TPP:T=トンデモない・P=ペテンの・P=プログラム
             
   ――国民皆保険制度の危機と恐米病、恐中症状
   季刊ピープルズ・プラン 58号掲載 色平哲郎
   

予防は治療に勝る

「予防は治療に勝る」“Prevention is better than cure.”
という言葉をご存知だろうか。
予防すれば、イヤな医師の顔を見ないで済む(?)という、
この万人の本音を語ったのは若月俊一博士(一九一〇年‐二〇〇六年)。
東大医学部出身で長野県の佐久総合病院を築いた外科医だった。
若月は「予防は治療に勝る」といって、予防してしまったら医師に
とってメシの種がなくなるかもしれないような生活改善や環境問題に、
敢えて取り組んだ。

現在、渋谷で「医(いや)す者として」という映画が上映されている。
まだ日本が貧しかった時代、国民皆保険になる前の時代を映している。
当時の状況については、私も信州の山村の診療所で十数年間
働いていた折に古老からいろいろ聞かされていた。

最初はどうしてこうした貧しい地域に出張診療に来てくれるのかと不思議に思い、
何を調査しているのかというふうに考えたそうである。
歴史を振り返ると、こうしたのどかな山村地域、恵まれない土地柄
のところにも病院が成立していたおかげで、
国民皆保険制度を施行しても大丈夫な社会的な基盤になっていたわけだ。

皆保険は全国民から保険料を納付いただくことによって成立する。
社会保険料をあらかじめ納付しておいていただき何かあるときにはそのお金を
戻して現物給付するというやり方であるから、実質増税なわけだ。
そのため山間部やへき地のようなところでは、医師が不在だったりすれば、
本当に実質的増税、一種の詐欺で終わってしまう可能性が高かった。
だが、佐久病院のような農村医療機関が戦中戦後に多少とも設立されて
いたため、農民の生活にも即した制度が日本で成立し得たのだった。

若月先生は英雄のように評せられることが多いけれど、実際には
たいへん用意周到な人だったようだ。
自分のことを「アカだ」と言って警戒する人々がいることを知っていたから、
“人気取り”のためにも地域を回った。
「私は悪者ではございません」。
劇や芝居を上演しそれで人気をとって、
患者も集めたというのが実際のところであろうか。

当時は皆保険ではないから、患者を集めれば集めるほど赤字になって
しまったそうだ。だが、地域の人々向けに「予防こそ大事なのだ」
と訴えるキャラバン隊を送りこみ、ついでに社会調査もして、
「寒いところで寝ていると病気になるよ」
「塩分の高い食事は、高血圧につながり、脳出血になるんだ」と、
いろいろと分析し、教育し、病気そのものを減らしていった。
なぜそうしたのかといえば、保守的な土地柄で、
「こんなアカい人物は解雇しろ!」と言われかねなかったからだろうか。
つまりサク病院を「サケ病院」などと言いくるめながら、
誰とでも打ち解けていったのは、生き残るためだった可能性が高い。

一方、用意周到に周囲とうまくやっていった結果、医療費が下がっていった。
医療費が下がるということは、われわれ医療関係者の収入が減るということ。
その意味で、若月先生が偉い、などというのは
実に患者さんとその家族にとってなのだ。

「予防は治療に勝る」。医療費は下がり、保険料も下がる。
だが、われわれ病院従業員の給料も下がってしまいかねない。
この考え方でいくと、医師が活躍しすぎない方がよさそうなのだ
という結論になりかねない。
医師がいない方がみんなハッピー、、、(笑)

医療機関にはお金が入らないが、地域住民みんなが主人公と
なってともにがんばって地域医療を盛り上げていく、
ということこそ最重要なのだろう。

「予防は治療に勝る」などというよさそうな話は、地域のみなさんに
とってこそよさそうな話だが、われわれ医療関係者にとっては逆の構図。
となれば、医師ががんばって、いい仕事をすればするほど実入りが多くなる、
そんな制度にしてあった方がよいのではなかろうか。
が、現実はそうなっていない。
現状は予防すればするほど実入りは少なくなる。
どこか制度に問題があるのではないか。
こうしたことはきちんと改めた方がよいのではないか。

