JA共済総研セミナー『地域社会の再生に向けて』
              (2012年3月9日開催)報告2

   「金持ちより心持ち〜信州の地域医療の現場から〜」
   共済総研レポート 120号掲載 2012年4月

JA長野厚生連佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長 色平 哲郎


講演要旨

佐久総合病院の2代目院長、故・若月俊一は、農民たちの多くが無保険者であったこ
とに心を痛め、あえて「農民に使われる」立場に身を置き、自作の寸劇を通して協同の
精神を伝えることにつとめた。こうした医師集団がいなければ、日本の農山村の医療は
成り立たず、厚生連病院が全国展開されていなければ、国民皆保険制度の実現もなかっ
たであろう。

しかるに、TPP(環太平洋連携協定)は世界から「日本の宝」と言われる国民皆保険
制度を揺るがす可能性がある。薬価が上がり、医療従事者が減れば、医師にかかれない
人々が生じる。そうなれば、戦前のような不安定な社会になりかねない。

医療技術は医師の権威のため、病院経営のためにあるのではない。地域の人々のため
にある。JAの先達が苦労して育成し、今も農山村に生き続けている相互扶助の精神を守
り育てる取り組みが必要である。


1.佐久総合病院の特徴

(1)農山村での医療活動

まず、私どもの佐久総合病院の2代目院長で、6年前の夏に96歳で亡くなった故・若
月俊一先生の事績を映画で一部ご紹介します。

<映画『医(いや)す者として』(一部抜粋)>

八ヶ岳を望む、信州・長野、佐久地方です。千曲川沿いを辿ると、佐久平。その一角
に佐久総合病院があります。戦後間もなくこの病院に赴任した1人の医師が、農村医療
の道を切り拓きました。(中略)
 
ある日佐久病院の診療班が谷間の無医村にやってきました。粗食と重労働がもたらし
た農民特有の病気に、親切な治療の手が差し伸べられてゆきます。
 
診療が済むと今度は役者に早変わり。芝居を通して、農民の啓発と交流を深めるので
す。今日の出し物は、回虫の恐ろしさを説くお芝居。娯楽施設のないへき地の人々にと
っては、この素人芝居も大きな楽しみのひとつになっているのです。

(2)「農民に使われる立場」に身を置く意味
 
古い時代をご存知の日本の医師たちは、農民たちの多くが無保険者であったことに非
常に心を痛めていました。ですから、一部の医師はプロフェッショナルでありながら、
自分の医療技術を「自分のために使う」(=商品化して金もうけの材料にする)あるい
は「権威化する」(=自身の栄達のために使う)のではなく、「農民に使われる」とい
う立場に身を置きました。佐久総合病院は農協の組合員の方々に出資していただいた病
院ですから、我々もそのような精神を保持し続けたいものだと思っています。

若月先生のような変わった医師たちが、たとえ一部でもいなければ、日本の農山村や
漁村での医療は成り立たなかったでありましょう。こうした厚生連病院が全国に展開さ
れていることこそ、半世紀前に国民皆保険が実現した大きな基盤になったと感じます。

(3)人が集まる病院

佐久総合病院は、面白い病院だということで人が集まってくる病院です。私は10年間
、南相木村(みなみあいきむら)という奥山で家族5人で暮らしながら診療していました
が、15年間で約2,000人の医学生や看護学生がやって来ました。また、日本の農山村と
、海外の農山村とをつないで、学生実習をやっておりました。


2.国民皆保険は日本の宝物

(1)人間の死亡率は100%

村にはご老人方がたくさんいらっしゃいます。私は医師ですが、残念ながらたいへん
お世話になったご老人方をお送りする、まるでお坊さんのような役回りもあります。
 
人間の死亡率は100%です。100%である以上、ほとんどすべての日本人は日本の医療
機関にかかって亡くなるわけでしょう。しかし、もし自分の順番が来た時、社会保険料
を納めているにもかかわらず「医療保険や医療機関が機能しない」ということにでもな
れば、本人や家族にとって切実で由々しき事態です。
 
このことが現在の日本で問題化していないのは、戦前以来、皆さまが取り組まれてき
た共済の活動を、公が取り上げて国民皆保険制度が成立したからでしょう。世界からは
「日本の宝物である」と言われています。

