講演録「地域医療を考える」第1講
             
   2011年8月7日(日)@新潟市西蒲区巻文化会館
JA長野厚生連・佐久総合病院医師 色平哲郎 医師
  

皆さまこんにちは。色平(いろひら)と申します。

長野県からやってまいりましたので、善光寺から来たお坊さんです、
というふうに自己紹介することが多いんですが、
こんな頭をしておりますけれども、お医者さんです。
 
こちら新潟市の白根がふるさとですので、このあたりの風景、
懐かしい思いがこもっています。角田、弥彦が、少し遠くから見えるような、
子どもの頃の思い出がこもったところであります。

今日は小林さまのご紹介でお招きいただき、ありがとうございます。
 
堀田力(つとむ)先生とのおつきあいは、十数年前からになります。
 
堀田先生から私のお名前が出たということで、去年小林さまから、
こちらでというお誘いをいただきました。

今日の題は『地域医療を考える』ということですが、
お坊さんみたいな話をしてしまうこと、お許しください。
『みんなで支えあおう』と、今日小林さまの文章が出ています。
 
お医者さんにかかれば、病気が治るということ、すばらしいこと
ではありますけれども、残念ながら最近はそうでもない。
 
治るような病気はずいぶん治してしまっていて、治りきらない病気、
治しきれない病気、なかなか手応えが得られないような、
そんな高齢社会に、お年寄りが多い社会に私たちは暮らすようになりました。

このように、社会そのものが変わってきましたので、
お医者さんだけに頼っていても地域で幸せに暮らし続ける
ということはできそうもありません。

今日は、『地域医療を考える』ということですが、県立吉田病院に
頼っているだけではなかなか難しい時代になった、というお話、
わざわざ信州から来てお話しすることになりました。

本日の後半、私の友人二人がお話しします。

一人は、私より日本語のうまいお医者さんで、バングラデシュのドクター。
 
もうひと方は、ほんもののお坊さま。角田の小川和尚さまです。

私はニセ坊主ではありますけれども、お看取りが多い。
 
お葬式が多いという意味で、山中で十年以上ご修行をさせていただき、
人の死亡率は何パーセントかな、というふうに考えるようになりました。

この場で、ご質問してみましょう。
 
人間の死亡率は何パーセントでしょう。

残念ながら、百年後にはこの場にいる全ての方が亡くなっているわけですので、
人の死亡率は百パーセントです。
 
しかし、私たちが自分の持ち時間をできるだけ『お互いさま』『おかげさまで』、
といった日本人の良いところを生かすように仕向けていけば、
地域のあり方を盛り立てることができます。

地域と医療とどちらが大切かというと、病院の方には申し訳ない
ですけれども、医療よりも地域の方が大事なんです。

地域が主体となって、医療あるいはお医者さんを使いこなす。
「自分たちのために使うんだ」という気構えをどのようにしたら持てるのか、
ということを今日お話しできればと思います。

この間、二度にわたって和納の街並みを訪れました。
昔に比べますと、人も少なくなり高齢化が進んでいるということも伺いました。
 
では、私の山の村はどうでしょうか。
 
信濃川をさかのぼって行きますと、千曲川が山になって一番奥に、
『南牧(みなみまき)』とか『南相木(みなみあいき)』等、
私が十年以上診療所長をやっていた村があります。
南相木村は、もう人口が千人を割り、高齢化率も四十パーセント近い。

和納でもそうなのでしょうが、ずいぶん『限界化』してきている。
 
あと十年も経つと、私たち家族が暮らした村はなくなってしまうかもしれません。
 
今日、会場の外に『ヘルプマン!』というコミックがあったことに
お気づきになりましたか。入り口のところに『ヘルプマン!』
というカタカナで書いた介護マンガが置いてあります。

皆さま方、私のつたない講演を聴いて「何だ、こりゃ?」という思われる前に、
帰りがけにも、ぜひこの『ヘルプマン!』を手に取っていただきたく存じます。
 
私、東京で全国の市議会議長さん方とか、国会議員の方々、この間も議員会館
でもお話ししたんですけれども、私の話ではなく、ぜひこの介護マンガ、
介護する人たちの気持ちをくんであるマンガを手に取っていただきたい。
と申し上げることが多いのです。
 
外にあるので、ぜひあとでご覧になってくださいね。

『ヘルプマン!』というこのコミック、実は『お薬』なんです。

「周囲の若い世代の方にお渡しすると、読後、高齢者に対して、親孝行、
おじいさん・おばあさん孝行になる、そんなお薬です」というふうに申し上げ、
議員会館でも多数を売り上げました。

