「戦後」の墓碑銘

新連載 第一回 白井聡

対米従属支配層の抱えるディスコミュニケーション

昨年末の安倍晋三首相の靖国神社参拝以来、日本政治の置かれた状況は急迫している。
靖国参拝決行後即座に米大使館から「失望」のコメントが発せられた。
そして年明けの1月22日、同首相はダボス会議の記者懇談会で
「現在の日中関係は、第一次大戦直前の英独関係に似ている」
旨の発言をしたと報じられ、悪い意味で世界的注目を浴びている。
さらに25日、今度は首相の肝煎(きもい)り人事とも目されるかたちでNHKの新会長
に就任した籾井勝人(もみいかつと)が、「『従軍慰安婦』は戦時どこにでもあった」
等々と発言、こちらも国際的注目を集めているであろうことは疑いない。

ちなみに籾井なる人物は三井物産出身(最終的には副社長)で、
日本ユニシス前社長である。
ここでも「戦後の終わり」を実感せざるを得ない。
戦後日本で人口に膾炙(かいしゃ)していた「政治は二流、経済は一流」
という表現は懐かしい代物となり、いまや「経済も二流以下」に成り果てた。
戦後69年目に政治権力の頂点を占めているのが安倍晋三のごとき人物である、
つまり、いよいよ「平和と繁栄」と形容されてきた時代の終焉(しゅうえん)が
体感されるようになったときにこの国の国民が選んだ政治家がかかる人物だった
ことと、財界人のあいだでの猟官レースの勝利者がこうした人物になることは
並行関係にあるだろう。
残念だが、われら国民が戦後を終わらせるにあたって、言い換えれば、
時代にけじめをつけるにあたって、選んだのはこうした面々なのだ。

=靖国参拝に米国は失望=

事態が急迫しているというのは、
戦後日本についてのフィクションが急速に壊れつつあるからだ。
そのフィクションとは「第二次世界大戦での敗北を受けて、
日本は、戦中の全体主義的性格を払拭(ふっしょく)し、自由主義と民主主義を
尊重すべき価値として受け入れた」、という物語である。
この物語が嘘だらけであることは日本国民の多くが承知しているし、
戦後日本の大枠をつくり上げた米国の関係者もその虚構性をよく知っていたはずだ。
しかし、その欺瞞(ぎまん)性を表沙汰(おもてざた)にしてしまうことは、
日米の支配層の誰にとっても都合が良くなかった。
戦前から生き残った日本の支配層にとっては、
それは彼らの支配の正統性を掘り崩すことになる。
米国の支配層にとっては、それは日米同盟の正統性を揺るがせることになる。
かくして、当事者のうちの誰も信じていない虚構が、現実と同一視されることに
なった。

いまから10年と少し前、オランダを訪れた時の経験を思い出す。
彼の地でおそらくはそれなりにリベラルな見解を持つ年配者と話す機会があった。
ちょうどそのときイラクへの自衛隊派遣が実行されていたのだが、
オランダ人の彼はそれについて
「日本は大国なのだからその責任をようやく果たし始めたのはよいことだ」と述べた。
安倍首相の大好きな言葉で言えば、「積極的平和主義」である!
私は困惑した。
「そんな単純な話じゃないんだ、、、」と。

虚構が崩れる過程であらわになってきたのは、対米従属支配層の抱える
ディスコミュニケーション――アジア諸国のみならず、当の米国との齟齬(そご)
――の問題である。
靖国に関し、昨年10月のヘーゲル国防長官・ケリー国務長官の千鳥ヶ淵墓苑訪問に
代表されるように、米国は数度にわたって「行くな」というメッセージを
明確に伝えて来ていた。
ゆえに、靖国参拝の決行が「失望」というメッセージを引き出してしまったのは
全く当然のことにすぎない。
だだし、『毎日新聞』の1月17日朝刊の報道によれば、首相もさすがに、
米国からの批判的反応は予想していたと見られ、参拝に反対する周囲に対し、
「私が参拝したことで日米同盟が揺らぐとしたら、関係強化の取り組みが甘いという、
私の失政だ」と語ったという。
その後、安倍内閣の閣僚は「真意の説明」に追われている。
だが、彼らの「真意」が理解される日は永遠に来ないだろう。
米国からすれば、日本が東アジアでの緊張を高めるのをやめることのみが重要であり、
靖国がどのようなものかなどということには、関心がないからである。

