翻弄され続けた沖縄描く「懸命に生きた」自身の一族軸に

上田在住・伊波敏男さん「島惑ひ」出版
信濃毎日新聞 2013年6月17日

「沖縄の歴史を本土に住む日本人にも分かるように書いてみたかった」。
沖縄県出身の作家でハンセン病回復者の伊波(いは)敏男さん(70)
=上田市=が「島惑ひ」(人文書館)を出版した。
一族の物語を軸に、明治から今日までの沖縄の近現代史を描いた力作だ。
伊波さんに新著に込めた思いを聞いた。(編集委員・増田正昭)


物語は曽祖父の伊波興來(こうらい、1850-1903)に始まり、
祖父、父、筆者の世代へと下っていく。
読者は、4代にわたる一族の波乱に満ちたドラマに導かれながら、
琉球王国が明治政府に強制的に併合された琉球処分(1879年)
から現代までの沖縄の歴史を一気に読み通すことになるだろう。

物語を曽祖父から始めたのは、明治までさかのぼらないと
沖縄を--まるごと理解してもらえないと考えたからだ。
「曽祖父となると検証が難しい。
沖縄に何度も足を運び、関係者に取材したり、専門書を調べたりして、
虚構を織り交ぜながら書き上げた」

琉球王国の官吏をしていた興來は琉球処分に抗議し官職を辞して農民となり、
日本国への不服従を貫いた。
子どもたちには自ら学問と武道を教え、新政府の教育は拒否する徹底ぶりだった。
だが、家を継いだ長男が巨額の債務保証を請け負い、一族は没落。

興來の次男で伊波さんの祖父・興用は、貧困のどん底のなかでわが子を
奉公に出さざるを得なくなる。
その一人が伊波さんの父・興光(故人)だ。
「祖父のことを書くのは涙が出るほど悔しかった」と伊波さんは振り返る。

父・興光は裸一貫で南大東島に渡り、有数の篤農家になるが、
先の大戦で同島は旧日本軍の拠点に。
家畜をすべて軍の食糧に供出し、1944年10月、沖縄本島に移住。
そこで米軍の猛攻撃に遭って一家10人が逃避行を続ける。
幸いにも犠牲者は出なかったものの、
苦労して築いた南大東島の資産は人手に渡ってしまった。
「ヒーローはいない。
時代に翻弄(ほんろう)されながら懸命に生きてきた一族です」

伊波さん自身も苦難の人生を経験する。
57年、14歳のときにハンセン病を宣告され、
屋我地島沖縄愛楽園に隔離されることに。
別れの日、父親が三線(さんしん)を弾きながら歌った「散山節」
(さんやまぶし)が、いまも耳に残っているという。
ハンセン病を宣告されてからの歩みは、
97年に出版した「花に逢(あ)はん」に詳しく描かれている。

伊波さんは当初、本書のタイトルを「月桃の風韻」にするつもりだった。
だが、執筆を準備するなかで、
米海兵隊の新型輸送機オスプレイが沖縄に配備される問題が起きた。
「やわな題名では沖縄の気持ちが伝わらないと思った」

タイトルの「島惑ひ」は、沖縄学の祖・伊波普猷
(ふゆう、1876-1947)の造語からとった。
戦争で深い傷を負った沖縄の行く末を思い悩む普猷の胸中を表現した言葉だという。
「戦後60年以上たっても沖縄の基地をめぐる状況は変わらない。
このまま日本の中にとどまることに意味があるのか、
疑問に思う人たちが間違いなく増えている」

「沖縄」と「ハンセン病」-。
本書の文章の一つ一つに国家による切り捨て政策を身をもって体験してきた
伊波さんならではの思いが込められている。
「生身の人間が時代をどう生きてきたのか、
日本や沖縄の未来を担う若い人たちに知ってもらいたい」


写真キャプション=伴侶の故郷の上田市に移り住んで12年。
「友人がたくさんできて本当に幸せです」と話す伊波敏男さん

inserted by FC2 system