「21世紀かながわ円卓会議@2011」     
    

「地域主権の医療〜命の格差に向き合う地域医療〜」
21世紀かながわ円卓会議・セッション1

色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長)


■高齢化“最先端”の場所

みなさん、こんにちは。長野県から来ました。善光寺から来たお坊さんです、というの
はウソですが、お坊さんのような仕事をしているお医者さんです。山の村で高齢化して
「限界化」した極致の場所で、12年間、診療所長として務めていました。世界最大規模
、そして世界最高速度で高齢化が進んでいる日本の中でも、長野県は最先端の地です。
日本の高齢化現象は、世界の注目の的となっています。11年1月にバンコクでWHOの
会合に出席したときも、インドと合衆国を除いて、大東亜共“老”圏となるという笑い
話があったほど。バンコクも台湾も大変な高齢化に直面するだろうから、今後それぞれ
の国がどのような高齢社会を迎えていくことになるのか、ご老人の方々が暮らしやすい
まちづくりや彼らの消費性向がどのようなものか、ということについてのディスカッシ
ョンがありました。日本には、そのよいモデルを提供していただきたい、と言われたこ
とを思い出します。


■医療費は高い方がいいのか、安い方がいいのか

お坊さんのお話でしょうが、人間の死亡率は100%です。いずれ人は亡くなりますので
、すべて(あるいは、ほとんど)の日本人が遅かれ早かれ日本の医師の手にかかります
。すべて(あるいは、ほとんど)の方々が日本の医療機関にかかることを前提に考えた
時、「日本の宝」と海外から見られている、この半世紀維持されてきた国民皆保険制度
が、もし崩れたら大変なことになるのではないか。それは医師であるか患者であるかを
越え、また老人であろうと若い者であろうと、将来必ず直面する課題です。保険料を納
めているし、病院の建物もあるのにお医者さんがいない、となれば一種詐欺まがいです
。何とかこのような事態を回避すべく、国力をかけて将来に備え、いったいどのように
切り抜けていくつもりなのだろうか、と、海外からも注目されています。

では、医療費は高い方がいいのか、安い方がいいのか...安い方がいい、と一般に流
布してしまっていますが、自分が病気になった時、あるいは自分や家族が死にそうにな
った時を考えてみましょう。自分や家族が受ける医療の質は高い方がいい。たぶん医療
費もかかる。ただし保険料の負担を考えると、他人が受ける医療はできるだけ安い方が
いい。ホンネでしょう。このような絶対矛盾を解決するために、国民皆保険制度ができ
ました。全国民のリスクを分散して、すべての人びとの負担ですべての人びとのリスク
に備える。こうなりますと、高い、安いのどちらがいいのかよくわからないというのが
正解ではないでしょうか。

しかも、一般の方々のあいだで「医療費は高い」と思われている傾向もあります。それ
は誤解です。窓口での一時負担金が日本では世界でも例外的に高いので、皆さん「高い
」と考えていらっしゃるようですが、国民医療費という総額で考えるなら、日本は、世
界の先進国にあるまじき低さです。一人あたりの医療費が193カ国の中でも60何番目と
いう低医療費で、ここまでの健康長寿を実現しており、非常にがんばっている、という
世界からの評価が寄せられております。


■原理が違う2つの保険

医師不足を解決するのは簡単です。医師を輸入するか、患者を輸出すればよいのです―
―ここで笑っていただかなくてはいけないところですが。アングロサクソンの国々、す
なわち英語圏においては、「医師を輸入し、患者を輸出すること」を実際にやっていま
す。一方、われわれは日本語で医療を受けたいので、こうした産業政策的発想にたった
「輸出入」はできない、という前提の方が現実的。日本語で診療のできるお医者さんを
国内で確保することを、周到な考えの上で、20年、30年かけて取組んでこなければなり
ませんでした。これは、どちらかといえば文科省ファクターの課題です。

保険についても申し上げなければいけません。insuranceという保険は、二つの意味が
あり(healthという、字の違う保健もありますが)、通常、私たち日本人がinsurance
という場合、「公的な保険」のことを指します。一方、アメリカ合衆国では公的医療保
険が不備で、「保険会社の扱う保険」を一般に、insuranceと呼んでいます。公が行う
保険では、胴元がお金を集めて98%、99%還付するのが当然で、そこから手数料を抜き
はじめると汚職になりますが、一方、保険会社の保険商品では、CEOが15%、20%と
手数料を高くとればとるほど、株価が高く評価されます。このように、原理がまったく
異なる二つのものを同じ言葉で保険insuranceと呼んでいるのです。この意味で、自由
診療こそ“金の成る木”です。日本ではまだ、度を越えて行き過ぎてはいませんが、自
由診療を進めた場合、合衆国でのように医療費の総額は確実に増すどころか沸騰してし
まう。現在、安すぎる医療費によって、日本の医療はずいぶん痛んできていますので、
ここへの公的資金の給付増額こそ必須でしょうが、自由診療が“金の成る木”であり、
“医者どろぼう”といわれた過去を彷彿させるということ、そして再度また誰かがここ
に商機を見いだしているのではないか、ということで、昨今のグローバリゼーションの
あり方について警戒心を解くことができないのが私のホンネです。


