愛国教育は諸刃の刃――中国共産党体制に潜む危うさ    

     「戸籍」という“安全装置”はもう機能しない http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121005/237713/?P=1
     遠藤 誉  2012年10月9日(火)

 9月に中国で展開された「反日デモ」は、すでに「デモ」の範疇を遥かに超え、犯罪
的「暴動」の領域に達した。このことは、中国内部はもとより、全世界の一致する見解
だろう。中国は領土問題に関して国際社会を味方に付けるべく、あらゆる機会を使って
中国の正当性を各国で主張しているが、国際社会に印象づけた中国進出リスクを軽減す
ることは、もはや困難だろう。 

 次期政権に残された課題という視点から、暴動と化した反日デモの裏にある、中国共
産党体制と中国社会の「危うさ」を分析してみたい。 

 今回のデモは現象的に言えば、9月19日のこの連載(「発火点は野田総理と胡錦濤国
家主席の『立ち話』」)で述べたとおり、中国政府が「デモのリスク」を覚悟してもな
お抗議声明を発しなければならない状況から激化した。 

 中国政府はいかなるデモであれ、ひとたび「デモ」という抗議運動が全国的に広まれ
ば、それは必ず「反政府運動」に発展していくことを百も承知だ。 

 だから2005年の大規模な反日デモのときも、実は中国政府自身は日本に対して、いか
なる抗議声明も出していない。デモの原因は小泉元首相の靖国神社参拝と日本の国連安
保理常任理事国入りへのオファーだった。「歴史」の反省をしていない日本のどこに、
「安全保障」を論じる資格があるのか、という声がアメリカのサンフランシスコにいる
華人華僑たちから起こり、それが中国大陸にも波及していったものだ。 

 このとき中国政府は国連に対して明確な意思表示をしなかった。 

 したがってデモ参加者たちの多くは「政府が立ち上がらないのなら、僕たちが立ち上
がる!」と、北京にいた筆者に怒りをぶつけた。このデモでは、胡錦濤を「売国奴」呼
ばわりし、「現代の李鴻章」と罵倒する者さえいた。 



「毛沢東」か「毛主席」か

 李鴻章とは日清戦争の講和条約である下関条約に調印した当時の清王朝の全権大使。
 

 日清戦争とは1894年から1895年にかけて、当時の「大日本帝国」と当時の中国の清王
朝との間で戦われた戦争。主に朝鮮半島にあった朝鮮王朝をめぐる戦いで、清王朝は惨
敗し、日本に遼東半島、台湾、澎湖諸島などの諸島嶼の主権を永遠に日本に割与すると
いう条約を結んだ。この条約を「中華民族に対する屈辱」として、中国は李鴻章を「中
華民族の永遠なる売国奴」と位置付けている。 

 その李鴻章に胡錦濤をたとえて、胡錦濤を罵倒した。
 それでも「毛沢東の肖像画」がデモの最初から出現したことは、未だかつてない。 

 ところが、どうだろう。 

 今回は「釣魚島(尖閣諸島に対する中国側の呼称)国有化に反対する」という横断幕
と同じ程度に、毛沢東の肖像画が最初から目立った。しかも「毛主席よ、早く帰ってき
てよ!」という言葉に見られるように、標語には「毛沢東」ではなく「毛主席」という
表現が目立つ。 

 つまりデモ参加者が「国家主席」として崇めているのは「胡錦濤国家主席」ではなく
、かつての「毛沢東国家主席」だという意味である。 

 デモ隊が「毛沢東」と書いているか、それとも「毛主席」と書いているか、この微妙
な違いに注目しなければならない。 


 これを主導しているのは毛沢東万歳派だ。 

 失脚した薄熙来を応援していたウェブサイト「烏有之郷」(ユートピア)や「毛沢東
旗織網」(毛沢東の旗の下に)の運営者たちがオピニオンリーダーとなっている。これ
らのウェブサイトはすでに中国政府によって封鎖されているので、今はアクセスしても
何も見ることができない。 

 いうまでもなく、強烈な反政府グループ。
 ただし、「毛沢東」を掲げていれば、「愛国無罪」同様、逮捕されない。 

 なぜなら中国は文化大革命(1966~76年)を総括するに当たり、「毛沢東」を否定し
ていないからだ。 

 総括では毛沢東がおこなった「個人崇拝」と「大衆運動を政治運動化すること」だけ
は否定した。 

 しかし毛沢東そのものは否定していない。 

 毛沢東を否定すれば、文革に燃えた人民が改革開放にはついていかないからだ。何と
いっても建国の父、革命の父。だから毛沢東自身を否定することはできなかった。
 その状態のまま、中国は改革開放へ、市場経済化へと突き進んでいる。 



