92 認知症者が背負ってきた「ものがたり」

日経メディカル 2014年1月28日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201401/534715.html

先日、「坂の街」長崎を再訪、ポンペや松本良順ゆかりの長崎大学で話す機会があっ
た。大学に向かう街の本屋で、話題の映画の原作本を見つけ、買い求めた。

認知症とはどういうものだろうか。

厚生労働省は、ホームページ上で「認知症とは、いろいろな原因で脳の細胞が死んで
しまったり、働きが悪くなったためにさまざまな障害が起こり、生活するうえで支障が
出ている状態(およそ6カ月以上継続)を指します」と説明している。

「障害」や「支障」と当たり前のように書いているが、この定義は「非認知症者」の
側からの見方であろう。認知症の人々が生きている現実は、単純に障害、支障とは言い
切れないのではないか。非認知症者側は、簡単に幻覚とか幻聴、せん妄、徘徊などと呼
ぶが、そのような行動を取っているとき、認知症の人は別の現実を生きているのかもし
れない。

『ペコロスの母に会いに行く』(岡野雄一著、西日本新聞社)は、そんな認知症の人
のもうひとつの現実を、想像力を働かせて見事に描いたコミック&エッセイ集だ。昨秋
には映画化され、全国で上映されている。

ペコロスとは子玉ねぎのことで、丸い頭がツルツルに禿げあがった団塊の世代の主人
公のニックネーム。舞台は長崎市の坂の上にあるグループホームだ。夫の死後、認知症
がゆっくり始まり、その後脳梗塞で倒れてグループホームで暮らす母の元を、主人公の
ペコロスが訪れる。

天草出身の母は、生前、酒乱でさんざん手を焼かされた父と、懐かしそうに語り合っ
ている。脳梗塞の後遺症で痺れた手を父になでてもらい、「おいしか酒ば用意して、待
っとりますけん」と笑いかける。

ホームの食事を母が平らげた直後、「どもネ」と父はまた現れる。俺にできることが
あったら言ってくれ、と父が言うと、「がんばらんば(がんばろうよ)って言ってくだ
さい」と母は返す。そんなやり取りが、息子ペコロスの慈しみに満ちた視点で描かれて
いる。

他人は、それを幻覚、幻聴と呼ぶ。しかしそれは一面的な見方なのかもしれない。こ
の家族が生きてきた歳月と、関係性で紡がれたものがたりを、母は現実として生きてい
る。
 
私たち医師は、認知症の人、一人ひとりで背負ってきたものがたりを、どのくらい読
み解こうとしているだろうか。読み解けているのだろうか。

他者の生活史を知るには、普通いうところの医学知識とはまた別の広い教養と感受性
が必要な気がした。

日本の医学教育濫觴(らんしょう)の地、長崎でそんなことを考えた。

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