そして、そんな“院外活動”に関心をもつ変わり者の医師が
ある一定数は国内にいないと、農村や山村の医療はもたないのだ
ということも忘れないでおいていただきたい。
都会やある程度の大きさの町には開業医がいる。

仮にみなさんがお金と時間をかけて猛勉強して医師になった場合、
開業するとなれば、都会や県庁所在地でする。
だが、敢えてそうしない。
そうした変わった医師集団がいなければ山間部の医療はもたないのだ。

医療技術を教えるには医学生一人あたり数千万円もかかるそうだが、
授業料の安い国立大学を出るということは、それだけ一人当たり、
みなさんの税金が使われているということだ。
これに対し、少しは“恩返し”をしていただいてもよいのでは
ないかとあちこち訴えて廻り、すっかり世間から嫌われてしまった。

医療技術を身につけ、“商品化”するのが当然だという考えにたてば、
いくらでもお金はつくれるのだ。
たとえばアメリカ合衆国での場合がそうだろう。
一種の商品なのだから当然のように値段は一律に決まってはいない。
他方、日本では厳密な固定価格、政府の定めた診療報酬の表があり、
つねに低めに設定された全国一律の均一料金なのだ。
なんと私のようなヘボ医師がやるのと、ちゃんとした医師がやるのが同じ料金。
優秀な医師たちには許せないことなのではないか。(笑)


「消費者意識」が招く医療崩壊

TPPで医療はどうなるのか。
実は昨今の医療問題において“TPPが問題”なのではなく、
TPPのずっと前から言われてきた”国民皆保険の維持”
こそが問題の本質なのだ。
国民皆保険というのは、国家が政治や厚労官僚の力を使って、
医師の手足をしばる制度だとさえいえる。

このことを自分の問題として考え直してみる必要があろう。
みなさんは社会保険料をずっと納めている。
だが、だから権利があると思ってはいけないのではないか。

みなさんは自分のことを「医療サービスの消費者」と、とらえてはいないか?
あるいはテレビや新聞などメディアに関しても、自分を
「情報サービスの消費者」と、無批判にも考えてはいないだろうか。
まずこのことを考え直すべきではないか。
たとえば、みなさんは単なる「情報消費者」ではないのだ。
情報を自身で吟味もせず、ただそれを受け流し、あるいは
信じ込んでしまっているようでは問題がある。

同じことは医療についてもいえる。
医療についても「医療消費者」であるだけではいけない。
医療が崩壊しつつあることの原因の一つに、みなさんがことすれば
消費者意識になってしまっていることが挙げられるのではないか。

お金を払えば対価が得られる。
この「消費者の権利」を、医療に対して、あるいは情報に対して、
そのまま適用させてしまっているようでは、たいへん問題があると私は思う。

医療技術は不完全なものであり、黙って座ってピタッと
当たるということはありえない。
われわれ医師は“占い師”ではないのだ。
そうした医師はテレビの中にしかいない。
日本の医療崩壊を招いている下手人は、テレビなのではなかろうか。

テレビが妙に”期待度”を上げてしまっているのだ。
よい先生にかかれば、つまり「賢い消費者」になれば自分は生き残れる
はずだと思ってしまうところが、あるいは思わせてしまうところに、
日本の医療崩壊の根本原因があると感じる。

人間の死亡率は一〇〇%である。誰もがベストを尽くし、がんばっているが、
うまくいかないことの方が多い。
にもかかわらず何とかがんばっているのが日本の医療の現状であるというのに、
そこに消費者意識を出してしまって、「こちらのサービスの方がイイ」とか、
「もうちょっとお金をだしたらよさそうな医療サービスがあるんだ」
と思ってしまう。

ここに落とし穴があるのではないか。
この消費者意識をくすぐることで、日本の医療崩壊は起こってきたし、
またT=トンデモない・P=ペテンの・P=プログラムに
つけこまれる隙にもなってしまっているのかもしれない。