(2)協同組合づくりの苦労を感じとってほしい

私が医学生たちを海外に送り出しているのは、日本がこの制度になって半世紀経った
、ということに、若いうちに気づいていただきたいからです。
 
若者たちは途上国に行き、経験を積むと、なにかしら、生活支援のための協同組合を
つくろうと努力します。しかし現地では、非合法にされたり、さまざまな規制を受けた
りしています。戦前の日本も同様だったのではないかと思いますが、自分たちで動いて
自分たちの力を発揮しようという取り組みに対して、資本側から「反産運動」的な指弾
を強く受けます。このようなことを、若者たちに感じ取ってほしいのです。

(3)国民皆保険が日本を繁栄させた
 
日本は敗戦国でしたが、できることをやってここまで復興しました。以前、海外の友
人たちから、戦後復興の根幹を支えるにあたったノウハウを聞かれたことがあります。
その時、私は胸を張って、「国民皆保険があったからだ」「協同組合セクターが機能し
てきたからだ」と言いました。もしそうでなければ医療技術は商品化・権威化され、現
在のアメリカ合衆国でのように、医療費をいくらかけても健康指標が上がらない、それ
どころか格差ばかりが開いてしまう国になりかねませんでした。
 
戦後、日本はアメリカの医療体制だけはとりませんでした。戦前から続く日本型医療
システム、それを完成させるように努力していったのです。


3.協同の精神

(1)弱い者を支えること
 
若月先生は、「弱い者を支えるのが人間の義務であり、民主主義の精神である」とお
っしゃいました。協同の精神を農山村に定着させていくことに一生を費やした方である
、と私は考えています。
 
その若月先生が実現できなかった夢のひとつが、農村医科大学です。これが実現でき
たならば、皆さま方JAセクターが医師や看護師、ケアワーカーなどを自前で育てること
ができたことでしょう。しかし残念ながら、若月先生の取り組みはうまく実現できませ
んでした。

(2)現在も続く互酬、再分配の感覚

お見せした映像にもずいぶんありますが、私は今、看護学生さんや女医さんの
卵たちを山の村のご老人方にご紹介しています。
 
山の村では、機織りや農作業などを通じ、今もおしんの時代のような人と人との関係
性、あるいは“おたがいさま・おかげさまで” といった市場化以前の互酬、再分配と
いった感覚を保持しています。そうした人々の野生のプライドとこだわりを、彼女たち
に知っていただく機会を設けるようにいたしました。


4.啓発の一環としての寸劇
 
若月先生は時間とかなりのお金をかけて、16ミリフィルムで記録を撮られました。そ
のおかげで当時の農村社会がどのようなものだったか、私たちは知ることができます。
 
当時、農民たちは、お金を使うのを躊躇し、我慢するのが当たり前の忍従の生活を送
っていました。テレビがまだない時代でしたので、若月先生はそうした農民たちに自作
の寸劇・演劇を上演して、「辛くなったらお医者さんにかかってもいいんだ」と訴えて
きました。
 
学ばせて頂いて、私も時々、一人芝居をやることがあります。

<寸劇> (一人芝居)
 
お婆さんがお爺さんに声をかけます。

婆「おやー、ジイさんじゃーないかい。えらいぼつらぼつら歩いてるけんど、どうした
だい。」

爺「おらぁ、車の運転やめただよ。子どもにかくれて乗らっと思ったら、正月に来た
時、鍵隠されちまっただよ。」

婆「よく、あきらめただにー。」

爺「しょうがねー、この車(手押し車)買ってもらって、うちのばあやんと一緒に歩い
てるだに。」

婆「じゃあ、買い物はどうしてるだい。」

爺「おらちのおばやん、買い物が大好きだったども、どこも出かけられなくなってなー
。しょうがねーから、生協頼んだんだが、注文書の棒が引けねーだよ。だいいち、量が
多くてだめだ。次になあ、農協の食材にしたども、農協が決めたものがくるだよ。おれ
が、肉が食いたくても。魚が届くだ。」

