バングラデシュ出身の医師スマナ・バルアさんは志の人である。 まだどうなるか分からない若き日。 巡り会った佐久総合病院の若月俊一さんを生涯の師と仰ぎ、 医療の道を歩んできた。 医師を志し、来日したのが1976年。 土木作業をしながら医師の道を模索しているとき、若月さんを知った。 農民とともにーを掲げる姿勢にひきつけられ、 思い切って電話をすると面会に応じてくれた。 「君は必ず医者になれる」。 それが励みになった。 フィリピン国立大学レイテ校で医学を修めた後、東大で国際保健を学んだ。 この間、多くの医学生と交流を続けた。 いまは世界保健機関(WHO)のハンセン病対策のチームリーダーとして 各国を駆け回る。 多忙になっても、若月さんの墓参りは欠かさない。 バルアさんに21回目の「若月賞」が贈られた。 27日に佐久総合病院で行われた授賞式で、 「何だか分かりません、涙が出てきます」と声を詰まらせた。 気さくな人柄とユーモアたっぷりの会話で、いつも周囲を明るくしてくれる バルアさんらしい涙だった。 一族はバングラデシュでは珍しい代々の仏教徒。 身寄りのない子どものための仏教施設を運営している。 バルア少年も”きょうだい”たちの体を拭いて育った。 受賞講演は「人間として人間のお世話をすることー金持ちより心持ち」。 助け合って生きる故郷が育んだ、情けの人でもある。 (信濃毎日新聞 一面コラム「斜面」2012年7月29日) ======