見えざる最大の弱点

 実は中国の見えざる最大の弱点は、「未だに毛沢東の位置づけと論議を真正面からは
行っていない」という事実なのである。 

 文革の総括は、毛沢東の文革時におけるこの二つの過ちを否定した。しかし、改革開
放を推進するに当たり、毛沢東をどのように位置づけるかに関して論議することを、中
国共産党は避けてきた。 

 なぜなら毛沢東思想は「不平等を生む自由競争や、人民が自分の利益のために金儲け
をするなどということは許さない」という考えで貫かれているからだ。金儲けを目論む
者は「走資派」(資本主義に走る者)として反革命分子扱いされ、文革の際には激しい
批判を浴びて牢屋にぶち込まれていた。 

 だから「人民が個人的に金儲けをしていい」ことを根本とする改革開放路線は、毛沢
東思想とは相いれない。それでいて中国共産党の党規約には「偉大なる毛沢東思想」と
いう言葉が残っている。 

 いま毛沢東は「神格化された巨像」となって、中国共産党体制に迫っているのだ。 


 中国が文革を総括するに当たり避けてきた毛沢東の位置づけ。
 それを逃げてきたために中国は「特色ある社会主義国家」という(苦しい?)造語を
生み出して、現在の中国共産党の統治の正当性を定義し、実際に発展してきた。 

 中国共産党体制と中国社会の「危うさ」は、実はここにあるのである。
 この事実がもたらす「危うさ」は、実は計り知れないほど大きい。
 そして、これこそ薄熙来事件が内包している中国の苦悩なのである。 

 文革では薄熙来は紅衛兵の先頭に立って暴れまくった。紅衛兵とは文革時代に当時の
権力者側にあった実権派を打倒するために暴挙に走った若者たちである。高校生前後の
年齢の者が多い。というのは、大学生は反革命派として打倒された知識人の範疇に入り
、紅衛兵の中にはあまりいない。紅衛兵は伝統的な中華の遺産を破壊し、実権派や知識
人、学者等を「反革命分子」として虐殺あるいは暴力を振るいまくった。行方不明者も
含め、その犠牲者は数千万とも言われ、正確な統計さえ出せないほどだ。 

 自分の親を告発できるかというのが「革命度」の証しだった。 

 文革が始まったばかりのころ、薄熙来は自分の父親を大衆の前に引きずり出して殴打
し、倒れた父親の胸に上がって飛び蹴りし、肋骨を3本も折ったことで有名。 

 その薄熙来を「毛沢東の再来」として、今も中国全土に根深く残る「毛沢東万歳派」
は、このときとばかりに、今年9月のデモで暴れまくった。 

 では、暴徒化したのは文革の血が引き継がれているからなのだろうか。
 いや、それもあるが、それ以上に現在の中国が抱えている格差の問題があるからであ
る。 



今回のデモに大学生がほとんどいない理由

 改革開放の恩恵に与ることのできなかった「負け組」の人たちがデモ隊を主として構
成していた。今回のデモは「毛沢東万歳派」以外は組織的ではないので、大学生はほと
んど参加していない。 

 2005年のデモのときには「北京大学」とか「清華大学」あるいは「中国農業大学」な
ど、大学名を横断幕として大学単位でデモに参加した者が多かった。だから激しくはあ
っても日本企業の「焼き討ち」という暴挙までには至っていない。これは「犯罪」であ
ることを大学生たちは知っているからだ。 

 街路のいたるところに設置してあるモニターに映ったら、それでおしまい。国民全員
に付けられている身分証明書番号とともに顔写真が公安に記録され、就職の際に決定的
なダメージを受ける。就職の志願書には身分証明書番号を書かなければならない。企業
側はその番号をインターネットの当該ウェブサイトに入力する。すると志願者の顔写真
から出身地といった基本情報とともに、デモに参加した情報が記録されている。 