一方、医師の立場に立てば、手足を縛られるのはイヤだ、
官僚のつくったルールに従わさせられるのはイヤだ。
医師の側としては、これをなんとか解きほぐしたい。
いろいろな新治療法を試してみたい。
そんな医師もいることだろう。

彼らの願いとして“自由化”はある。
そういう意味で日本の医師は金の亡者ではないのだ、
むしろ従来縛られてきた皆保険の枠組みをなんとかしてほしいと願っている。
ここをどう考えたらよいのだろうか。

仮に自由化して、医師を縛っていたルール、つまり、
全国民に対して同じ医療を同じ値段で提供するという制度が緩んだとき、
「五倍でも一〇倍でもすきに薬の値段をつけよう」
「われわれの言い値にしよう」などと言い出す向きが当然でてくる。
おわかりいだだけるだろうか。
自由診療は恐ろしい。
自由診療が言い値であるということは、今のみなさんにとっては
まったく当たり前ではない。
みなさんにとっては皆保険制度こそ、半世紀を経て当たり前になっているのだから。

日本の医療費が高いか安いか、ご存知だろうか。
安すぎるのだ。もちろん、自己負担額は高い。
三六兆円もある国民医療費の中に、自己負担額が一〇兆円ほどある。
これが多すぎる。もっと少なくすべきだろう。
差し引きの二六兆円が“公的保険給付費”といって、
税金とあらかじめみなさんが積み上げた保険料からくる分である。
もしみなさんが自分の番になったら、あるいは自分の家族の番になったら、
不幸にも皆保険制度を使わなければならなくなった時、
そのときはできるだけ余裕をもってたくさんの医療費を使いたいと思うのではないか。

自分の番になったときには、たくさん使いたい。
だが他人の分まで支払いたくはない。
この矛盾を解決するためにできたのが皆保険制度であり、
あらかじめ積み立てておくわけだ。
だから二六兆円積んであるところにもっと積み増しして、
三五兆円位にしてあれば、「日本の医療費は安い」とみんなが思うようになる。
なぜなら、この窓口なりでの自己負担額のことをみなが
医療費だと誤解しているわけだから。

日本の医療保険がもたなくなっているという意見もあるが、
もたなくなっているのであれば、もたせるように努力しなければなるまい。
どこに原因があるのか、自分たちの老後の問題として考えることが
今最も求められているのではないか。

たとえば例として、“事前期待度”ということを考えてみよう。
もし人間の死亡率がゼロパーセントであると信じこんでいる人がいたら、
自分は死なないと思っている人が来たら、私たち医師は非常に困惑する。
この“まちがった確信”をどうすれば転換できるのか。
時間をかけていろいろと説明するが、
どうやってもうまくいかない場合は訴訟になりかねない。

色平診療所に患者さんが来たときには、
私に聞こえないようにドアの外で
「あてにしない(A)、期待しない(K)、あきらめる(A)」
と十回言ってから入っていただくようにしている。(笑)

あてにせず、期待もしないで、あきらめきって、それから診察室に入れば、
色平がいかに適当なことをやって、よく分からない日本語で説明したとしても、
「治るよ」と言ったら、「アッうれしい」となるわけだ。

みなさんの満足度や幸せ度がいったい何によって決まってくるかといえば、
単に目の前のできごとだけで決まっているのではない。
もともと自分がどのように期待していたのか、
という「事前期待度」と大いに関係があるのだ。


くれぐれも慎重であっていただきたい

私がTPPについて申し上げていることは、
「くれぐれも慎重であっていただきたい」ということにすぎない。
反対であると主張するにはあまりに情報が少なすぎる。

農業団体は米価が下がるから当然反対することだろう。
自分たちに利害のある団体は反対を叫んでいるようだが、
私はそのようには考えない。
そうではなく、国民全員の死亡率が残念ながら一〇〇%である以上、
日本国民のほぼ全員が日本の医師の手にかかって、亡くなることになるのだ。
その時少しでもよい医療を受け、優しいケアを受けたい。
これがみなさんの願いではなかろうか。