■お金の論理と人間の論理

医療を読み解くメディカルリテラシーは大切ですが、現状のメディアを通じてでは、な
かなかしきれていない。故加藤周一先生がおっしゃっていました。「メディアリテラシ
ーを欠く日本でメディカルリテラシー実現は至難」と。私が30分ここで話をしても、医
学部で6年間かけて習うことをお伝えするのは不可能です。医療サービスの特徴は何か
と申しますと、ヒューマンエラーが多いことでしょう。われわれ医師は、占い師ではご
ざいませんので、黙って座れば...とかなんとか、なかなか病名をピタリと言い当て
ることはしきれません。私の先輩・日野原重明先生の師匠であるウィリアム・オスラー
師は、「医学・医療というのは不確実性の科学であり、確率のアートである」、と定義
しているほどです。

診療の現場では、3時間待ちの3分診療はめずらしくなく、みなさん頭にくるかと思いま
すが、もし私の話を30分聞きたいという奇特な患者がいれば、その方のご要望をいれて
30分診療にした場合、(イギリスが10年以上前、医療崩壊したときのように)30時間待
ちになります。それくらい手薄くやっている日本の診療現場に、市場原理を導入した場
合、少しバランスを傾けただけで、「一般に見えづらいところ」で医療崩壊が起こるの
ではないか。これはまるで、「地球全体で有限な農作物の生産、これをかろうじて餓死
者を出さないように確保している」という前提条件の時に、地球上の一部で穀物を車や
牛に食べさせたりするようなものです。農作物が十分にある状況であれば、それは悪徳
でもありませんが、現状がきわめてきわどいバランスですので、穀物価格のきまぐれな
上昇が、地球上のどこかで餓死を引き起こしていることがあることでしょう。日本国内
で皆保険が崩壊した場合、人びとの医療に対する現状の「きわめて高い期待度」が維持
できないことで、逆に、どれほどの不信感と不満感を醸成することになるか、恐るべき
ところがあります。

他の例をあげましょう。例えば本日の円卓会議にご出席されている中牧(弘允)先生が
煙草を吸う方であると仮定すれば、先生は“愛国者”といえましょう。昨今高くなった
たばこ税を毎日納めていますし、煙草で早死にすれば年金はもらわずに亡くなってしま
うことで更なる“愛国者”となります。一方、私は女房に世話になりながら90歳まで長
く生き続け、年金を貰い続ける“非国民”です。肺がんになってしまった中牧先生は、
苦しくつらい思いをしますが、その治療費がかなりかかります。みんなの財源からたく
さんの医療費を使ってしまう中牧先生はもしかしたら“非国民”かもしれませんね。し
かし、ハーバード大のマニングらの研究によれば、中牧先生の生涯医療費は、私が90歳
まで、ヘロヘロになるまでの医療と介護の合算費用と比較した場合、平均して4%安い
そうです。ですので、先生こそ、三重の意味で“愛国者”といえましょう。このように
すべての日本人に“愛国者”になっていただくために、すべての日本人に煙草をすって
いただこうという悪魔の結論になります。これはもちろん、笑い話です。申し上げたい
ことは、お金の論理と人間の論理とは合致しないという、当たり前のことです。


■医療の市場化が意味するもの

長野県は医療費が安いことで有名です。佐久病院は給料が安いことでも有名ですが。長
野県の老人医療費は日本で最も安い。世界で最も長い平均余命は日本、その中でも長野
県は非常に長い。つまり、医師があまり医療をせず、医療費を使わない方が健康でいら
れるのではないか、という医師側にとってはおそるべき結論が出てしまっているような
気がします。医療費が安いのは医師がアホだからですよね。カルテに1行書けば数ヶ月
後にはレセプトという形で、それが数万円の金券になるにもかかわらず、あえてそれを
しないということは、「医療が市場化されていない」ということからくるのです。