 そのような若者を雇用しようと思う企業はない。
 就職後にストライキでも企画されたら大変だからだ。 

 だから「将来を持っている」若者はデモには参加しないのである。参加しても暴徒化
することはない。 

 では、どういう種類の若者が暴徒化するのか。
 それは「失うものを持っていない若者たち」である。


 いわゆる「負け組」だ。二極化してしまった貧富の格差を埋めようにも、そのチャン
スさえ与えられていない。 

 だから日本車を乗り回すような金持ちが憎い。贅沢な品物を売る商店も憎い。日本車
に乗っているのが中国人であっても殴り殺そうとする。それは「自分が生涯かけても持
てないもの」を「持っている」からだ。 

 日本そのものが憎いだけではない。 

 もちろん、日本は「軍国主義国家」として刷り込まれているので、憎い。「かつて中
国を侵略した日本が、いま再び釣魚島(尖閣諸島)を占領し侵略している」と中国は思
っている。 

 1992年に江沢民が始めた「愛国主義教育」の狙いは、1989年に起きた民主化運動の再
来を防ぐためだった。反日は当初の目的ではなかった。しかし94年にその学習指導要領
ができた際に、「愛国主義教育基地」を見学することが授業に組まれるようになった。
 

 「愛国主義教育基地」とは、たとえば「抗日戦争記念館」のようなものを指す。「抗
日戦争」とは日本で言う「日中戦争」のことだ。「日本の侵略に抗して戦った戦争」と
いう意味で、中国では「抗日戦争」と称する。その「抗日記念館」には、日本軍による
「虐殺場面」が生々しいろう人形によって再現され陳列されている。 

 蝶よ花よ、小皇帝よと育てられた一人っ子たちが、そのような場面に接すると、激し
いショックを受けて、脳裡深くに「日本軍」への憎しみが植えつけられて激しい「反日
」感情を芽生えさせていく。 

 その目の前に広がる成長する中国。
 誇らしい中華民族。
 しかし自分は……。 



戸籍にまつわる誤解を解く

 だからと言って、都会に出た農民工が「都市戸籍」を持てないために鬱憤(うっぷん
)がたまるという現実はない。ここは誤解が多いので説明をしておきたい。 

 デモに参加した年代の若者たちは「新世代農民工」と呼ばれる農民工二世だ。改革開
放初期に都会に出てきた農民工同士が結婚して、都会で生まれた子供たちである。この
新世代農民工たちは都市戸籍を持っている者が多い。数年前からの戸籍改革による変化
がもたらしたものだ。そのため中国では、都市戸籍人口が農村戸籍人口を上回ったので
ある。 

 今年8月14日、中国社会科学院は「城市藍皮書」(都市ブルーリポート)なるものを
発表した。それによれば2011年統計で、都市人口は6.91億人に達し、都市戸籍保有率は
51.27%に達した。中華人民共和国誕生後初めて、ついに都市人口が農村人口を上回っ
た。 

 1949年10月1日の建国当時、中国の農村人口は全人口の90%を占めていたのである。6
2年後に、ついに歴史的な転換点を迎えたわけだ。 

 そもそも、なぜ人々を都市戸籍と農村戸籍とに分けたのか。 

 それは毛沢東が、知識人が都会に集まって反政府運動を起こさないように、農村にい
る者の移動を禁じたことから始まる。

 中国共産党が生まれた背景には五四運動があり、中心になったのは北京大学の学生た
ちだった。しかし皮肉なことにこの経験は、毛沢東に「知識人」への警戒心を抱かせた
。 

 ロシア革命はレーニンが「都市労働者」を中心にして起こし成功した。中国の革命は
毛沢東が「農民」を農奴から解放することを主眼として焚き付け成功させた。この農民
のエネルギーが、都会の知識人と結びつくことを嫌った。大衆運動の中心となる農村に
いる人々と、都会にいる人々との間で情報を共有させないために、戸籍という安全装置
を付けて、両者を区分したのだ。 

 成長の過程で、農村戸籍を持つ層は都市戸籍を持つ層に比べて不利な時代が続いた。
農民のエネルギーによって成し遂げた革命であったはずなのに、政府は建国当初から農
民を「二等国民」扱いにしていた。 

 格差など、いま突然始まったものではない。
 しかし一人っ子世代の若者たちは、そのような「事実」をあまり知らない。 


 改革開放後における中国の経済発展は、都会に集まる農民工の力なしには成し遂げら
れなかった。そのため「蔑視」という差別の目と、福祉等におけるあまりの待遇のギャ
ップにより、都会に集まっている農民工が反乱を起こすリスクが生じ、それを抑えるた
めに待遇改善を重ねてきた。 

