84 生きることへの意欲を呼び覚ます『看護の力』

日経メディカル 2013年5月29日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201305/530745.html


ふだん慌しく過ごしているせいか、食事はアッと言う間に済ませてしまう。
勤務先の病院では、特に「早メシ」になる。
家人から、もっとちゃんと噛んで食べた方がいいよ、と言われる始末だ。
なんだか、とてもバチ当たりな食べ方をしているなぁと感じた。

というのも、最近、終末期医療の分野で「食」のあり方を見直そうという動きが、あち
らこちらで起きているからだ。
従来の、栄養価だけを考えた、細かくミキサーにかけた食事や流動食を見直して、でき
るだけ患者さんご本人の食べたいものを、食べたい時に、という姿勢が芽生えている。
経管栄養、胃瘻への反省からだろうか。
人は管から栄養を与えられる機械ではない。
口から好きな食べ物をいただくことが、どれだけ生きることへの意欲、
生の実感を喚起することか。
 
日本の看護教育をけん引してきた川嶋みどりさん(日本赤十字看護大名誉教授)の著書
である『看護の力』(岩波新書)に、看護の「原点」として、患者さんや高齢者への摂
食援助に関する記載があった。
末期癌でほとんど食事が摂れなくなっていた男性患者さんが突然、
「アケビのステーキが食べたい」と言って、周囲を困惑させたという。
看護師があちこちを探してアケビを見つけ、フライパンで焼いて味噌だれを付けた。
病室のお膳にのせると、涙を流しながら「美味しいなぁ」と食べ、
そして、お粥にも箸をつけたという。
 
かつて経管栄養の技術などなかった時代、看護師は患者さんの食欲を引き出すため、目
の前でわざわざ夏みかんの皮をむいて、唾液の分泌を促したり、
味覚を損なわないよう番茶でうがいをさせたりしたものだという。
わずかの食べ物であっても口に入ると、食感を契機に食欲が呼び覚まされる。
川嶋さんは、それを「きっかけ食」と呼んでいる。

胃癌末期の女性の友人を見舞った際、川嶋さんは特上のにぎり寿司を買ってきてほしい
と依頼された。
友人は、買ってきた寿司のタネを除き、ご飯粒を紙皿にのせ、一粒だけ口に入れて目を
閉じる。

「口に入れてからお念仏を唱えながら噛んでいるとね、
いつのまにか口の中が空になってしまう」と友人は言う。

こう、川嶋さんは『看護の力』に記す。

「彼女のお念仏とは、『この一粒は賢のため……』『この一粒は協子のため』と、夫や
子どもたちの名前を交互に唱えながら噛み続けていたのでした。
この食へのすさまじいまでのこだわりが、
末期の彼女のいのちの源になっているように私には思えました」

病む者としての人生を生き切った俳人、正岡子規は、こんな句を残している。

「栗飯や病人ながら大食らい」

「かぶりつく熟柿や鬚をよごしけり」

早メシの医師たち、われわれは胸に手を当て、反省をした方がよいのかもしれない。

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