衛生指導のほか助産師としての実地経験を積む。
その後、地域の推薦を受けた学生だけが学校に戻り
看護師養成コースに進む。
看護師資格を得た後も、同様の地域研修、
地域推薦を経て医師養成コースに進む。
本人の能力や出身自治体の要望に応じ、助産師や看護師
の資格を得た段階で地域に戻り働くことも可能だ。

レイテ分校からは、このような地域研修による信頼関係構築と
使命感育成を重視したシステムで、2013年までに医師151人、
学士取得看護師218人、看護師504人、助産師2240人が巣立ち、
その95%が、設立当初の目的通りフィリピン国内で医療活動に
従事している。

佐久総合病院と連携

日本でレイテ分校と深い関わりを持つのは、地域医療、農村医療で
先進的な取り組みを行っている長野県佐久市の佐久総合病院だ。

「農民とともに」の精神で無医村への出張診療などを行い、
住民と一体の医療実践に取り組んだことで知られる、
同病院の故若月俊一名誉総長(1910年ー2006年)は
「農村医科大学」の設立を夢見ていた。
日本では実現しなかったが、その基本構想がフィリピンで取り入れられ、
実現したのがレイテ分校だった。

医療問題で多くの提言を続ける、佐久総合病院の色平(いろひら)哲郎医師
(54)は、医学生時代にレイテ分校を訪れた経験を持つ。
「研究志向の強い日本の医学教育に疑問を感じていた私は
(地域医療専門家を育てる制度に)衝撃を受けた」と語る。
「自分でも知らないうちに佐久の医師になっていた」という色平医師
だけでなく、医学部に入ったものの、”白い巨塔”に医師としての使命感
を感じ取れず悩む日本の医学生は多い。
そのような医学生が200人以上もレイテ分校で研修を積んだ。
その中から、地域医療の道を歩む多くの専門家が育っている。

2月中旬、佐久総合病院の医師で同病院を中心に結成した支援組織
「レイテ分校友の会」理事を務める座光寺(ざこうじ)正裕医師(30)
らとともに、私はレイテ島の現場を訪れた。

レイテ分校の被害は大きかった。
04ー08年の4年間、毎日新聞マニラ支局長を務めた私は、
かつてレイテ分校を取材したが、その時見た風景とは一変していた。
60年代に地元自治体の産院として建設され、学校本館となった
木造2階建ての管理棟は、屋根が吹き飛び、壁や扉もない無残な姿だった。
台風で命を失った教員や学生はなかったが、学校内に姿は見えなかった。
学生たちは、タクロバン市内にあるフィリピン大学タクロバン校の
敷地を借りて進められる、仮設校舎、寄宿舎の建設作業に従事していた。

ただ、仮設教室が完成しても、地元自治体から借りていたレイテ分校敷地は、
被災を契機に市から返還を求められている。
新校舎建設については場所や予算を含めメドが立っていないのが実情だ。

レイテ分校の学生たちが置かれた状況は深刻だ。
仮校舎建設現場で会った、医師養成コースのマイレン・ボンタルデさん
(24)と助産師養成コースのジェア・アリザ・クイアルさん
(20)は「教科書やパソコンのほか、資格取得に必要な地域研修
の資料をすべて失った」と嘆いた。
看護師養成コースで学ぶダイシリ・アイデル・タンパモガスさん
(20)は「実習で使う人体模型がなくなったのが、一番困る」と話す。
寄宿舎や下宿先を失った学生たちは、当面、細い骨組と薄い壁
でできた仮設寄宿舎で寝泊まりを余儀なくされる。
だが、そんな困難の中でも、学生たちは「ヨランダ(台風30号の
フィリピン名)を生きのびた私たちに怖いものはない。
一日も早く医療現場に出て、地域の人々のために役立ちたい」
と話していた。

世界各地から支援

レイテ分校には日本だけでなく、台湾、米国など世界各地から
支援の申し出が集まっている。
今回訪問で緊急支援資金を現地に託した座光寺医師は
「ここはレイテ島の医療を支える人材を育てる場というだけでなく、
世界中の地理的・社会的僻(へき)地の健康を支える人材養成を
目指す人々の『聖地』とも言うべき場所になっている。
今回の被災で各国から支援の声が上がったのも、レイテ分校の
重要性に、世界の医療関係者が共感しているからだ」と話す。
さらに日本の医療関係者からは、地域医療への使命感を持った
人材を育てるノウハウを学ぶため、レイテ分校とのより密接な
人材交流が必要との声も出ている。

色平医師は「医療技術は進歩したが、人が人の世話をする
という医療の根っこは細くなってしまった」と医療現場の実情を語る。

日本においても、地域医療の再生は大きな課題だ。
現在交渉が進む環太平洋パートナーシップ協定(TPP)では、
人間が途上国から先進国に「労働力」として移動することを想定している。
医療を含む専門家の海外流出の懸念が広がる。

ならば逆に、先進国を自負する人々が見失ったものを経済的な
支援を受ける途上国に行って学ぶ、というような国際貢献システムが
あってもいい。
レイテ分校支援に立ち上がった日本の医師たちは、その実現を夢見ている。
世界からレイテ分校という「理想のモデル」を失ってはならない
という声が広がっている理由もそこにある。

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屋根が吹き飛んだフィリピン大学レイテ分校本館。
フェンスには日本などの支援に感謝するメッセージ(著者撮影)

器材を失った診療所で診察するレイテ分校1期生の
ネミア・サングラノ医師(筆者撮影)

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