 そもそも1990年代の後半からインターネットが普及し、中国全土のどこにいようと、
世界の裏側にいようと、情報は瞬時に共有できるようになった。都市戸籍だ、農村戸籍
だと、「移動の自由」を奪うことによって同一意見の持ち主がグループ化するのを防ぐ
時代は終わったのである。 

 その結果、新世代農民工は、福祉や戸籍においても、都会にいる若者と同等になって
いる。 

 にもかかわらず、二極化された貧富の間にあるギャップ。
 豊かになるチャンスは、共産党幹部の周りに集中しており、そこに利益集団が形成さ
れている。
 新世代農民工の怒りはここにある。 

 同じ都市戸籍を持っていても、おそらく永遠に埋められない「溝」に怒りをため込ん
でいるのだ。


 華麗に膨張する中国から取り残され、埋めようもない格差を厳然と突き付けられる日
夜。
 その中で芽生える感情は何だろうか。 



「何とか政府を困らせてやれ」

 破壊してやれ――っ!
 国際社会における自国のイメージなど考慮せず、また中国人を雇用してくれている 
日本企業の役割なども考えも及ばず、ただただ破壊し尽くすのである。憤りと日頃の鬱
憤をぶつける。 

 中国政府としては、国際的イメージを悪化させ、中国への進出リスクを増大させる、
あってほしくない現象だろう。しかしその一方で、当局としては、これは「逮捕」をし
てもいい、格好の口実になる。焼き討ちや破壊活動など、中国の憲法に照らし合わせて
も「犯罪」だからだ。 

 だから、どんなに「愛国無罪」を叫ぼうと「毛主席の肖像画」を掲げようとも、政府
側に逮捕する理由を与えることになる。それらはすでに免罪符の役割をしてくれなくな
るのだ。 

 逮捕者が出ると、デモはサーッと引いていくのが、いつものこと。
 おまけに今回は最後には当局側が一斉自動受信の形で携帯に「愛国は理性的に」とい
う趣旨のメールを発信した。 

 しかし中国政府に決定的なダメージを与えることができなかった若者は気がおさまら
ない。 

 筆者は、反政府グループの何名かを取材したことがあり、名刺を渡している。そのた
め反政府グループからのCCメールが入ってくる。 

 その中で、「何とか政府を困らせてやれ」という呼び掛けがあった。 


 何名かが「デモは政府に雇われてやったんだと微博(ウェイブォー)に書いてやれ」
という提案をした。「微博」とは中国版ツイッターである。「それがいい、それがいい
」という反応があったかと思うと、たちまち本当に微博に「一日いくらで雇われた」と
いう書き込みが現れた。 

 舞台裏を実体験しながら、事態の推移を見守っていたところ、日本のメディアに「あ
のデモは政府のやらせだった」というニュースが流れた。まんまとはまった感じだ。 

 中国政府が恐れているのは、そういう「やらせ」とか「やらせでない」とかといった
レベルのことではない。 

 ましてや「党内派閥闘争のために誰かがやらせた」というデマでもない。
 そんなことよりも、もっと恐れている現実があるのだ。
 それは中国共産党政権を崩壊させるかもしれない「民の声」である。 



矛盾の拡大をいつまで続けられるのか

 貧富の格差を縮めれば経済成長は鈍化する。

 経済成長が鈍化すれば中国共産党の求心力が弱まる。
 中国共産党は、経済を成長させることによって、その統治の正当性を民に認めさせて
いる。 

 しかし成長が激しければ貧富の格差はもっと広がるだろう。そうすれば毛沢東万歳派
が旗揚げをする可能性が潜んでいる。だからといって毛沢東を正面から再評価してしま
えば、先ほど述べた通り最大のリスクが表面化する。 

 愛国主義教育も、「中国共産党を愛させるために」遂行しているのだが、「愛国無罪
」がある故に、「中国共産党を攻撃する」ベクトルを持ち得る。こういう両刃となって
いつでも中国政府に矛先を向ける危険性を孕んでいる。 

 富んだ者たちが形成する中間層の権利意識も膨張しつつある。
 そのかじ取りを、どうするのか。
 愛国主義教育を抑制する勇気はあるだろうか。
 多くの矛盾を抱えながら、まもなく新政権が生まれる。
 習近平には、波乱の船出が待っている。 

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