では、病院が株式会社化するとどうなるかといいますと、もし私がCEOであれば、居
並ぶ病院の部長たちに対して、「明日から、救急をやるな、小児科をやるな、産科をや
るな」と指示することは明らかです。株主配当を増やすためには不採算部門を切ること
が「最も正しい」のですから。ですので、市場化という手法で、すべてが簡単に解決す
るということではなさそうだ、という洞察を感じ取っていただければと存じます。

さらに申し上げれば、医療費は、日本では対GDP8.5%と先進国の中でもかなり低い
のですが、アメリカは17.4%と日本の倍で世界最高の高価格です。合衆国の医療は、手
術が必要となった場合、無保険者が高額な頭金を要求されることが当たり前となってし
まっています。他のビジネスではまっとうな商行為であったとしても、患者の弱い立場
を見透かして、命が惜しければ金を出せと言っているのですから、これではまるでどろ
ぼうか強盗と変わらなくなってしまう。ビジネスの論理のみが正義であると錯覚してい
るのではないでしょうか。

私は毎年夏に関西の大学の経済学部で集中講義をしていますが、中国から来た女子留学
生のレポートで次のようなものがありました。「中国では医療改革が行われた結果、多
くの人が医療費を出せなくなったが、その主要な原因は、製薬企業と医師とのつながり
にある。本来なら100円の薬で治せる病気なのに、医師がわざと300円の薬を出すので、
患者にとって医療費が2倍以上も上がってしまった。政府は薬に上限価格を設けたが効
果はなく、中国の医療の深刻な問題だと」いうものです。

もし日本で混合診療が全面解禁された場合には、二大大国のアメリカと中国が進んでき
た方向に強く引き付けられるのではないかと、強い危機感を感じています。地球上の人
類の仲間たちが何をどう悩んでいるのかということに関し、まず共通の基盤を構築した
上で、日本の私たちが守り育てるべきものは何か、日本の特徴は、日本の宝は、と考え
ていくことが大切なのではないでしょうか。

長野県の医療費が安い、安すぎる、ということを先ほど触れましたが、それは「結果と
しての医療費の安さ」であって、安くするために、そうした、あるいは政策誘導されて
そうなったわけではないところがミソです。信州人がお金に換えられないような、伝統
的な共同体の価値を大切にしてきたことの反映ではないかと考えております。


■かっこいいお年寄りに会う

ここで、ラジオ番組の録音を聴いていただきましょう。
 
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もともと長野県というのは高齢者医療の先進地域であり、全国でもトップクラスの長寿
県でもあるのと同時に、老人一人当たりの医療費が全国でも最も少ない。データにより
ますと、全国平均が年間83万円であるのに対して長野県は平均64万円と、およそ20万円
も少ない。寝たきりになるお年寄りの割合が非常に低いようです。今回、その南相木村
を訪れて、その秘密がわかったような気がします。手に職をもって現役で働いているお
年寄りが多いですね。例えば、私が村で出会った倉根ちづさんという84歳のおばあちゃ
んは、家に招かれて行きましたら100年以上前の織機、機織り機を使って、見事な敷物
を今でも織っている。

そして「ビールでも飲んでいくか」と、自分の分も含めてビールを出してきてみんなで
飲んだ。そういう生き様がキマッているんですね。畑で採ったブルーベリーを冷やして
凍らせておくと、おいしいつまみになりますが、こんなのを毎日食べて、ビールを飲ん
でいたら、毎日元気になって長生きするのではないかと思います。機も織って、ボケな
いと思います。

色平さんのところに、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、タイ、香港、中国
、韓国といろんなところの医学生が研修に来る。必ず彼はちづさんに会わせる。その元
気なお年寄りの人生、生き様にある意味で打ちひしがれて、ちづさんの織物に魅力を感
じて弟子入りしてしまう女の子もいる。都会の医学生は、あまりかっこいいお年寄りに
出会うことがなく、色平さんによりますと、かっこいいお年寄りに会ってもらうという
ことが大事で、人生をきちっと生きているお年寄りに会わせておきますと、その後、そ
の病気というものが人生の一部を奪っているものだと、それにまじめに対処しようと、
お年寄りに対する尊敬も自然に生まれると言っていました。
///

これは手前みそなラジオの番組ですが、村のご老人方はお金と関係のない、プライドと
こだわりを持ってこころ豊かに生きてそして亡くなっていった。文化人類学的に見ても
、すぐそこにあるあのお墓に戻る、というような感覚をお持ちです。百姓は文字通り、
100の技能を持ち、生きるための知恵と技がありました。「金持ちより心持ち」といっ
たような感覚が今も続いています。これは仏教に通じるようなことかもしれません。お
金と関係ないつきあいの友人をたくさん持てるかどうか、といった感覚なのでしょうか
。

