長塚節「土」の世界―写生派歌人の長篇小説による明治農村百科から抜き書き:

第3章「ムラ社会の優しさと干渉」では、主人公の勘次を
中心に語られるムラの中のさまざまな付き合いについてまとめる。
近所と姻戚による手厚い互助、義理の応酬。
その仕組みは現代の都市生活からは想像できないほど緊密である。
勘次の盗癖という不祥事も、地主の内儀(節の母がモデル)の
計らいで穏便に片付けられる。
この息苦しいまでに緊密な社会に風穴を開けるのが、
よそ者と世間師である。
(4ページ)


第4章:その夜、お品の病状は急変した。
翌日勘次は医者の往診を頼みに、何度も渡し船で川向うにわたる。
最初の医者は注射器を持たないからと治療に当たらず、
二人目の医者が破傷風の血清を注射。
しかし手おくれでお品ははげしい痙攣と激痛の中、その翌朝息をひきとる。
知らせを受けて野田の醤油蔵から駆けつけた養父・卯平(71歳)は、
お品と十分話ができなかったことで、勘次をうらむ。
勘次は臨終のお品の頼みどおり、家の裏に埋めてあった胎児を掘り起こし、
お品の棺桶に入れてやる。
(18ページ)


「一つムラ」の結束は強く、相互に助け合い、和を保つことが暗黙のルールだった。
日常的に道具や労働力の貸し借りや、もめごとの仲裁など、
さまざまな互助の例が見られる。
しかしこうした互助の裏には相互監視と制裁があった。
ムラの持つ優しさと窮屈さの二面性について『土』は多くの事例を提供する。
・・・
このようなムラ社会を維持するための規範や慣習は、これまでもっぱら
民俗学の対象であったが、最近では開発論でもソーシャル・キャピタル、
訳して「社会関係資本」として見直されるようになった。
国際開発のために途上国に出かける者にとって、
日本農村の社会関係資本のあらましを知っておくことは有益であろう。
・・・
日々、「無(ね)え、足(た)んねえ」の心配ばかりしている
貧農たちの間では、持っている者が持たない者に融通するのは当然とされた。
勘次は南隣から頻繁に農具を借りている。
たとえば畑の収穫物を運ぶための荷車や、俵や薦を編む「薦っくこ」、
麦や蕎麦の粉をひくための碾(ひ)き臼などだ。
勘次と「南隣」との間には、一般に「結(ゆい)」
と呼ばれる労働交際が見られる。
『土』の中では「いいどり」と呼ばれ、その返礼として「いい返し」が行われる。
(108ページ)


「日本の伝統的な村落社会においてはウチとソトを区別する観念は強く、
ムラに対してソトの世界をセケン(世間)とかタビ(旅)といった。(中略)
村落の秩序外にある世間師の彼らは危険な存在として警戒されたが、
同時に村人が自給できないものや珍しいものをもたらしてくれ、
また世間の動きを教えてくれる人々として歓迎され、歓待された」
(128ページ)


東京駅近くにある京橋の国立近代美術館フィルムセンター(NFC)では、
「発掘された映画たち」という常設展の中で、『土』の旱魃のシーン(4分)
が繰り返し映写されている。
そのシーンを文章化すると次のようになる。
(238ページ)
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