婆「まあ、そうかい。女衆は、品物を見て買いてーしなー。ストレス解消にもなるらぁ
。むずかしいところだいねー。」

爺「だけど、これは、きっと、おらっちだけの問題じゃあねーよ。佐久病院に診察に行
くんにだって困るいなあ。葬式だって、人に頼まなきゃ行かれねーわ。義理を欠くよう
になりゃ
、つれーなあー。福祉バスは日に1本きりだし、朝でかけりゃ、夕方までけえーってこ
れねーや。新幹線で東京まで行くに、1時間半だなんて言ってるけんど、バスで買い物
に行くのも1日がかりだ」

婆「あー、だから、あそこんちは、東京の娘が、ちくわだ、魚だ、みかんだって、宅急
便で送ってくるだわ。便利なようでなんか変だいなあー。子どもがいる衆はいいけんど
、おらっちみたいにいなきゃ、どうするずら。いまちっと世の中、なんとかならねえず
らか。」・・・


5.海外から見た日本とその内実
 
私は医師になる前、海外を放浪していた時期があります。今でも海外の友人がいて、
フィリピン、タイ、ビルマ、バングラデシュなどの国に学生たちを送り込んでいます。
 
このような海外の友人たち、あるいは中国や韓国の友人たちに話を聞くと、日本の素
晴らしさに気づかされます。つまり、日本社会は1年に1回首相が交代してもまったく
揺るがない、「超安定社会である」ということです。このことは、国内だけにいるとな
かなか気づきません。
 
では、我々の内実がどうかと言うと、「安定しすぎているが故にギアを切り替えてみ
たいものだ」と強引に何かを押し込んでくる向きもあることでしょうし、我々自身も「
どうすれば変われるのか」「なかなか変われない、、、」と考えがちです。我々医師も
、既得権などと言われて、数年前まで「医者は隠している、嘘をついている」とメディ
アからずいぶん叩かれました。一方で、医療が手薄い状況について、ほとんどの日本人
がご存知ありませんでした。


6.山の村から教わったこと

(1)自助・互助・共助
 
先ほど「市場化以前」と申し上げましたが、市場化以前ということは交換以前です。
助けるという字を使うと、自助・互助・共助くらいまでのあり方でしょうか。
 
人間はそれほど強くありませんので、自分たちだけでなかなかうまくいかない時に、
互助や共助で助け合います。“おたがいさま・おかげさまで”といった感覚を、いかに
取り戻すことができるのかが大切です。

(2)金持ちより心持ち
 
お金だけではなく、人間関係をどう持てるのかということは、「金持ちより心持ち」
という言葉に凝縮されているのではないでしょうか。
 
標高1,000mを超える山の村に暮らしてみたら、心豊かなご老人方がたくさんおいでに
なりました。おじいさんやおばあさん方は、みんな一芸に秀でた方々です。そこで家族
で一緒に10年間暮らし、さまざまな方にお世話になる形で学ばせていただきました。都
会育ちの私の心は貧しいが、一方、日本社会のあちらこちらには、貧しいけれども明る
くたくましい「心持ち」の方々がいることに気づいた次第です。

(3)できることは自分でやる
 
ご老人方は農作業でできたもの(信州では「前栽物(せんざいもの)」と言います)
を分かち合います。私も学生たちもご相伴させていただきますが、学生たちは「できる
ことは自分でやるんだという当たり前のことを、おじいさん・おばあさんから学んだ」
というふうに感想を述べていました。

(4)尊敬と感謝の気持ち
 
ご老人方の野生の魅力は、若い人たちに伝わります。尊敬の気持ちさえわいてきます
。残念ながら数年を経て、そのご老人が認知症や寝たきりになった時でも、尊敬の気持
ちを胸に秘め、「昔お世話になった」という感謝の気持ちさえあれば、「できることを
やってあげたい」という心を取り戻せるのではないかと感じる次第です。


7.TPPが医療にもたらすリスク

(1)『ヘルプマン!』の勧め
 
ところで、皆さんは『ヘルプマン!』というコミックをご覧になったことはあります
か? 特に第8巻がお勧めです。TPPを読み解くために必須のコミックです。
 
「TPPによって日本社会がどうなっていくのか」について肯定的な意見がありますが
、『ヘルプマン!』を読めば、我々の気づかないところで「すでにこのように変貌して
しまっているんだ」「”無縁化”してしまっている」「ある意味で”限界化”している
んだ」ということに気づくチャンスになると思います。
 