だが先ほど述べたとおり、その時に一部であっても抜けがけをして、
「お金をたくさん払えば大丈夫」などという機運に
なってしまうようだと、国民皆保険制度は崩壊してしまう。

みんながお金をだして成り立たせているこの皆保険制度、
これをどのようにしたら持続可能なものにできるのか
ということをみなさん自身が考え続けることが大切なのだ。

現在、皆保険制度の空洞化が進み、無保険者が増え、
いろいろな人々が困りはじめている。
医療にかかれない人がずいぶん増えてきている。
場合によっては中学生や高校生でさえも無保険者になってしまっている。
こういう制度の細部をこそなんとかしていく地道な努力が求められている
のであって、TPPをやったら大丈夫、
などという安易な処方はありえないのではないか。

TPPに慎重であってほしいと願うのは、医師と患者の損得の構造
が逆になっているからだ。
TPPによって医療費、正確には薬価が高くなるにつれ、
医師は儲かる可能性さえあるのだ。
ただし、薬価が大きくなるとしても、アメリカのように野放図に膨張させず、
もしも財務省が「この枠組みの中でやれ」と決めてきたら、
医師にとっても厳しい。
日本医師会がTPP反対を表明しているのはそのためだろうか。

医療費の総額が決まっていて、にもかかわらず薬価が上るとすれば、
あとは人件費を下げるしかない。
医師の給料を下げられないのだったら、看護師の給料を下げるしかない。
これはかなり深刻で切実な問題だ。
その意味でも、くれぐれも慎重にした方がいいと思う。

また別の視点から見ると、TPPは憲法に優越する協定になる可能性がある。
国家に優越する製薬業界と保険会社。(?)
報道でも見かけるように、製薬会社が頑張るからよい新しい薬ができてくる。
だが、製薬会社が頑張りすぎるのは非常にまずい。

たとえば、エイズの治療薬の価格は、一〇年間で百分の一まで下がっている。
多くはインドで生産している。
百分の一まで下がったことで、
世界で六〇〇万人から七〇〇万人の人が救われたという。

日本国内でこそ薬価は公定価格でほとんどまったく変わらないできたが、
仮に今後薬価が上ったら大変なことになる。
当然、薬価は下がる方が“国民益”なのであって、よいことなのだ。

現在世界の平均を見れば薬価は少しずつ下がってきている。
だが、TPPが導入されると日本の薬価が上がる可能性があり、
日本で薬価が上る方向に動くと、アジア太平洋地域でも上る傾向にはいる。

途上国からは“何とかしてほしい”と言ってきている。
薬価が下がることによってたくさんの人が救われたのが、逆になってしまう。
もちろん、企業の利益が確保できないと、新しい薬はできないのだから、
ここにも難しい点は確かにある。

『ビッグ・ファーマ 製薬会社の真実』(二〇〇五年)という本をご存じだろうか。
一見、暴露本のように思えるが、筆者のマーシャ・エンジェル(一九三九年‐)
はThe New England Journal of Medicineという世界で最も有名な
医学雑誌の編集長を務めた人だった。
この本が述べていることは、アメリカを中心とする世界の医学会
そのものが製薬企業にかなり仕切られているということだ。
少し引用してみよう。

製薬会社は自分たちはリスクの高い産業だというが、製薬企業は年々、
他の業種と比べて、はるかに高い利益を上げるようになってきている。
/製薬会社は自分たちは革新的な産業だというが、
製薬企業の作っている薬のほんの一部だけが真の意味での新薬であり、
ほとんどの薬は既存の薬のバリエーションにすぎない。
/一般に信じられていることとは裏腹に、製薬企業が研究開発にかける金額は、
マーケティングにかける金額より遥かに少ない。
/製薬業界は連邦議会やホワイトハウスの首根っこをしっかりと押さえている。
ワシントンに議員の数を凌駕する人数のロビイストを配置する
最大の圧力団体であり、数々の選挙運動に資金を供給している。
(同書カバー折り返し要約から)

