医療とは おのれに問う

   評・内田 樹 (武道家・凱風館館長、思想家)
   北海道新聞 2012年8月26日

うそくさい言葉ばかり語られる場があり、
真率な言葉だけが語られる場がある。
医療の最前線は後者である。
これほど切迫する言葉を語れる職業人は
他の領域には見出しがたい。

だが、それは少しも良いことではない。
医療従事者の語る言葉が重いのは、彼らが久しく
孤立無援の戦いを強いられているからである。
彼らが死守する戦線が崩れたときに日本の医療は終わる。
だから、そこに踏みとどまるしかない。
だが、この悪戦の意味を彼らに代わって語る人間はどこにもいない。
やむなく彼らは自ら「医療とは何か?
医療はどうあらねばならないのか?」という本質的な問いを
日常的におのれに向ける。
もう一度言うが、そのような問いを絶えずおのれに
向けなければならない職業にあるというのは決して
幸福なことではない。

著者は長野の佐久総合病院で、
農村地域医療のフロントラインに立っている。
それは国や自治体が資源配分を渋り、先端的な技術がゆき届かず、
青年医師が配属をいとうような現場である。
だが「負の要素」が集約されたこの地点は同時に現代の医療が
抱えている本質的な問題が鮮やかに見通せる特権的視座でもある。
その立ち位置から著者は、地域医療、医療過誤、環太平洋連携協定
(TPP)、食糧安保など多様な論件について、鋭く、深い省察を語る。

私見によれば、著者が選んだトピックはどれも医療への
市場原理の侵入と関わりがある。
医療者と患者の関係が、医療サービスという商品の
「売り手」と「買い手」の間の取引とみなされる
社会では、いずれ医療は「金のあるものが良質な
医療を受け、金のない人間は十分な医療を受けられない」
という市場ルールに屈服するしかない。
そして、世界の医療はほかならぬその方向に向かっている。
その趨勢(すうせい)を著者たちが食い止めている。
そのような仕事をしている人の言葉が重くかつ明晰
(めいせき)なものとなるのは当然のことである。

(新日本出版社 1680円)


「風のひと、土のひと」 色平哲郎 著 

いろひら・てつろう 60年生まれ。98年から
長野県南相木村診療所長として、10年間地域医療に携わり、
現在は佐久総合病院(長野県)地域医療部地域ケア科医長。

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