誰であっても高齢になれば車椅子に乗ったりする可能性があるという現実に目を向け
る一方、「日本社会でケアのあり方は現実、いったいどうなっているのか?」「我々に
は何が見えていないのか?」を考えはじめるきっかけになると思います。
 
途上国では大家族ですし、今も貧しい中での助け合いを当たり前にしています。けれ
ども、日本の家族はいろいろなものを見失ったのではないかということを、この『ヘル
プマン!』は教えてくれます。たとえば11巻、12巻をご覧になると、認知症がどんな具
合に家族や周りの人、あるいは本人自身に打撃・衝撃を与えるのかが読み解けます。

(2)TPPは日本人全員の問題になる
 
TPPは、人々の「声なき声」を押しつぶすような力がはたらく制度改変です。当初は
「農業対工業」のような誤った報道が溢れました。しかし、1.5%の話ではありません
。TPPがもし日本の公的医療保険に対し、影響力をじわじわと加えてくるなら、日本人
ほとんど全員の切実な問題になることがほぼ確実です。若い人も含め、100%近い日本
人が日本の医療機関にかかることになるからです。
 
私がJAの職員だから言っているわけではありません。「日本国民全員にとって由々し
き問題になる可能性がある。そこを払拭できないので、政府においてはくれぐれも判断
において慎重であっていただきたい」ということを、この1年間半繰り返してまいりま
した。
 
TPPがT=トンでもない、P=ペテンの、P=プログラムであるということは、かなり知
られてきました。ISD(I=インチキ、S=訴訟で、D=大損害)条項など、いろいろな仕
掛けがあります。よく知らされていなかった韓国の人たちが、批准した後に「騙された
」と言っています。他山の石として、韓米FTAがどうなっていくのかに注目する必要が
あると思っています。

(3)医療を受けられなくなる
 
繰り返すようですが、私の観点は「国民皆保険制度がどうなるのか」ということです
。“単なる商品ではないお米”と同じような意味で、医療もまた単なる材ではありませ
ん。ただ違うところもあります。今回は、米価は下がり、薬価は上がることがほぼ確実
です。
 
薬価が上がれば医療界の収益は上がる可能性があります。しかしそれは、ほとんど製
薬企業の利益となることでしょう。
患者さんやその家族にとって良いことなのでしょうか。医師にかかりにくくなると、戦
前に戻ってしまいます。
 
長く医療をやってきた長老は、お金のない人たちに保険証がないため医師になかなか
かかれず、病気をこじらせて、現在の外国人労働者たちのような状況にあったことをよ
く知ってい ます。あのような時代に戻るようだと、社会が不安定になるし、大問題に
なるだろうということが長老たちによって洞察されています。

(4)東京近郊が、特に厳しい状況になる
 
日本政府は、医療財政の規模を大きくしようと考えてはいません。TPPを導入すると
医療費が膨らみがちになりますが、一方で、医療費の総額は抑え込むかあるいは大枠を
決める方向になることでしょう。そうなった場合、薬価が上がった分、人件費が削られ
ます。医師の人件費を削りにくいようなら、看護師や介護の人たちの給料が削られ、皆
さんの老後はアウト、となります。

私のいる信州は大丈夫ですよ。高齢化がいきついていますし、佐久総合病院さえなんと
かなれば、長野県のある程度の地域は十分カバーできます。東北も食料自給率が高いで
すし、根性がありますから、かなりの程度耐えられることでしょう。
 
一番問題なのは都市部です。東京近郊の三県、そし三多摩は脆弱の極み。何かあった
ときにアウトです。今後どうなるのか、想像するのも恐ろしいような事態になってきて
います。東京近郊の方々こそ「どうしたらいいのか」ということを、自前の努力でお考
えいただく必要があると感じます。
 