私、講談社の回し者みたいなところがありますね。(笑)

「地域医療とはなにか」と問われて、「お医者さんのお仕事です」と、
皆さんお答えになるかもしれません。
病院にお願いしさえすれば、なんとかなる、とのお考えだったかもしれません。

ですが、今後、地域医療をなんとかしていく主体は、皆さま方、
地域住民の方々ご自身です。
実際の医療技術面には多少難しいところがありますので、
医療というより介護ケアをどのように地域が下支えしていくか、、、。

今日、皆さま方が手に取るこのコミック『ヘルプマン!』をぜひ、
西蒲区や南区選出の代議士さん方、市議会議員さん方、
県議会議員さん方にお手渡しください。

自らもまた、『死亡率は百パーセント』と知った今、お医者さんに
頼っているだけでは、地域のこのような高齢化現象の今後に展望は見えません。
皆さま方に肩すかしをさせてしまって申し訳ありませんが、
現代とは地域医療についてお医者さんにご対応いただくことがすでに
無理になった時代、無理になってきている昨今、
だからこそこんな私が信州からお坊さんみたいな頭をして
今日、呼ばれて来ているのだと思います。

『みんなで支えあおう』と書いてある、この小林敏夫さんのお便り。
『周囲はどこも一人暮らしや老人だけになった。
どういうふうにすれば良いのか。
お互いがお互いを支えあう社会を取り戻していかなければ、
私たちの安心は得られないであろう。』と、お書きになっています。
『お互いさま、おかげさまで』という日本人の良いところを取り戻すために、
お寺さん・お坊さま方のご協力を得る必要があるのではないでしょうか。
先ほどから伺っておりますと、昔は、おなかが痛いと言って、お医者さん
がいなかった時代、お坊さまのところにご相談に行ったものだそうです。
すでにお寺さんにご相談に行く時代は終わってしまいましたけれども、
地域のお寺に限らず、自分たちの自前の力で自分たちのことに取り組む、
ということができていかないとまずい。

具体的には、隣人をどのくらい親身になって気遣うことができるのか、
そんな気持ちが、皆さま方の中にないようだと、
地域の老後を支えることはしきれない。
その意味で、外に置いてある『ヘルプマン!』、ぜひ手に取っていただき、
ご覧になった後は、周囲の皆さんに回し読みしていただきたいと存じます。
今日は国会議員の方もおいでになる予定があるそうですね。
彼女が市議会議員だった頃からのおつきあいですが、
以前からこのコミックお読みいただくようにしています。
 
ちょっと変わった話をしてみましょう。
『雨ニモアテズ』って、皆さん知っていらっしゃいますか?
『雨ニモアテズ』、読んでみましょう。

 雨にもあてず、風にもあてず、
 雪にも、夏の暑さにもあてず、
 ぶよぶよの体に、たくさん着こみ、
 意欲もなく、体力もなく、
 いつもブツブツ不満を言っている。
 毎日、塾に追われ、
 テレビに吸いついて遊ばず、
 朝からあくびをし、
 集会があれば貧血を起こし、
 あらゆることを、
 自分のためだけ考えて顧みず、
 作業はぐずぐず、
 注意散漫ですぐに飽き、
 そして、すぐ忘れ、
 りっぱな家の自分の部屋に閉じこもっていて、
 東に病人があれば、医者が悪いといい、
 西に疲れた母あれば、養老院に行けといい、
 南に死にそうな人あれば、寿命だといい、
 北に喧嘩や訴訟があれば、眺めて関わらず、
 日照りの時は冷房をつけ、
 みんなに勉強勉強といわれ、
 叱られもせず、恐いものも知らず、、、
 
これ、有名な『雨ニモマケズ』という宮澤賢治の詩ですよね。
この辺で笑いをとらないといけないのですが、
皆さん笑っていただけてないですね。(笑)

この詩はもちろん、私のことです。
私は幼い頃から、自分勝手な人であるということでみんなから嫌われて
おりまして、『雨ニモアテズ』というこの詩を読んだ時
「あぁ、これは私のことだな、、、」と感じました。
皆さま方、いかがお考えでしょうか。
お医者さんというのは、あそこまで英語ができて、物理ができて、
数学ができて、化学ができる、となったら、日本語しゃべれないでしょう?
この辺りで、もう一度笑っていただきたかったですね。(笑)

