TPP 急激な変化は根本を崩す

毎日新聞 2013年6月14日
佐久総合病院医師 色平哲郎


TPPは、現時点で詳細が明らかになっていない点が多く、
日本が参加するかどうかは慎重に判断すべきだ。

まず、薬価の問題がある。
日本は薬価が米国に比べ2分の1から3分の1と低く抑えられている。
そのため、TPPに参加すれば、米国の高い薬価に引きずられ、
日本の薬価も上昇するだろう。
それに伴い、医療費全体の増加につながる可能性が高い。
これは医療費の抑制策を推し進めてきた国の大方針と相いれない。

医療費をかければ平均寿命などの健康指標が改善されるとは限らない。
米国では、1人当たり日本の約2倍の医療費を使っているが、
健康指標は日本よりかなり低い。

むしろ、医療費が増えると、国は医療者の人件費など、
薬価外のコストを抑えにかかることが予想される。
診療報酬を引き下げ、一部で患者の自己負担を増やし、
患者の負担軽減のための高額療養費制度への支援額を少なくしていくことだろう。

また、保険診療と、私費による自由診療を併用する「混合診療」が、
全面解禁される方向が危惧される。
民間保険が参入できる余地が生じれば、公的医療保険でカバーされる部分が狭まる。
混合診療が部分的にしか認められていない日本で、
患者がアクセスできる技術に限りがあるのは事実だ。
しかし、新技術が常に素晴らしいわけではなかった。
2011年秋の最高裁判決でも全面解禁を禁止する現在の法運用の適法が確定している


医療アクセスへの制限を取り払うことは、一見良さそうにも思えるが、
混合診療が全面解禁されるとどうなるか考えてほしい。
例えば、都心にホテルのように豪華な病院ができる。
そこでは、患者ごとに看護師がつきっきりの手厚いケアがなされる。
裕福な人が受診するため病院も潤う。
待遇が良い一部の病院に医師や看護師が集まる結果、
一般病院の医療者不足はさらに深刻化。
現状の手薄い態勢がますます悪化し、著しい医療格差が生じるのではないか。

これは、決して大げさな話ではない。
例えば、英国では十数年前、医師不足が深刻化して医療危機に陥った。
原因は政府による医療費の抑制策だ。
「英語に堪能」な英国の医師は、より良い待遇を求めて海外に流出した。
英国内の英国人を主に診ていたのは、インド系やアフリカ系の医師らだった。
日本でも、優秀な日本人医師が海外に流出する事態になりかねない。

日本では国民皆保険の下、国民は均一で比較的質の高い医療をいつでも、
誰でも、どこでも受けられる。
それは、医療者が患者の懐具合を顧慮する必要なく、
病状に応じて治療に専念できてきたためだ。
こうして醸成された医療者のありようが、先進国の水準からみれば決して高くはない
医療費で過酷な診療現場で踏ん張り続ける医師や訪問看護師を生み出すなど、
今の貧弱で手薄い医療体制をかろうじて支えてきたと考えられる。
その根本が、壊されるかもしれないのだ。

医療の世界にもグローバルな市場化の波が押し寄せているが、
「世界標準に合わせる」と称する急激な変化は、
国民の宝である皆保険の内実を崩壊させかねない。
TPPは、決して農業・農村の問題ではない。
一部の国民の利害の問題というより、
都市近郊の普通の庶民の老後に直結しかねない大問題である。

【聞き手・河内敏康】

いろひら・てつろう 1960年生まれ。東京大中退後、世界を放浪。
90年京都大学医学部卒。98-2008年、長野県南相木村国保直営診療所長。
同年から現職。
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