合理性のみでは貫けない、そんな哲学的な問いかけから始めよう
     

      ドクターズキャリアマンスリー 2012年4月

JA長野厚生連 佐久総合病院
地域医療部 地域ケア科医長 色平(いろひら)哲郎 氏


研究者としての良心、主治医に求められるもの、両面での考察を

2011年3月11日、佐久総合病院のある長野県も揺れに包まれた。
翌日には震度6強の揺れ(信越地震)を観測し、
同県もまた被災地に数えられることになる。
同院地域医療部地域ケア科医長の色平哲郎氏は、震災報道を見てすぐに
福島県南相馬市長の桜井勝延氏の安否が気になったという。


「桜井市長とは10年来の友人で、南相馬市に彼を訪ねたこともありました。
市長の無事は12日の夕方に本人からのメールで知り、
14日の早朝にはガソリンと燃料、副食品が足りない状況を電話で聞きました」

15日には佐久病院の経営母体であるJA長野が支援物資を届けるそのトラック
に乗って現地入りを計画したが、福島第一原発事故の影響で足止めに遭った。
作戦は変更。
あらゆる人脈を駆使して官僚、代議士、メディア関係者等々に南相馬市の
払底状況を発信する日々を3月末まで続けた。

早い段階で現地入りを目指したのは、原発事故に関するデータを
収集するのが目的だった。
東京大学工学部に在籍していた色平氏には、
現地で起きていることの予測がついたという。

「核物理を学んでいましたから、原発の全電源喪失が
何を意味するかはよく知っていました。
私は東大を中退しましたが、もしあのまま在籍していたら、
某電力会社に入社していたかもしれません。
その道が嫌で医学の道に転身したともいえます」

原発事故直後、色平氏が医師仲間のメーリングリストで原発の危険性を
訴えると「『デマを流すな』『国策に反対するのか』とずいぶん叩かれました」
という現実があった。
今回の震災は、医療界が原子力とどのように向き合ってきたのか
という課題を突きつけている。

「日本の医学部では、コントロールされた核物質の扱い方しか教えません。
コントロールが利かなくなった時の危険性は個人的に学ぶしかない。
今回ほどの大事故があった後も、多くの医師は原発と核兵器、
放射線と放射能、そしてこれらの異同について語ろうとしない。
なかには理論武装をする医師も見られましたが、数日の情報収集で
得た知識に基づく話でしかなく、私には、そういう医師たちは答えの分からない
困難な道のりとなる議論を最初から避けているように見えました」

今後も東日本大震災と同レベルの地震が発生する確率は高いといわれる。
再び原発事故が起こりうることを前提に、色平氏はこう提案する。

「一つは学術的に、もう一つには、医療論的に地域性を大事にしながら
原子力の問題を考え始める必要があると思います。
放射性物質による長期的影響を、患者を含む地域住民にどう説明するか。
研究者の良心と主治医としての感性、その両方の角度から検討し、
自分なりの答えを見い出すしかありません」


最短ルートの専門医取得で満たされない理由とは

原発問題のように明確な答えの出にくい問題の考察においては、
リスクと合理性を天秤にかけることになる。
翻って、この構図は医師のキャリア形成にも通じる面がある。

「今の若手医師たちが最短ルートで専門医を取得しようとするのは、
一定の合理性があるからでしょう。
でも、本当は単に技術や報酬を求めているわけじゃない。
その先に、医師としての充足感を期待しているはずですが、自分が
『なぜその道を選ぶのか』という哲学的な問いかけをなくして
得られるものではありません。

器用に困難を潜り抜けていては、肝心の患者の気持ち、
つまり”声なき声”を聴き取れないからです。
合理的にものごとをこなしていくのが得意なエリートたちほど、
こうした”わな”に陥りやすいと言えるでしょう」

色平氏がこう指摘する背景には、自身が歩んできた医師人生がある。
京都大学医学部を卒業後、アジア諸国など医療資源の乏しい国々の実情を
見つめ、帰国後は山村での地域医療を実践している。
いずれも合理性だけでは太刀打ちできない現場だ。
リスクを負ってまで、あえてそうした道を選ぶメリットはどこにあるのか。
その答えは、一昨年、WHOの会合でバンコクに招かれた時に
多少かいま見えたという。

「どうやったら山村の病院に医師が定着するかを話し合いました。
参加者たちは、『条件の悪いなかでモチベーションを維持するには、
“そこで働く理由”に確信を持てなければならない』と合意しました。
私は、地に足の着いた技術研修と、仲間のサポートがあること。
加えて第三者との濃密な人間関係が必要だと述べました。
面倒な人間関係が介在し、むしろ合理性は乏しいが、
アイデンティティが確立できる環境。
そこに、案外、医師としての充足感が待っているのです」

佐久総合病院における“第三者”は、他でもない村民の存在である。

「言い方は良くないかもしれませんが、田舎の患者は、『ありがとう
ございました』と言いながら、どこか医師に反発する感情を抱いています。
私も山村の診療所で働き始めた当初、患者から『あの先生の話は
早口でわかりにくい』と苦言を呈されたことがありました。
でも、ベテラン保健師が『先生はまだ方言ができないから受け入れて
もらえていないけれど、熱意は伝わっているよ』と支えてくれた。
いわゆる、“互酬”に裏付けられた信頼関係があるのです」

互酬とは、文化人類学上の概念で、社会関係を形成するプロセスの一環だ。
色平氏は、「互酬」「再分配」「市場交換」という歴史的な
流れの重要性を説く。

「仲間が困ったときには一肌脱ごうという”お互い様”の精神、
それが互酬です。
見返りを期待しない助け合い、例えば友情のことを言うのでしょうね。

次の”再分配”とは、手に入ったものをリーダーの統括で分かち合うことで、
小児や女性、老人など弱い立場の者を守る意味がありました。

合理的な取引関係を指す”交換”の以前、本来、
そうした原初的なプロセスがあったのです。
それらの段階を飛ばして医療をしても、満たされるはずがないのです」

福島第一原発事故と、医師のキャリア。
まったくテーマの異なる難問だが、色平氏に言わせればどちらも
「哲学的な問いかけ」を必要としている。
合理性だけでは得られない道へのチャレンジに、
閉塞感から抜け出すヒントがあるかもしれない。



医師のキャリア形成プロセスにおける「やりがい」のイメージ

上記のプロセスは、もともと社会経済や相互扶助が形成される過程を示したもの。
医師のキャリアにあてはめると、「自由な”交換”は合理的だが、
仲間と助け合う”互酬”と、利得を分かち合う”再分配”のプロセスを欠いては、
医師としての本当の手応えは得られないのでは」と色平氏。


東京大学理科1類を中退し、世界を放浪。後に京都大学医学部卒業。
長野県の佐久総合病院、京大付属病院を経て長野県の
南牧村野辺山へき地診療所長、南相木村診療所長。
2008年から現職。著書に『大往生の条件』(角川書店)など。

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