皆さん、高望みしすぎです。
私、時々テレビに出るのですけれども、
テレビに出るお医者さんってどうですか?
イケメンで、ブラックジャックの腕を持ち、頭は利根川進で、
そうでしょう?口は綾小路、って、そういう人ばかりが出てきますよね。

でも、そういうお医者さんはいないのです。いいですか。
現実のお医者さんたちは、私とちがって真面目に日々の診療をしています
けれども、しかし皆さま方のご期待にすべてお応えするには、昔とちがって
治しきれる病気も少なくなってきて、治しきれなくなってきた。
ご期待にそえなくなってきているのです。
認知症や、治しきれない障害を残した方、彼らが地域で
「すきな人とすきなところで」暮らし続けることができるような
世の中に直していくことが大切です。

このような地域医療を守るお仕事、それは、
実はお医者の仕事ではありませんよ。
皆さんのお仕事だということです。
そして、くれぐれも医者に期待しすぎてはいけません。
医者は『雨にもあてず、風にもあてず、雪にも、夏の暑さにもあてず、
ぶよぶよの体にたくさん着こみ、意欲もなく体力もなく、
いつもブツブツ不満を言っている。、、、』そういう人たち、だからです。

人間関係を長持ちさせるコツは何か、あるいは家族を長持ちさせるコツは何か、
ということ、皆さん、お考えになったことがありますか?

家族を長持ちさせるコツとは、それは『AKA』。
 
『あてにしない。期待しない。あきらめる。』
うちの女房がいつも言っていることです。(笑)

いいですか?私はあてにされていないわけですね。
期待されていない、あきらめられている旦那なわけですよね。
そうすると、私が言いまちがえて、たまに女房に「ありがとう」
とか口走ってしまうと、車の後部座席で子どもたちが「
すごい!お父さん、ありがとうって言った!
1年に1回しか言わないのにすごい」と、拍手をしてくれるのです。

皆さま方も病院にかかったら、『AKA』ですよ。
『あてにしない。期待しない。あきらめる。』

今日の講演会の私の前座は30分です。
30分で覚えて帰っていただきたいことは三つあります。
 
一つは『ヘルプマン!』。
このコミックを手に取って、『お薬』であるということで、
周りに回し読みをすすめる、ということですね。
 
二番目は『AKA=あてにしない。期待しない。あきらめる。』
AKBではございませんよ。AKA。
人に期待していると、その分、うらぎられた気持ちになりますよ。
お医者さんをすばらしいものだと思って、治るもんだと思って病院に行くと、
案外「手術しなくてはいけない」とかって言われ、「ガンだ」と言われて
「ガーーン」となって何も覚えていない。
患者さんには、『AKA』が大事ですよ。
皆さま、色平診療所にかかる時の心得をお伝えしております。
いいですか?いつも私の家族の話ではないですからね。
 
今日は地域医療のお話しでしたので、色平診療所にかかる時のお心構えですよ。

診療所の建物に入ったらまず、『あてにしない。期待しない。あきらめる。』
と十回、色平先生にきこえないように、唱えましょう。
AKA、いいですか?『あてにしない。期待しない。あきらめる。』と十回言って、
それから色平先生にかかりましょう。
すると、色平先生はイケメンで、、、ではないね。
色平先生は、すばらしい名医です。
一旦、あきらめてたんですからね。迷医ではない、名医となりますよ。

今日、私のあとにお話しになるお坊様方は、ちゃんとした仏教のお話し
をされると思いますが、仏教の教えとは何でしょうか?
『人は死ぬものです』ということですね。
私ども医師は、ベストは尽くしますけれども、なかなかうまくいかない。
こういう状況の中で、できるだけがんばって障害のある方を支えていこう
とはしますけれども、『医療技術で治しきらない世の中』になればなるほど、
『あてにしない。期待しない。あきらめる。』このAKAが大事になります。

それで、三番目。
私が今日、皆さんに申し上げたいことは、これもこの小林さまの文章の中
に書いてあります。(※『和納の窓からのメッセージ』中参照)
『弱いといわれる人たち、弱者といわれる人たちは声すら出せない。
声なき声がある。』