戦前の産業組合の指導者たちは、「どこかにピンクのお医者さんはいないか」と探し
廻り、医師に来てもらい、自前の農村病院を経営維持しなければなりませんでした。農
山村の病院長たちは、すでにそういった苦労を経験しています。東京近郊では、これか
ら皆さんご自身で同様のことをやらなければ、かなり深刻な状況を迎えるのではないか
と思っています。


8.硬直化している日本のシステム

(1)機動性のない日本
 
東日本大震災が起こった後、日本は意外に機動性を持って動けませんでした。
 
中国の友人によると、2008年5月に四川省で大きな地震があった時、中国政府は被災
した四川の町と被災していない他省とを縁組させ、被災していない省の年間予算の1%
以上を被災した町に向けて3年間注ぎ込むことを決めたそうです。最初から、復興のた
めの 財政支援とそれをつなぐものを決めて、その目的に沿って「軍と党が」動く。そ
れが中国のあり方だと聞いた時、「すごすぎる」と思いました。日本と中国、この中間
くらいのバランスをどうして我々は持てなかったのでしょう。

(2)すぐに舵をきれない日本

中国をはじめさまざまな国々が現在、大きく変動し、その手段はスピーディで苛烈です
。しかし、我々の日本社会はなかなか変われていません。
 
日本の中で、何を変え、何を変えないでいくのかということ、こと医療に関しては、
私のような利害関係者である医師には決められません。私は、国民皆保険がたちいかな
くなると日本社会に深刻な分断をもたらすのではないかと考え心配しておりますが、で
も、医療セクターの人間という立場性を背負っています。皆さんは共済セクターという
立場を背負っています。ですから、自分たちの論理だけで他のセクターに属する国民の
大多数を納得させることはなかなかしきれません。そして、この日本という国、すぐに
舵を切れない、という意味でも難破寸前のような難しい瀬戸際にある気がしています。

(3)「お役所仕事」から抜けられない日本
 
友人が東日本大震災の被災地に100枚の毛布を持っていったら、「この避難所には120
人がいるので、100枚の毛布だと受け取れない」と言われました。また、小学校にケー
キを800個持っていったら、「1,200人いるから受け取れない」とも言われました。日本
の「お役所仕事」の悪い点です。
 
このように、現在の日本はずいぶん硬直したシステムになっています。中国のように
スピーディすぎるのも恐ろしいと感じますが、日本では数がそろわなければ人々の善意
も生かすことができないような現状なのです。


9.医療の問題点
 
私たちの佐久病院は厚生連の一部であり、皆さまのおかげで医療機器などを買ってい
ただいています。それでいながら、自分たちが協同組合運動の専従職員として運動を担
っているという意識、普段なかなか感じ取ることができていません。申し訳ないことに
、日常業務のなかでは原点を見いだすことが難しいのです。
 
一方、若月先生の弟子でもある私の親友の医師がバングラデシュでたくさんの井戸を
掘ったところ、バングラデシュの「医師会」から「石」を投げられたそうですよ。井戸
からきれいな水が出るようになって子どもたちが下痢をしなくなり、病気が減ったから
でしょうか。このように、バングラデシュの医師会にとって、予防は由々しきことなの
です。
 
また、貴重な税金を医大で何千万円も使って医師になったはずなのに、医師は医療技
術を商品化し、自分のものとして扱うことを当然と考えています。ですからこの十数年
、私はあちこちの医大で講義する際、もう二度と呼んでもらえない覚悟で、あえてこう
言い続けています。
 
「ここは国立大学。皆さん一人ひとりは、数千万円の国費を国民から負託され、医療
技術を身につけるんだ。だから皆さん、卒業したらぜひ農山村やへき地、東北と北海道
を目ざしてください」。
 
へき地と言われるところでも、手ごたえのある仕事があれば、坊ちゃん育ち・嬢ちゃ
ん育ちの医学生でも地域で暮らし続けることができる可能性がありそうです。


10.地域に医療者を根づかせるために
 
どうすれば若手医師が地域で暮らし続けることを選択してくれるのか。そのヒント
がいくつかありました。

(1)教育的な配慮する
 
若い医師が「へき地、農山村で働いてもいい」という場合、そこには、必ず腕のいい
外科医がいたり、教育熱心な内科医がいたりします。医師は職人ですから、若手は「勉
強したい」「修行したい」という思いがあるのです。皆さんの地域の病院にも、特徴あ
る医師が弟子を育てるといった、教育に配慮するような感覚があれば、若い医師が集ま
ってくることでしょう。