長野県は、高齢者の就業率が高いことでも有名です。それは多くは農業によるものです
が、自らの手応えとともに、社会の中に参加していることが実感できる大事な役割を、
小規模な家族農業こそが果たしています。そして、それが結果として健康長寿にもつな
がっているのかと思います。都会ではこうした機会は奪われているのではないでしょう
か。都会にいると、65歳は高齢者に入ることになっていますが、村ではまだまだ若者で
すから。私なんか、まだ小僧にもならないわけでしょうね。そんな高齢化が行きついた
ところでどっこい生きている山村のあり方、「プライドとこだわり」をぜひ若い世代の
方々にお伝えしたいものだと思います。


■これから迎える「三県問題」

今後は、認知症や超高齢の世代が増えてきますが、医師のみではこれに対応しきれませ
ん。『ヘルプマン!』(講談社)というコミックがあります。コミック、これは素晴ら
しい日本の文化です。特に第8巻は、フィリピン人の介護士さんが日本にやってくる話
。日本人の家族が戦後、どのように変化したのかが描かれています。介護士さんの家族
のあり方を通じ、アジアを鏡として日本社会の変貌ぶりを読み解くことができるのでは
ないでしょうか。FTAやTPPについて読み解くためにも必須のコミック教科書と感
じます。

住まいと介護ケアが個別に考えられている背景には、国交省の政策と厚労省の政策がな
かなかつながっていかないということもあるでしょう。中国においては、三農問題(農
業、農村、農民)が喧伝されていて、これは世界規模の大問題です。一方、私が日経メ
ディカルの拙文連載で名付けた「三県問題」とは、首都近郊の神奈川県、千葉県、埼玉
県(加えて、東京都下の多摩地区)の高齢化現象です。わが長野県では高齢化問題はピ
ークを過ぎつつあり、佐久総合病院がきちんと機能すれば21世紀の「多死社会」を何と
か乗り切っていくことができることでしょう。しかし、ここ神奈川では人口の母数が多
いですから、実に心配なところですね。私は横浜市の警友病院で生まれたので決して他
人事ではありません。都市部では死亡率が1%あがっただけでも母数が大きい分、大変
な事態を引き起こすことになりかねません。


■若い人たちへ

若い人には、ぜひ日本の外へ出て特に発展途上国へ行き、広大な“無医地帯”で人びと
が当たり前に努力している姿に触れてきてください。おしんの時代のような、山の村で
ご老人方の中に語り継がれているような往事の東北の姿、あるいは保険制度がなかった
時代の村の姿を思い起こさせる、そんな多様な出会いが今後必要ではないかと思います
。

国民皆保険ができたのは50年前(1961年)です。当時、皆保険制度で守られていなかっ
たのは農民であり、女性であり、そして商工業者でした。しかし、現状では、国民皆保
険制度の根幹である国民健康保険制度(国保)がカバーする全加入者の4分の3までが
、無職者と非正規労働者になっています。無職者は難しいのかもしれませんが、非正規
労働者は働いているわけですから、この人たちの保険料の半額負担は本来雇用する企業
の責任ではないかなと、私は素朴に感じます。そのような声があがっていかないと、日
本の若者たちの今後はいよいよ厳しくなる一方ではないでしょうか。

私は親不幸にも家出をしてキャバレーでボーイをしていたようなこともございまして、
お医者さんになる前には野宿者でした。そんな人間から見ると、路上生活をしていて飢
え死にしそうになったときにどうすれば助かるのかという、日本国憲法25条の「実質的
な中身」について、中学生、高校生はきちんと学習しておくべきではないでしょうか。
『路上からできる生活保護申請ガイド』という本があります。どうすれば餓死をまぬが
れて生活保護を獲得できるのかという番組なりをぜひNHKで放映していただきたいも
のです。

医師には残念なことに福祉が理解できません。医学部の学生たちは、数学と物理と英語
ができすぎです。あんなに勉強ができる若者に国語のじょうずな喋りを期待するのは酷
なのかも。患者の気持ちに即して考えるなら、医学部入学に際してはお笑い「吉本枠」
が必要だと感じます。

若くて元気な日本の医学生看護学生たち、つまりなかなか地球人類に共通するリスク感
覚を共有しきれていない若者世代に対しては、この日本が世界史的にも例外的な「超安
定社会」なのだという不思議さをコミックなりで感じ取っていただくことが重要だなと
感じております。

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