バルアWHO医務官に若月賞 24日都内で「祝う会」

   「いのちはレントゲンに写らない」
   「日本の医学生 途上国で経験積んで」 地域医療の貢献を評価
   東京新聞 総合首都版 2012年8月8日

地域医療や保健・福祉分野などで業績のあった人に贈られる「若月賞」。
世界保健機関(WHO)医務官のスマナ・バルアさん(57)が
第21回の同賞を受賞し、24日都内で祝う会が催される。
長年、途上国で保健・医療活動に従事してきたバルアさんは
「日本の若い人たちに途上国の地域医療を知ってほしい」と話している。
(土田修)


バングラデシュの貧しい村で生まれたバルアさんは十二歳の時、
近所の女性がお産で亡くなった体験から医師になろうと決意した。
一九七六年に来日し、外国人労働者として働いたが、
「農村医学」を提唱していた佐久総合病院(長野県佐久市)の若月俊一
院長を知り、いきなり電話をかけて面会を求めた。

バスと電車を乗り継いで佐久市へ。
「病気になっても満足な治療を受けられない人たちを助けたい」。
そう訴えるバルアさんを若月氏は
「君、大丈夫だ。必ず医者になれる」と励ました。
「あの一言が大きな支えになった。
何年かかっても医者になろうと思った」

日本で学費を稼ぎ、七九年にフィリピン国立大学医学部レイテ校に入学。
同校は若月氏が提唱した「農村医科大学構想」が結実した医学校だった。
講義以外に医学生が島内の村々を筏(いかだ)などで巡回診療する実習に
多くの時間を割いていた。

バルアさんはまず、助産師の資格を取り、レイテ島で二百十五人
の赤ちゃんをとりあげた。
次に看護師、医師の免許を取り、東南アジア各国で地域医療や
NGO保健コーディネーターとして活動した。
東京大学医学部で博士号を取得した後、二〇〇二年からは
WHO医務官としてハンセン病を軸にした地域医療に取り組み、現在は
ニューデリーで世界ハンセン病対策プログラムのチームリーダーを務めている。

若月賞は、「農民とともに」をスローガンに無医村への出張診療など
地域医療に取り組んだ若月氏の名前を冠して一九九二年に制定された。
先月二十七日に同病院で催された授賞式に出席したバルアさんは
「日本の医療技術は専門的すぎる。
電気のない途上国では使えない。
いのちはレントゲン(エックス線)には写らない。
医師の仕事は人々や地域から学ぶべきもの。
日本の医学生らにとって途上国の貧しい村で経験を積むことが大切だ」
と話している。

「祝う会」は二十四日午後六時から東京都千代田区の学士会館で。
問い合わせは世界こども財団事務局=0463(71)6046、
Eメールfgc@fgc.or.jp=へ。


写真キャプション=若月賞を受賞したバルアさん(後列右)=
長野県佐久市の授賞式で

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