「チャイナ・ジャッジ」より抜き書き:    

その年の12月27日、 トゥ・ショウヘイの家には長老たちが集まっていた。

その中に、もちろん薄一波がいた。

安徽省から始まったデモの原因は、
すべて胡耀邦総書記の柔軟すぎる姿勢にあると断罪。

翌87年1月10日、薄一波の呼びかけにより「民主生活会」が開催された。

まるで胡耀邦を吊し上げるような批判大会となり、
延々6日間にわたって批判が続いた。

この手法も、文革とほぼ同じだ。


胡耀邦総書記を最も悲しませたのは、文革後、あれだけ全身全霊を込めて奔走し、
名誉回復をしてあげた薄一波が、今度は先頭を切って自分を攻撃し、
自分を総書記から引きずり降そうとしているということだった。

その悔しさと理不尽さを最も理解したのは習仲勲、習近平の父親だ。

彼は我慢できずに薄一波と彭真そして王震を指さして叫んだ。

「ああ、なんてことだ!

あなたたちは、いったい何をやっているんですか!

・・・

激高した習仲勲は机を叩いてさらに続けた。

・・・

すると、トゥ・ショウヘイが習仲勲をカッと睨んだ。

・・・

分かったか!

と言わんばかりに、トゥ・ショウヘイは習仲勲を一喝した。

この長い言葉を言っている間、一度も習仲勲から目を話さなかった。

こうして、87年1月16日、政治局会議において胡耀邦は総書記を解任された。

・・・

習近平がアメリカから戻ってくると、「チャイナ・ナイン」は会議を開き、
薄煕来の処分に関して話し合った。

驚くべきは、全員が一致して薄煕来を罷免することに賛成したということだ。

まずはチャイナ・ナインの党内序列ナンバー1からナンバー9までの
態度を見てみよう。

・・・

ナンバー9 周永康:
唯一、しぶしぶ賛成(なぜなら、
王立軍に握られている遼寧省盤錦市時代の腐敗を薄煕来も知っているから。
また石油閥としての腐敗も薄煕来が握っているから。
自分の後釜に薄煕来を推薦した過去もあるから。
それゆえに逆に罷免後は徹底的に胡錦濤擁護!)

・・・

抗日戦争に参加した人、革命戦争に参加した人は「偉い」のである。

この中国を誕生させた礎なのだから。

その喬石は誰よりも積極的に薄煕来罷免に対して賛同を示した。

すべての賛同者に共通した認識は以下の通りである。



「薄煕来のやり方は、文革後、中国が大きな犠牲を払いながら構築してきた
集団指導体制と法治を崩壊させ、第二の文革を招来する。

中国共産党による指導体制を崩壊させ、文革時代に中国を戻し、
社会の安定を覆してしまう。

そのようなことは、革命の犠牲になってきた人々、文革の犠牲になってきた
人々に申し訳が立たない(心の中では、天安門事件による犠牲者にも申し訳ない
と思っている者が相当数いたかもしれない)。

ようやくここまで復興させてきた中華民族の繁栄を終わらせてしまうことになる。

一人の野心家のために、中華民族の誇りを失わせるわけにはいかない。

薄煕来のようなやり方をすれば、中国共産党体制は一瞬で崩壊するだろう。

それだけは絶対に防がなければならない。

そもそも今年の秋に開催される第18回党大会のスムーズな政権移行にも重大な
影響をもたらす。

したがって、党大会のかなり前までに罷免しなければならない。」



これは全員が共通した認識として決議された。

これが「中国の審判の基準」すなわち「チャイナ・ジャッジ」だ。

ここでは腐敗問題は理由に挙げられていない。

不正蓄財などを言い始めたら、どの共産党幹部も、ほとんどジャッジの対象となろう。

だから、そのようなことだけでは罷免されないのである。

・・・

3月15日に薄煕来が重慶市書記を解任された後は
「北京ではクーデターのための銃声が聞こえた」
というネットの書き込みが現れネットは燃え上がった。

すぐに削除され、中国版ツイッターである「微博」(ウェイブォー)
などは2日ほど完全封鎖され使えなかったくらいだ。

そのための誤作動だろうか、あの「万里の防火壁」(Great Fire Wall)
が一部崩れ、何と、天安門事件や法輪功などの「禁断の画面」が5億円(ママ)
を超える中国のネットユーザーの目の前に現れた。

中国人民解放軍が天安門に攻めてきた時、タンクの前に立ちはだかって離れない
「タンク男」の場面や、法輪功信者が天安門前で焼身自殺する場面など、
若者は見たことがない「禁断の場面」だ。

この時私は北京のホテルにいて、しかもネットをつないでいたので、
何か幻でも見たのかと一階のビジネスセンターに駆け付けた。

するとスタッフも騒然となっており、「えっ、なに、これ?」
「えっ、どうしたの?」と口々に囁いている。

ああ、幻ではない。

現実に起きたのだ。

そう思って、なりゆきを追いかけた。

・・・

薄一波はある意味、毛沢東よりも強くそして長く、
中国という国をコントロールし続けた人物と言っていいのではないだろうか。

中国の政治体制改革を阻んだのは、江沢民に代表される利益集団よりも、
「自分の息子のために」中国共産党支配を崩してはならないという薄一波の
執念であったのではないかと思うのである。

この強権体質が崩壊すれば、チャイナ・マネーも消えていくだろう。

それを追跡する私の執念は、私自身の人生を解明したいという怨念にも
似た思いであるかもしれない。

・・・

2012年8月12日  遠藤 誉

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