北米の臨床医学というのはたしかに素晴らしいのだが、
素晴らしすぎるところもあり、業界に左右されすぎている。
きちんとこのことを読み解いた上で日本の国内にアメリカ的なもの
が入ってきてよいかどうかを判断しないとまずいのではないか。


地域医療とは何か

若いときに世界中を放浪して気づいたことだが、
地球上のほとんどの地域に医師はいない。
「無医地帯」だらけ。
同じように東北地方には元々医師が少ない。
だからこそ、戦前の東北の人たちはお金を集めて自前で医療機関をつくった。

医師を雇うどころか、さらにふんばって医療機関をつくる、
そういうチャレンジ精神を戦前の日本人はもっていた。
国民皆保険制度のもとになったのは共済である。

お互いさま、おかげさまで。
みんなでお金を集める私的な保険制度があってはじめて、
それを統合するかたちで皆保険ができた。
そういう歴史的な構造物すべてが壊れてしまった後に
改めて作りなおすのは本当に大変だ。

また、医師についていえば、これから医師になる若い人たちの
考えや希望にもぜひとも耳を傾けていただきたい。
彼ら彼女らがどのような医師になりたいのかという理想に向け、
みなさんからの希望と期待を語りかけていただきたいものだと思う。
くりかえしになるが、国立大学の医学部の学生は数千万円の国費を
投入してもらって医師になっていくのであり、
自分のライセンスや医療技術を自分だけのものにしてしまったら、
格好が悪すぎる。

何年かは地方に行け、と私ばかりが各所で言い募っているのでは実にまずい。
この一五年間で私の村に二〇〇〇人くらいの医学生、看護学生がやって来た。
そのうち二〇〇人くらいは海外にも送った。
そして卒業後はできるだけ東北や北海道に行ってくれと、当時から言ってきた。
というのも、昔から東北や北海道には医師が足りないのだ。

アメリカ人にとって自分の習得した技術は自分のものだ。
あれだけ苦労して入学し医大で学んだ努力と汗の結晶をお金に
かえなくてどうする、などという発想を日本に持ち込まれたらたまらない
というのが私の考えだ。

海外では医師の給料は、郡部と都市で一〇倍の違いがある。
だから、日本の農山村でなぜ医師が働いているのか、海外の人には理解できない。
みなさんは国民皆保険制度を当たり前だと思っているが、
仮に給料格差が十倍なら、みんな都会で働くにちがいない。

タイでもそうだった。タイでも保守党は農民票がほしいため、皆保険を導入した。
さらにタダにした。だがタダにしても、農村に医師は行こうとしない。
だから強制的に送る。
そして農村の医師が都会に来ると、給料が一〇倍、さらに海外に
行くとさらに一〇倍となる。

バンコクで一〇〇倍の給料をほしいと思ったら、
メディカル・ツーリズムをやればよいのだ。
アラブのお金持ちと、アメリカ人をみればよいという話になる。
迂闊にアメリカ的な制度を日本に入れると、本当に危うい。
みなさんの期待度が高い分、「これが当たり前だ」と思っている
心理的基盤が崩れたときには「いったい誰が崩したんだ!」という、
他罰的な気分になることだろう。

世界一のスピードで世界最大規模で高齢社会に突入している
日本社会にどのような処方箋があり得るのか、、、なかなか簡単な解決策はない。
だが、この単純ではない課題をこそふんばって自分たちの老後の問題
として考えつづけていく姿勢こそ重要なのではなかろうか。


*本稿は、連続講座「消費者からみたTPP問題」の第四回「TPPでどうなる医療」
の講演録に加筆したものである。主催団体は、日本消費者連盟、食の安全・監視市民委
員会、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン、開催日時は、二〇一二年四月二二
日(日)であった。

(いろひら てつろう/JA長野厚生連・佐久総合病院医師)
 
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