救急車の出動が頻繁になってきた。
なかなか難しい状況になってきている。高齢化が進んでいる。
世話をしてもらえない人が増えている。一人暮らしの方が増えてくる。
障害を持って暮らす人が増えている。
昔と変わらないような街並みだけれども、多くが老人世帯になる。
老人どうしが支えあう、そういう世帯や一人暮らしが増え、
さらに人々の絆が失われていく。
ここを、自分たちの問題としてふんばる仲間づくりが大事、
という点が三点目です。

最後に申し上げたいのは、今回の地震のこと。
 
私のふるさとでもあるここ新潟は、二回にわたって大きな地震の
被害を受けました。
そして今年三月十一日のあの東日本大震災では、
私の友人のいる福島県の浜通りが大きな被害を受けました。
心配でした。というのは、皆さんご存じでしょうか。
桜井市長という頭のはげたおじさんがいますね、
南相馬の市長さん。彼、私の友人なんです。

十年ほど前からのおつきあいでしょうか。
昨年の春に、彼から電話がかかってきまして
「やぁ、僕、市長になっちゃったんだよ。」と言うんですね。
市長だったっけ、市議会議員じゃなかったっけ、というと、
「今度市長になっちゃったんだよ。」それで、
「南相馬にぜひ地域医療の講演にきてほしい。」と言われちゃったんですね。
私、伺いまして、こういう、、、もともとアホな人なので、アホな話ししか
できないんですけれども、アホな話しして、市長の顔をつぶして、
それで帰ってきたんですね。相馬野馬追とかね、騎馬武者が走るような
かっこいいところへぜひ次回はよせてよ、とか言って帰ってきたんです。

そうしたら今年の三月十一日にわーっと揺れましてね。
信州も揺れまして、それで津波が来て、うちの女房と、
講演会をやったあそこの会場、どうなっちゃったかなぁ、、、
桜井さん、大丈夫かなぁ、、、って心配してました。
そうしたら、翌日メールが届いて、おお、生きてるよ、よかったよかった。
十四日の早朝、電話がかかってきました。
電話取りましてね、「あ、桜井さん!生きてた!!良かったなぁ。
そちらはどう?」と。桜井さん、すごくがんばってました。

のちに、桜井さん有名になりますけれども、
その時はまだ皆さんあまりご存じないおじさんでした。
東北電力ががんばってくれて、電気はあると。それからコメもある。
ガスもある。水もある。
ただ、ガソリンがない。燃料もない。まだ冬場でしたからね。
燃料なくて、ガソリンがないので、、、と言っているんですよ。
私、農協の職員ですから、佐久病院というのは農協の病院なんですよね。
農協が建てた病院なので、農協に頼んでトラック一台分の支援物資を作りましてね。
早速南相馬に持って行こうと思って、十五日の昼電話して
「どう?飯館村、通れる?」と聞くと、「通れる。通れる。OK!OK!」と。
行くつもりだったんです。
ところが、ダメ。入れなくなっちゃった。
菅首相が、三〇キロ圏内は入っちゃいけないって口走っちゃって、
入れなくなっちゃったんですよ。これ困ったな。
いや、もう、私の支援物資、現地に届かなかったんですよね。困りました。
原発もドカーンとか、いっちゃって、、、
私も長野県の知事さんとかね、滋賀県の女性知事さんとか、
いろんな知事さんに頼んで避難民を引き受けてもらえるようにお願いしたんです。
けれども、困ったのはですね、原発がドカーンとかいうと、
みんな逃げたくなるわけでしょ。
逃げたいと言っても、どこにどのぐらい放射能、放射線があるのか全然
わからないわけです。
私が十五日の午後、トラックで南相馬に行こうと思った本当の理由は、
お医者さんだから何かができると考えたわけではありません。
だってね、山で十年もやってりゃ、だいたいヘボ医者だからね、役に立たない。
実は、線量率を計りに行こうと思ったんです。
南相馬の実際の線量率が何マイクロシーベルト毎時なのかを計りに行こう
と思ったんです。ところが入れなかった。困りましてね。
桜井市長は頻繁にテレビに登場してました。

NHKテレビに声だけの出演で、「南相馬の市役所前は
3.3マイクロシーベルト毎時以下です」と。
3.3以下なら入れるじゃない。
長時間は無理だけど、入れるなあ、と私は思ったんですけど、
私は友達だから、桜井市長を信用してますけど、NHKでそうきいた
からといって、なかなか入れるボランティアはいないでしょう。
だから私としては別のところで別の角度から線量率を計り直さなくては
いけないなと思ったんです。でも、入れなかった。困りました。
結果的には、三月十七日の『日経メディカル』という日本経済新聞の
関係で私が連載しているところで、書きました。
すぐに除染する必要はないレベル、10万CPM未満というのですが、汚染はそれほど
ひどくはない状況で、これは普通の人が入れる状態だ、という測定データをつかんだ
ので、それを『日経メディカル』に書いて日本のあちこちにばらまきました。

