地域医療に貢献した人に贈る「若月賞」を受賞したSumana Barua スマナ・バルアさん(57)

朝日新聞 「ひと」 2012年8月2日

「もっと頑張れと、勇気をもらいました」

7月末、日本の地域医療の先駆者、故若月俊一医師の名を冠した賞の授賞式。
インドから駆けつけたバングラデシュの医務官は、
自らが選ばれた喜びをかみしめた。

世界保健機関(WHO)のハンセン病対策のリーダー。
地域医療にかかわる原点は、電気も水道もなかった故郷の村にある。

12歳の時、知り合いの妊婦が医者にかかれず命を落とした。
中学で皮膚病の孤児の体を洗う奉仕活動を始める。
自分を頼ってくる子たちの笑顔に心が熱くなった。

医師を目指し、20歳で来日。
3年間、日本語を学びながら建設作業員などをして金をため、
進学先を探した。
だが、日本の医学部での教育は「無医村の医療には向いていない」
と、フィリピン・レイテ島の国立大学医学部に。
学内での実習と、村に入って人々の暮らしや健康状態を体で覚える実地
教育を繰り返し、10年かけて助産師、看護師、医師の資格を取った。

再び来日したのは、医師として母国の二つの村で働いた後の1992年。
東大で国際保健学を研究しながら、
日本の医学生らに地域医療の大切さを説いた。

「世界の貧しい地域と日本の若者をつなぐ架け橋に」
という若月医師の願いを引き継ぐ。

「地域医療は一人でできない。一緒に働く仲間を増やしたい」

文・森治文 写真・上田潤

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