=ダボス会議の安倍発言=

そして再び、ダボス会議での首相の発言が世界的な衝撃をもたらす。
日中の緊張が高まっておりそれが第一次世界大戦前夜の英独関係と共通点があること
は事実だが、こうした状況下だからこそ一方の国家元首がかかる発言をするのは、
「もはや衝突は不可避」というメッセージとして読み取られる。
またしても菅官房長官は、「第一次大戦のようなことにしてはならないという意味で
言っている、、、事実をちゃんと書いてほしい」(『産経新聞』1月24日)
云々(うんぬん)という「真意の説明」に追われることとなった。

確かに似ているのだ。
何に?
第一次大戦前夜の欧州だけでなく、太平洋戦争前夜の日米関係である。
当時、「米国はアジアに本気で介入はすまい」という根拠薄弱な希望的観測に縋
(すが)りついたために、米国からの警告メッセージを受け流してしまい、
その挙句ハル・ノートを突きつけられるに至った。
そして、支配層全体が、東条英機でさえも本当のところは対米開戦を避けようと
望んでいたにもかかわらず、真珠湾攻撃へと突き進むことになった歴史を、
この国は持っている。
そしていま、ダボスでの安倍発言に関して「誤訳があった云々」という火消しを
意図した(つもりの)言説がさまざまなレベルで発せられているが、この際、
本当に誤訳があったかどうかなどということはまさしくどうでもよい。
一連の歴史修正主義的発言、そして靖国参拝の強行といった文脈から首相の発言は
解釈されたのであり、仮に明確な誤訳があったとしても、
身から出た錆(さび)にほかならない。
そう、似ている。
外交当局が宣戦布告文の翻訳に手間取って真珠湾攻撃が国際法違反の奇襲となって
しまった、あの経緯に似ているのだ。

そして、1月26日、共同通信が報じたのは、米国が研究用として日本に貸し出して
いる300キロのプルトニウムに対する返還の要求であった。
いまこのことが表面化した理由は明白だ。
虚構が崩れた結果、「日本にプルトニウムを持たせることはあまりに危険だ」
という認識が世界的に形成されつつあるということだ。
これほどの屈辱を国民に対して与えた首相は、戦後の歴史上いなかったと思われる。
もう一刻の猶予もならない。
語の正しい意味で「戦後を終わらせる」ことの可否は、
我々の生存を直接的に左右するだろう。



今号から月1回のコラムを連載することとなった。
拙著『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版、2013年)
に書いたように、私はいまの日本のあり様を「戦後の終わり」を否応なく
自覚せざるを得なくなった状態と見ている。
「戦後レジーム」に内在していた矛盾はその限界点に到達し、崩壊が始まった。
この崩壊は戦後日本社会の構造の根っこからの転換を意味するのだから、
及ぶ影響の大きさは測り知れない。
本連載では、時にマクロに、時にミクロに、この崩壊劇とそれがもたらすものを
観察・分析する。
そのなかで、「戦後」とわれわれが呼びならわして来た時代が一体どのような
時代であったのか、その本質は明白に姿を現すであろう。
「ミネルヴァの梟(ふくろう)は夕暮れ時に飛ぶ」(ヘーゲル)のだから。
ゆえに、この作業は「戦後」の墓碑銘を刻むことでもある。
それを通して、われわれは何を歴史の屑籠(くずかご)に叩き込み、
何を守らねばならないかを、思想的に確信しなければならない。
(一部敬称略)
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しらい さとし・文化学園大学助教。著書に『永続敗戦論』(太田出版)

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