73 「バブさん、若月賞、おめでとう!」
             
   日経メディカル 2012年6月28日 色平哲郎
  

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201206/525604.html

 佐久総合病院では若月俊一名誉総長(故人)の業績を記念し、
 「若月賞」という医療関係者を対象にした賞を設けている。

 今年は第21回の受賞者として、WHO(世界保健機関)の
 世界ハンセン病対策プログラム(Global Leprosy Programme)の
 チームリーダー、スマナ・バルア博士が選ばれた。

http://www.sakuhp.or.jp/ja/news/001027.html

 20年来の友人として、心より祝福したい。
 バルア博士ではなく、いつものように愛称で、
 「バブさん、おめでとう!」と言わせていただこう。

 バブさんは、2002年にWHOの医務官となって以来、
 ハンセン病新規患者の早期発見と多剤併用療法(MDT)での
 迅速な治療導入をベースに、持続的治療、合併症や後遺症の予防、
 そしてリハビリ機会の提供を率先して行ってきた。
 まさに目の回るような忙しさで、文字通り世界中を飛び回っている。

 WHOは「ハンセン病“制圧”の基準」を
 「1万人当たりの患者数を1人以下に抑えること」と定義している。
 世界的に見ると、1990年には89カ国あった未制圧国が、
 各国政府とWHO、関係機関の努力で、急速に減少した。
 2010年末には東ティモールが制圧目標を達成。
 1万人当たりの患者数が1.56人だったブラジルが、
 最後の未制圧国として残った。

 広大なアマゾンの熱帯雨林を抱えるブラジルでは、
 病気の初期症状への対応が遅れがちなへき地で感染が広がっていた。
 そのブラジルも、患者数の多い自治体に医療関係者を集中的に派遣し、
 2015年までの“制圧”を宣言している。

 バブさんの活動地域は元々アジア太平洋とインド亜大陸だったが、
 昨年からは担当地域がアフリカやブラジルを含めた世界全体に拡大。
 この活動が認められて、今年の若月賞が与えられることになった。
 バブさんにとって、この受賞は格別の思いがあることだろう。

 というのも実は、バブさんは多忙な仕事の合間に毎年、夏のお盆の時期、
 “第二の故郷”である日本を訪れ、若月先生のお墓参りをしてきたからだ。
 30数年前、まだ20代だったバブさんは祖国バングラデシュを離れ、
 日本で肉体労働をしながら医師への道を歩もうとしていた。
 しかし日本の医師教育は外国人に門戸を開いておらず、悶々としていた。

 ある日、長距離トラックの助手のアルバイトをしていたバブさんは、
 車が信州のパーキングエリアで止まると、「僕は医者になる!」と
 運転手に告げ、その場を離れた。

 向かったのは、若月先生が院長を務める佐久病院だった。
 若月先生は、突然面談を求めてきたバングラデシュ人の若者の話に
 丁寧に耳を傾け、こう語ったという。

 「君には夢がある。医師になる方法を探しなさい」

 その後、バブさんはフィリピンに渡り、医師となった。
 来し方を振り返れば、感慨無量だ。
 この辺り、バブさんの人物像は『日本を大切にする仕事』
 (山岡淳一郎著・英治出版)に描かれている。

 若月先生とバブさんに共通するのは、治療の実践はもちろんだが、
 背景に「ヘルス・プロモーション」の考え方が存在することだろう。
 ヘルス・プロモーションとは、広い意味での保健活動であって、人づくり、
 地域づくり、街づくり、そしてコミュニティー活動などが含まれる。

 ハンセン病対策プログラムも、単に薬を届けるだけでなく、
 地域の人びとへの啓発活動や人材育成が不可欠なのだ。
 このような地道な「土台づくり」こそを、私たちは見直さねばならないのだろう。

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