「時の人」
WHOでハンセン病対策のリーダーを務めるスマナ・バルアさん
    

 発展途上国を中心に年20万人の患者が出ているハンセン病対策で、昨年末に
世界保健機関(WHO)のリーダーに就任した。20代以降、毎年必ず立ち寄る
日本を「第二の故郷」と言い切るバングラデシュ出身の医師だ。

 「取り残された人々とともに取り残された問題に取り組みたい」。治療が遅れ
ると手指が変形し、手仕事ができなくなる。回復者に体験を語ってもらい病気へ
の理解を深めることで発見を早め、治療につなげた。今では名前を取って「バル
ア・モデル」と呼ばれる方法は、医療機器に頼れない途上国で、地域の人々の声
に耳を傾け確立した。

 フィリピンの貧しい村で助産師として215人の赤ちゃんを取り上げ、看護師
の経験を積み、10年ほどかけて医師に。東大大学院で国際保健学を学び、現在
は各国の相談役で世界を飛び回る。

 師と仰ぐのは、地域医療のメッカとして知られる佐久総合病院(長野県佐久市)
の故若月俊一元院長。日本で肉体労働に励みながら医師への道を模索していた2
0代のある日、同病院を訪れると、異国の若者の話に耳を傾け、励ましてくれた。
今年7月、その名を冠した「若月賞」を贈られ、授賞式で目を潤ませた。

 「人間として人間のお世話をして」「金持ちよりも心持ち」。長年に渡り、日
本の医学生らに目指すべき医師像を説いてきた。8月にも、例年通りハンセン病
回復者が暮らす多磨全生園(東京都東村山市)を会場にして講演。志を持つ仲間
を増やしたい―。願いを込めて語りかけた。57歳。

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共同通信社
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