でも、まだまだみんな怖がっていた。
スピーディーな地図情報を早く公開しなかったからです。
、、、つまりもし、線量率が高すぎるのであれば、
急いで住民を退避させなければいけない。
住民が七万人も孤立しているのをどんどん山を越えて外部へ
出さなければいけない。線量率が低いのであれば、食料などを届けないと
飢え死にするか、凍死するかはもう確実、時間の問題でした。
海水かぶって一週間なんて、ほっとけないですからね。
非常に困りました。本当にたいへんな数週間でした。

いろいろありましたよ。
その後、天皇陛下が南相馬のすぐ北の相馬市まで入られました。
浜通りまで天皇陛下におはこびいただいて、私、ずいぶん気が休まりましたよ。
 
やってみてわかったこと。
燃料を送り届けることはできた。
自衛隊員ががんばってくれて燃料を届け、みんな怖がって行かないところ
にまで、何とかガソリンも届けることはできました。
ところが困ったことが起こったんです。
ガソリンを受け取った人は、逃げたいから逃げちゃった。
逃げられた人々は、若者が多かったんです。
車を持っている人が多かったんですね。
それで私の気持ちと逆に、お年寄りが取り残されるという
結果になりました。
私は自分で物資を届けようとして果たせなかったし、あちこち、
つっついて案外線量率は低いから入ってくれ、というふうに
やってはみたんです。
でも目指すところ、つまりもっとも地域で弱い人たちのために、
困っている人たちのために食料を届け、燃料を届けるということもできず、
逆に若い人たちがお年寄りを置いて、山を越えて福島市側に逃げる
ことを助けることになってしまったんですね。
悪いことではなかったとはいえ、うまいことではなかった。
退避計画が不備、あるいは欠如しているところで、大混乱になっていました。

これで、私の話を終わります。
まとめとして、地域医療というのは、まず平和であるということが、
皆さん安心して病院にかかれる大前提だということです。
一旦、地震とか大きな災害などが起こりますと、もう大変。
今回私は遠くにいましたけれども、友人の桜井市長以下七万人の市民
が孤立して困っているということで、毎日大変でした。
各省庁をせっついても、結局逃げられる人だけ逃げちゃって、
助けてもらわなくてはいけない人が逃げられなかった、という経験でした。

戻りますと、医療が大事なのか、というと、医療は大事ですけれども、
皆さま方地域の方々ができる自前の取り組みというのがもっと大事。
そういうときに自分ばかりが逃げるのではなく、地域にどんな人がいて
どんなふうにつらいのかということを配慮できること。
これが防災の心構えだと思うんですよ。
単に物資を届けるだけでは、海外でもそうですけれども、
単に食料を届けるだけでは、単に燃料を届けるだけでは、逃げたい人が
逃げてしまうということになってしまったという、
私の反省を述べさせていただきました。

前半に『ヘルプマン!』、ぜひ外で『ヘルプマン!』コミックを
手に取っていただきたい。
 
中段では…『あてにしない。期待しない。あきらめる。』と申し上げました。 

そして、医師にできることは限られている。
そのことを前提に、物資を届けようと思ってもなかなかうまくはできなかった
という反省のお話もいたしました。
七万人からいたはずの南相馬市は、一旦一万人ぐらいに減って
“ゴーストタウン”になった、その後回復して、今、四万人を超えてきています。
この四万人の人たちは食料はありますが、医療がないんです。
入院ベッドがない状態なので、これをどうしたらいいのかということで、
仲間とどうしたらいいか心配している、これが今の私の日常であります。
 
私はこれで終わりにいたしまして、友人のバングラデシュのドクターの
お話しを一時間、WHOのお話を伺い、その後はお坊様のお話を伺いましょう。
今日の後半では私が司会をさせていただきながら、仏教者として地域の医療
をどういうふうに盛り立てていくことができるのか、それはお寺さまに
限らず皆さん方地域の方々のお互いさま・おかげさま、
という気配りが大事なんではないかな、というふうに展開して参りたく。
 
これで25分ぐらいお話ししたでしょう。
持ち時間は終わりました。どうもありがとうございました。

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