(2)心意気を地域で
 
でも、若手はいずれ「修行としては良いけれど、生活場所としてはつらい」などと言
いはじめます。給料を高くすればいいというものでもありません。医師たちに給料を高
く払えば、村民たちが腹の底で「こんな若造に高給を」と思うもの。むしろ給料は安め
に設定し、その代わりに「こういうふうにして、来てくれているんだ」という心意気を
皆さんが地域で振りまくこと。また、少しでも長くいてもらうために、医師が「研修し
たい」と言ったら外に出す。自分たちが医師を使い尽くしていいんだ、と考えてはいけ
ません。
 
皆さんがそういう大きな、暖かい心で受け止めていることをわかるようにしなければ
、もともと他所ものである医療者は地域に根ざすことができません。ましてやTPP導入
になれば、農山村で開業するよりも都会に出て行くという傾向がより強くなり、ほぼ確
実に日本の皆保険制度は「保険あって医療なし」「皆さんのご負担にもかかわらず、医
療機関が機能しない」あるいは「病院の建物はあっても中身がない、看護師もいない」
ということになるのが確実であります。

(3)給与格差は当たり前に存在する
 
給与格差の話もしなければ。たとえばタイでも、バンコクの医師の給料は農山村の10
倍です。欧米に行けばさらにその10倍です。つまり、地球上には十数倍から百倍の給与
格差が存在するわけです。
 
では、なぜ日本の農山村に医師がいるのか。海外のほとんどの人たちには理解できま
せん。十数倍からの給与格差があるのが当たり前だからです。アジアの多くの国々やア
フリカ出身の医師は、ほとんどの場合、アメリカやヨーロッパをめざして行ってしまい
ます。

EUにおいても、東ヨーロッパの医大を卒業すればドイツをめざします。それが当たり前
となってしまいました。

(4)農山村の医療従事者を増やすために
 
にもかかわらず、日本が皆保険制度を維持できているというのは、世界的にもおそる
べきことなのです。世界一の規模、そして世界最速で高齢社会に突入していく日本が、
高齢者にとって暮らしやすい街づくりをしきれるのか?ひとりぐらしのご老人のお世話
ができる国になれるのか?そのような予算配分ができるのか?
 
この間、世界銀行の職員が私を訪ねてきて、「世銀は今まで金の出し方をまちがえた
。世界50カ国が皆保険制度を導入してはみたが、農山村で働き続けることを望む医療従
事者の確保がどうしてもうまくいかない」と言っていました。
 
私は3つのアドバイスをしました。修行ができる環境。給与というより、みなの熱意
が伝わること。そして、よそ者として地域に入った際の悩みについて聞き届ける、そん
な非公式な相談窓口が機能することです。
 
外からはいった人には、いろいろな違和感があります。身内の皆さんにとって当たり
前のようなことであっても、それ故に、外部者にはなかなか言葉にしきれない悩みが発
生しがちです。気楽に相談にのれるようなサポート機能について配慮いただいくと、そ
の地域に居つきやすいのです。それが、若手医師が働き続けてくれる基盤になります。


11.医師を使いこなしてほしい
 
海外に比べると日本社会は「超安定社会」です。
少し揺さぶられたゆえに、一般に自信を失いつつある。そこに、トンでもないペテンの
プログラムで、「特効薬があるから」と言ってきました。

「二十数粒の薬、その一気飲みで病気は治ったけれど、どの薬が効いたのかもわからな
い」という治療法になりかねない状況。さらに、被災地にも訳のわからないお金が入り
込み、人々の心をかき乱したりしています。
 
こうしたグローバリズムの悪い側面が、苦労しながら地域社会を育んできた東北地方
のようなところに入り込んでいます。
 
皆さん、地域社会の再生に向けて、ぜひ医師たちを使いこなしてください。ケアワー
カーたちが思いを伝わるようなJAの取り組みにしていただければと思います。

みんなちがって、みんないい、ひとりひとりのいのちかがやく、まちづくり

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